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ワンス・アポン・ア・タイムinダイアリー 4

4、事件

 無邪気な少年時代を過ごしていた僕たちでしたが、そんなキラキラしていた時間はある事件によって突然終わりを迎えます。

 僕らが瀬戸内海の離島の夏祭りで遊んでいたまさにその時、僕らの地元では拳銃を持った男が自宅に立て籠もって銃を乱射するという事件が起こっていました。
 これはあとから僕の父親に聞いた話なのですが、麻薬で正気を失った暴力団の男が同居していた家族を人質にとってアパートの一室に立て篭もり、警察官だった僕と直樹の父親も現場に動員されていました。
 犯人が外に向かって拳銃の発砲を繰り返していたため周辺の住民はすぐに避難していましたが、事件が発生してすぐはまだ警察の封鎖は完了しておらず、近くまでやって来てしまう一般人もいたそうです。
 そしてその中に由紀ちゃんがいて、錯乱した犯人が由紀ちゃんに拳銃を向けているのを見た直樹の父親は、咄嗟に飛び出して犯人に向けて発泡し、銃弾が頭部に直撃した犯人はその場で死んでしまったのでした。

 実際は由紀ちゃんは僕らと島にいたので、事件現場にいると思ったのは見間違いだったのですが、直樹の父親は「たしかに由紀がいた。」と言っていたそうです。
 事件は全国的なニュースになり、日夜テレビカメラや新聞記者が押し寄せて町は騒然としていました。
 犯人は死んでしまいましたが、一人の被害者もなく事件が終わったので、直樹の父親は警察内では処分されることはなかったそうなのですが、テレビや新聞では一般人が近くにいる状況での銃の発砲や犯人を射殺したことを批判する論調で、直樹の父親を追いかけ回し、家にも押しかけて来たり、時には子供の直樹や由紀ちゃんからもコメントを取ろうとしていました。
 そんなだから僕は学校帰りには毎日二人を自分の家に引っ張っていって、つとめて明るくするように一緒にゲームをしたりアニメを見たりして過ごしていましたが、二人ともずっと暗い顔をしていました。日夜マスコミが家に押しよせてくるので気が休まることがなかったのです。

 直樹の父親もそんな世間からのバッシングに参ってしまっていて、がっしりした体格だったのがどんどん痩せて頬がこけていき、顔色も悪く目の下にクマができていました。
「直樹と由紀をありがとなあ。」と言う声にもはりがなく、僕も僕の父親もいつも心配していました。
 僕と直樹の父親も小さい頃からの幼馴染らしく、なんとか励まして元気づけようとしていたようでしたが、「あいつは真面目だからな…。時間がたって早く皆忘れてくれるといいんだが。」とため息をついていました。

 結局しばらくの後に、直樹の父親は自分から辞表を出して警察官をやめてしまいました。僕の父親も周りもさんざん引き止めたらしいのですが止められなかったらしく、犯人を殺してしまったという自責の念だけでなく現場で由紀ちゃんが狙われていると思い込んで冷静さを失って飛び出してしまったということも思い詰めているそうなのでした。

 ある週刊誌などは殺人警官などといって突拍子もない記事を書いていたらしく、学校でも馬鹿な奴が「殺人犯〜。」などと言って直樹や由紀ちゃんに言ってきたりしたので、僕は飛びかかってボコボコにしてやって「またこんなアホな事言う奴いたら一緒にボコボコにしてやろうぜ、なっ。」と直樹に言ったのですが、ただ肩を落として俯いているばかりで、二人ともどんどん元気を失っていっていました。

 そうやって二人を追い詰めていく記者達に僕は心底腹が立っていて、仲の良かった友達を誘ってそんな記者達に反撃する計画を立てたのでした。
 反撃と言っても直樹の家の前に集まっていたり、学校帰りの生徒に取材している記者に後ろから玩具の銃を撃ちまくるという幼稚な方法でしたが。
 取材中の記者の背後に周り、充分な逃げる距離を確保してから撃ちまくって一目散に逃げるというヒット・アンド・アウェイ戦法をとっていました。たまに怒って追いかけてくるような者もいましたが、僕らの地元で細い路地から何から知り尽くしていたので簡単にまくことができました。
 僕らの仲間内では「記者は見つけ次第殺せ。」というのが合言葉になっていて、いつでもランドセルの底に銃を隠し持っていて、記者らしき者を見つける度に襲撃を繰り返していました。
 そんな嫌がらせを続けているうちに、玩具の銃を記者に撃ちかけている小学生達がいるという事が学校に伝わって問題になりました。誰かやった者は名乗り出るようにと先生達から言われ、僕たちは知らぬ存ぜぬで白を切っていましたが、ある時ついに尻尾を捕まれてしまいます。
 卑劣な記者達は物陰に潜んで、僕たちが襲撃する瞬間をカメラで隠し撮りしていたのです。写真には僕らの顔と嬉々として玩具の銃を撃ちまくる瞬間がバッチリ写っていて、これで言い逃れる術がなくなってしまいました。

 僕たち5名の犯行グループは校長室に連行されて事情聴取を受けることになりました。
 担任の先生、教頭先生、校長先生が揃って僕らを尋問し、僕はまだそれでも、銃を撃つ瞬間は写っていても何を撃っているかは写っていなかったので、その時は空缶を撃っていただけで証拠としては不十分だと強弁しましたが、仲間の一人があっけなくゲロって主犯が僕だということまでバラしてしまったため、それも無駄に終わってしまいました。
 すぐに謝りに行きましょうと言う先生達に、記者達の方が勝手に直樹の家に押しかけて、直樹も由紀ちゃんも苦しめているのに、悪いのはあいつらの方だと言いましたが、全然分かってもらえませんでした。

「それでも、玩具の銃でも人に向かって撃ってはいけません。撃たれたら痛いし、もし目に当たって失明したらどうするの!」

と怒りましたが、本当にその時の僕は記者達を殺してやりたいくらいの気持ちだったので、

「そしたら今度は反対の目に当ててみせます!」

と言い放ったら先生は絶句して、そのまま僕らの親が呼び出され、飛んでやってきた父親に校長室に入るなり殴り飛ばされたのでした。
 そして学校に通報した卑劣な記者も生徒が謝罪したいからと学校に呼んで、僕らは揃って謝罪させられることになりました。
 いけすかない七三分けの眼鏡の新聞記者は、今回は大目に見るけど次は警察に突き出すからとか偉そうなことを言っていましたが、僕は謝るつもりは一切なく、ここで会ったが百年目、顔を出したらぶん殴ってやろうと決めていました。
 「ほら。」と先生に促されて隣の仲間達が「すみませんでした。」と頭を下げようとした刹那、新聞記者が得意げにほくそ笑む顔面に拳を叩き込んでやろうと飛びかかった瞬間、僕は隣にいた父親に腕と襟をムンズと掴まれてぶん投げられました。
 体がぐるりと一回転して背中からドカンと地面に落ちて「かはっ」と息がもれました。
「このクソ馬鹿が。」と僕をまたくるりとひっくり返して頭を無理やり下げさせられ、「どうもすみませんでした。」と謝るのでした。
 僕は最後に一矢報いることも叶わずに悔しいのと痛いのとでボロボロ泣きながら、それでも「お前を殺す!」と言いたかったのですがそれも言葉にならず、ただえっぐえっぐと嗚咽をもらしながら頭をさげさせられていました。

 こうして記者達への襲撃騒動は終結したのですが、その事をどこからか耳にしたのか、ある時僕は直樹と由紀ちゃんの二人から呼び出され、
「俺たちのことはもういいから、放っておいてくれ。」
と言われてしまったのでした。
 僕を気づかってくれてのことだというのは分かっていたのですが、それ以降は僕が話しかけてもあまり相手にされなくなり、家に誘っても断られるようになってしまい、二人共僕から距離をとるようになってしまいました。

 何もできない自分が悔しくて悲しくて、家に帰った僕は久しぶりに声をわんわんあげて泣いて泣いて、日記を書いて眠ってしまいました。
 こんな時にこそ何かアドバイスが欲しい日記の幽霊でしたが、ここしばらくの間沈黙をつらぬいたままなのでした。


つづく

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