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バンド「ノルウェイの海」4
◆これまで
大学に入学し、「映画研究会デ・ニーロ」というサークルに入った僕は映画撮影にのめり込んでいきます。
ビートルズみたいな音楽ドキュメンタリー映画を作るべくバンドを結成しましたが、先輩達の方針転換により喧嘩あり乱闘ありのヤンキー映画みたいになってしまったのでした。
そしてライブイベントでの乱闘騒ぎを終えた僕たちは・・・
ライブイベントでの乱痴気騒ぎから逃げ出し一人トボトボと歩いていた僕は、やがて辿り着いた駅から世田谷線というやけに遅い路面電車に乗り込んで下北沢の街をあとにしたのでした。
2、3分おきに次の駅に着いては停車する電車にノロノロと揺られ、電車を乗り継いで大学の部室まで帰り着くと既に打ち上げパーティーがドンチャンと始まっていました。
重い扉をガチャリと開けて入ると、「映画研究会デ・ニーロ」の先輩達と軽音部の面々が皆お酒を手に、楽器をかき鳴らしたりして騒いでいました。
軽音部部長のヤマカン先輩はなぜか上半身裸で、ビール瓶をあおると長髪を振り乱しながらエレキギターをギャギャギャギャーとかき鳴らしていました。
「おつかれ〜。よく無事で帰ったなあ。」
パイプ椅子にもたれていた佐伯先輩がそう言って僕にもビールを渡してくれました。
僕を一人死地に置いてけぼりにしておいてこの言い草です。
「ちょっと、話が違うじゃないですか!なんかあったら守ってやるって言っといて。見てくださいこれ。」
そう言って僕は殴られて腫れた左頬を突き出しましたが佐伯先輩は一瞥しただけで持っていたビールをグイッとあおりました。
「そのくらいでギャーギャー言うなよ。お前を殴った奴なら俺がぶん投げてやって目回してただろーが。」
話が通じないみたいで、どうやら「守る」という言葉に双方で齟齬があったようで、僕はてっきり「危険の及ばないように守ってくれる。」だと思っていたのですが、彼らの中では「殴られたら殴り返してやる。」くらいの意味だったようなのです。
「親父にだって殴られたことないのに…」
と僕が悔し紛れにポツリと呟いたせりふを佐伯先輩はスルーしてビールをゴクゴク飲み干していましたが、それを聞きつけてガンダムオタクの松永先輩がシュバババと駆けつけてきました。
「お前今、親父にもなぐられたことないって言ったか?だったら俺が再教育してやろうか。」
と眼鏡の奥で目をグルグルさせながら詰めてこられたので僕はもう「いや、なんでもないっす。」としか言えなくなってしまったのでした。
そんなことをしていると上半身裸のヤマカン先輩がギターをギュイギュイ鳴らしながらやって来て、僕ら二人を捕まえて肩に腕をまわしてきました。
「細かいこたあ良いじゃねーか!今日は最高だったぜお前ら。」
すでにかなり酔っているらしいヤマカン先輩は上機嫌でした。
「乾杯だ!乾杯しよう!ミュージックカモンっ!」
ヤマカン先輩が指を鳴らすと、それが軽音部の慣行なのか、部室の奥で飲んでいたドラムとベースの人がボンボボ、シャンドンと演奏を始め、マイクを手にしたヤマカン先輩が音楽にノリながら乾杯の口上をペラペラと喋って
「よっしゃ乾杯!今夜は最高ー!」
とやけに大きいビール瓶をラッパ飲みすると、ピーロピロピロピロとなんだかギターの高等テクっぽいのを弾いて乾杯を締めてくれたのでした。
その後は、その日撮影したライブイベントの演奏から乱闘までの映像をスクリーンに映し、使えそうなところや編集点を話したりしながらパーティーの余興にしていました。
演奏していた時は興奮で記憶が飛んで曖昧だったのですが、撮られた映像では意外にも演奏はけっこう上手くいっていて大きな失敗もなく、だからこそその後の乱闘騒ぎはいらなかったんじゃないかという疑問がずっとチラついてしまうのでした。
演奏前に用意されていた僕の他のバンドへの煽りというか罵詈雑言は、出来るだけ聞き取れないようにと早口言葉みたいに言っていたつもりでしたが、これも意外とバッチリ聞こえてしまっていて、こりゃ他の参加者は怒るわなという感じなのでした。
そんな感じで、まあ撮れ高としては申し分ないくらいでしたが、監督の佐伯先輩と脚本の松永先輩がなんだか不満顔で僕の方へやってきたのでした。聞くと、僕の乱闘シーンだけ撮れていなくて「どういうことだ。」と詰めてきたのでした。
どうもこうも、最初にぶん殴られて以降は部屋の隅の段ボールのかげに隠れて乱闘騒ぎをやり過ごしていたので当然僕の格闘シーンなんか撮れていないでしょう。
「こりゃもう一回やる必要があるな。」
先輩二人は神妙に頷いていましたが、ニヤニヤと笑っているのがバレバレで、再びの乱闘大会を開催しようとしているのでした。
「次はお前も暴れまくれよ。」
とお達しされ、僕はもうあんな騒動は一度きりでごりごりで殴られた頬も痛いし、他の大学とも合同だったライブイベントだってきっともう出禁になっているに違いないと言ったのですが、軽音部部長のヤマカン先輩がやってきて、
「ライブならまたいつでもやってやるって。次は乱闘やろうぜっつって腕っぷしの強いの集めといたるから。」
といらないことを提案してきたのでした。先輩達はノリノリで次はどんな乱闘ライブイベントにしようかとウキウキで企画を練り始めてしまったので、僕はもう考えるのをやめて周りの狂気に負けないようにガブガブとビールやワインをあおり、やがてソファでひっくり返って眠ってしまいました。
途切れる意識のはしで、誰かがピアノでショパンかなにかの綺麗だけどちょっとテンポが外れた曲を弾いているのが聞こえてきたのがやけに美しく感じ、「やれやれまたショパンだ、くそったれ。」と口の中で一人もごもごと悪態をつき、そうして長かった一日が終わったのでした。
後日、佐伯先輩とヤマカン先輩から次のライブイベントは愛知でやることになったと告げられました。
なんでもヤマカン先輩は愛知県は豊橋市の出身で、地元のバンド仲間に乱闘ライブイベントの話をしたらえらく気に入ってしまい、是非やりたいと乗り気なのだそうです。
「地元のツレに話したらノリノリでさー。荒くれ者ども集めとくから、思いっきり暴れてくれよな。」
愛知といえば荒くれものの三河武士!
映画の一演出といえど、そんな連中と乱闘騒動をするなんて考えただけでゾッとしていると「そんでコレ使って。」と一本のギターを手渡されました。
見ると、何だかオンボロでボディのところの丸い穴とは別にも穴があいていたりひび割れたりしていました。
「僕ギター弾けないですよ?」
と僕がいぶかしく思って聞くとニヤッと笑いました。
「違う違う。これでさ、野郎の頭をさ、バコーンってぶっ叩くのよ。」
ヤマカン先輩はギターのネックの所を逆手に持って素振りしてみせました。
この軽音部部長は得意顔で信じられないことを言っていて、バンドマンの命たる楽器でそんなことしてゆるされないのではないかと思いましたが全然気にしていない様子でした。
「なんかずっと昔の先輩が部室に捨ててったやつみたいでさ。埃かぶってんのもかわいそうだからさ、使ってやってよ。」
使ってやってって言っても、そんな使われ方はギターも本望じゃないだろうと思いましたが、佐伯先輩も頷いて、
「いい演出だろ!このギターでさあ、バゴーンって殴ってさ、バラバラに砕け散った木片がパラパラーって宙に舞ったら絵になると思わねえ?」
思わねえ?と言われてもそのギターを握って人の頭に叩きつけている自分の絵がどうにも想像できなくて、
「無理っす。やるんなら自分でやって下さいよ。」
と僕が手を振って後退りすると、
「はあ、お前の乱闘シーンが撮れてないから撮り直すんだろうが。お前がやらないでどうすんだよ。」
と恐い顔で凄まれ、しぶしぶギターを受け取ってしまったのでした。渡されたギターをくるくると眺め回しながら、
「これけっこう硬いですけど、こんなので頭叩いたらヤバくないですか?」
と僕が聞くと、
「大丈夫。このギターはもともとネックもとれてなくなってて、そこらにあった木の板をボンドでくっつけてるだけだから、ぶっ叩いたらたぶんネックのところから簡単に取れちゃうよ。あとボディの裏側にもヒビいっぱい入れといたからそっちも割れると思う。」
ろくでもない計画の割には意外にも綿密に準備されていて、僕は反論できなくなってしまい、こうして僕たちは愛知県にて狂気の乱闘ライブイベント第二弾を開催することになってしまったのでした。
つづく
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