年子3人忘備録17

【前回のあらすじ】秋になり七五三やらハロウィンやらのイベントが続くが、、、

我が家にはいとこのお下がりがたくさんあった。衣類、おもちゃ、自転車、、。当時若夫婦だった父母にとってこの上なくありがたい贈り物だった。
その中には、ライダー系のかぶり物や変身グッズもあった。
オンエアしているライダーのものではない、いわゆる型落ちしているにもかかわらず、ごっこ遊びができる子どもの適応力の不思議を実感した。
そして、イニシャルDだけでなく、あーさんや特にみーこがライダーごっこをしていたことで「おもちゃに性別があるように仕向けているのは大人」を目の当たりにした。

いただいた自転車はペダルと前輪が連動した一番小さいものだった。これが想像以上の良い仕事をする。

補助輪を速攻で外された青いミッキー号は、勝手に補助なし練習号と化する。おかげで、よくある「自転車の後ろを押さえて父母が走る」拷問を免れた。あーさん、みーこは3歳〜4歳で補助なしをのりこなしたが、驚くのはイニシャルDの2歳半という新記録だ。おむつをしたおしりをプリつかせながら、競輪選手のようなスピーディーにペダルを漕ぐ、いや、前輪が回る故にペダルにこがされている姿は道ゆく人々の二度見をさそった。

イニシャルDの運動神経はメキメキ発達を遂げる。その頃男の子達の間で側転が流行りだす。前述したライダー系の影響である。側転はイニシャルDの移動手段となるのだが、突発的側転にこちらの気は休まらない。子どもの怪我には鈍感になりつつある3人目であったことは、ある意味正解だ。

春になるとあーさんは幼稚園に入園した。たとえ3人子どもがいても、1人目は親子共々全てがはじめての体験になる。幼稚園バスにシクシク泣きながら乗るあーさんを見ては心が痛んだ。その感情は年々薄くなり、イニシャルDに至っては幼稚園バスにぶっこむ、という表現が最も適切であろう。

あーさんは幼稚園でもひとりで本を読む子どもだったようだ。今思えばそれは個性なのだが、当時は、なぜ友達を作らないのか、みんなと遊ばないのか、と、やたら心配になった。その点みーこはプレの誰とでも友達になり、その交友関係の広がりが少しずつデシベルを減らしていった。

長続きはしなかったものの3人ともピアノを習い始めた。夏には短期のスイミングに行き、家では母が英語を教えた。幼稚園では剣道教室があり、長女のあーさんは父の勧めで剣道を習い始める。その他にも近所のよさこいチームに母含め4人で入った。アクティブな母につられて年子3人もアクティブに生活せざるを得ない。かくして年子3人と母のなんだかんだ忙しい日々の幕が開けた。

幼稚園生活の一年が過ぎる春休み、ハワイ旅行で味をしめた父母は、忙殺の日々からのエスケープを南国に求め5人だけの海外旅行を実行する。目的地はグアム。。

つづく

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