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今日が過ぎ、明日が来るのは幸か不幸か。私は今夜をどう乗り越える

こんばんは。まだ夜が深まっていないのに、随分と辺りは暗いです。(田舎)
冬は陽が落ちるのが早いから、なおさら夜が深くて長いですね。

夜は好きですか?
私は夜が好きです。裏を返せば、朝がとても苦手です。
寝起きが悪い、それもあります。それ以上に日々に満足できていないせいか、「また今日がはじまった」と思ってしまうのです。
そんなこと言うと、「健康に生きているだけで十分じゃないか」「明日が来るありがたみをわかっていない」とお説教の声が聞こえてきそうなので普段はこの気持ちも表に出さずに過ごしています。
でも時折どうしても朝が来るのが嫌で、夜が終わるのが怖くて、だらだらと夜更かしをしてみたり、朝方目が覚めてしまったり、寝る前に涙が止まらなかったり。
人それぞれに事情があるものですから、私のこの気持ちも間違っているものではないし、この類の話を嫌う人の気持ちも間違ってはいないと私は思っています。それぞれが自分にとっての”正解”なら問題はないのです。でもそれはあくまで自分にとって、のことだということを忘れてはいけない。これは自戒の念を込めて言っています。

日々満足して納得して充実感を自覚して生きていられたら、私にとってそれ以上に幸せことはないのですが、なかなかそうもいきません。
少し前まで私は毎朝『「今日死んでもいい」と思えるかどうか」を日々の充実感を計る基準のような言葉としていました。少しでも「まだ死にきれない」と思うようなことがあれば、それは望んでいる行動が出来ていないことだったり、伝えたいことが伝えきれていないことが原因で「心と体がクリアな状態ではない」と気づくようにしていました。そんなルーティンがありました。書いていて思い出しましたが、その頃は今ほど朝が苦手ではなかったですね。
今はどうでしょう、「今日死んでもいい」なんて到底思えません。
心も体もクリアな状態にするには、まず何に不満足なのかをこの後ゆっくりひとつひとつ噛み砕いて考えてみたいと思います。

明日が来ることが必ずしも幸せとは限りません。毎日が暗くて、辛くて、苦しいときもあります。でもだからと言って不幸でもないと思いたい。明日は暗いけど、今日も辛いけど、毎日苦しいけど、それが不幸と決めるのはまだ早い。
そも幸せって、その場の状態のことを言うのではなく、過ぎた日々の結果で考えてもいいんじゃないかとも思う。
「この1年間振り返ると、楽しいことが多くて幸せだった」とか、「恋人と過ごした3年間幸せだった」とか、「私の人生幸せだった」とか。現在の状態で幸福度を計るのは難しいけれど、期間を振り返ってみて自分と向き合ったときに幸福感を感じることができたらいいな。

さてそんなところで今夜は、今後自分がどう人生を切り開いて、今の死にきれない状況を打破していこうか作戦会議をして過ごすとします。大丈夫な夜を越えれば、大丈夫な明日が来るはず。

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