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銭湯で

お酒を飲みたく、少し気になっていた酒屋に向かうも道中臨時休業と知る。仕方がないのと、久々にばったりあった人の小説が頭に浮かび銭湯へ向かう。らかん湯。
東京都の入湯料が500円になっていて慄く。ビールより高い。
もう若くないとか、20代終わるとか最近よく思うけど銭湯行けばアラサーどころか60代でも若いんじゃないかという布陣。
湯船に浸かる時、大体どこの銭湯でもにっこりと微笑みかけてくるお婆さんがいる。どうも、とか言うと、あら〜いいわね〜とか言われる。なにがいいんだろう。そんな素晴らしい肉体はもっていなく、見どころもありませんが。でも、なんか微笑まれるとうれしいのでえへへとか言ってしまう。
一番風呂狙いか15時台でも結構賑わっていたのでそこそこで出る。20円が時間で落ちるドライヤーをかけていると、さっきの微笑み婆さんが隣にいる。使いたいのかと思い、20円が落ちきったところでどうぞ、と言うと「やあやあ〜」とかなんかもにょもにょ言って20円を入れ始める。えっ、私がドライヤー置く時間も待てないほど急いでいる?もしくは「待たせやがって」と言葉なしにキレている…? らかん湯のスタンダードがわからん、と冷や冷やするも、老人特有の頬と瞼の肉が重力にかなり素直になっている面からは表情を読み取れない。
でもそうではなくって、ドライヤー代を奢ってやる、という意だったらしい。何事も奢ってもらえるときは有り難く頂戴するのが人の道。礼を言ってドライヤーを継続すると「いい髪ね〜」などと褒めてくれる。うれしくてまたえへへとか言ってニヤニヤしている。ひ孫が生まれた、とか俳句会の帰りだけど、区民センターに行くのは疲れる、とか諸々喋っているがドライヤーに挟まれてあんまり聞こえない。適当に相槌うっていると婆さん立ち上がる。「やってあげる」私の手からドライヤーを奪い取り、自然な感じで初対面の女の髪を乾かし始める婆さん。婆さんのダイナミックな距離の詰め方に若干尻込みするも、4秒くらいで慣れる。気持ちいい。
なんか最近、人に労われると普通に泣きそうなってしまうので困る。言葉でも触れられるでも。ほんと生きるの疲れる。
そして婆さんに髪を乾かしてもらっていると、昔心理学の講義で出てきたボノボの毛繕い行動を思い出す。なんと言うか、たいへん烏滸がましいけれど、婆さんの私に対する愛情的なものを曲解かもしれぬが一方的に感じてしまい、小さい子どもに戻ったみたいに無責任にはしゃぎたくなってしまった。そして家族っぽい仕草に落ち込む。あーあ、髪の毛乾かしてもらうっていいな。風俗とか、添い寝屋とか耳かき屋とかの系列として髪の毛乾かし屋やってほしい。嬢は80代以上の女性(呆けてない)で。
その婆さん、すごーく可愛い人だった。旦那が亡くなって、今人生で初めて髪を伸ばしているという。生前「髪伸ばしてよ」と言われても面倒で断っていたそう。漸くここまで伸びた、と笑う婆さん、女の子みたいだった。
どうしてか今日のことを出来るだけ遠くまで覚えていたく、久しぶりに日記を書く。


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