年子3人忘備録9

[前回のあらすじ] 背中にみーこ、足元にあーさん、お腹に胎児生活が数ヶ月、多くの圧力に耐えた胎児がいよいよ誕生する。

あーさんを妊娠した時から、安産祈願は水天宮だった。お礼参りと安産祈願が重なること2回、あーさんとみーこを連れて電車でお参りに行ったのは確かだが、おそらく大変だったのだろう、記憶に乏しい。神様は辛い記憶を消し去ってくれるらしいが、忘備録に今のところしんどいことが書かれていないのはそのおかげかもしれない。

祈願が効いてか3度目の出産もスムーズだった。病院を変えたことで3度目にして初めて旦那が出産に立ち会える環境になった。立ち会うことで出産がどれだけ大変かを知ってもらおうと思ったが、助産師さんと会話をしてしまうほどの余裕を見せてしまう。もちろん、痛いは痛いし、大変は大変だ。出産は簡単なことではない。母は全身全霊、渾身の体力と精神力で子どもを産むのだ。私はたまたま、奇跡的に、出産がうまくいった幸運に恵まれたにすぎない。母になることは決して女性の当たり前ではない。

初秋のお昼に生まれたのは、末っ子長男となるイニシャルDだ。イニシャルDは「赤ちゃんは猿」を忠実にビジュアル化していた。初めて髪のある新生児を生むが、毛先は明るめのブラウンにカラーリングされたソフトモヒカンで登場した。

イニシャルDを迎える姉たちだが、2度目の兄弟対面で余裕のあーさんに対し、みーこの表情は「無」だった。驚き過ぎたのだろう。そこから10年程度は姉として随分面倒を見ることになるのだが、きっと無の奥で妹でありながら「姉」になることをうけ入れていたのかもしれない。しばらくすると姉2人は猿を甲斐甲斐しくあやすようになった。

イニシャルDは手のかからないベビーだった。初めて旦那の抱っこで眠り、乗り物に乗ればすぐ眠り、デシベルの中でも眠り、ねっパイで眠り、本当に育てやすかった。あーさんの時にはがむしゃらにやっていたベビーマッサージも、みーこの時は半減、イニシャルDはさらに半減していたが、それほど構わなくても文句を言わないベビーだった。

秋生まれのイニシャルDの最初の試練は生後5ヶ月にして訪れた。冬真っ只中に常に流行するインフルエンザウイルスが我が家にやってきた。2歳、1歳が次々と発熱し、さらに、30代女性も発熱。イニシャルDにももちろん感染。幸運なことに、寝室が別だった旦那だけは生き延びた。あーさんとみーこはタミフルの処方であっという間に熱もひいたが、問題は授乳中の30代女性と5ヶ月のベビーだ。ベビーがタミフル不可のため、母も飲めない。ありがたいことに双方の両親が食料を届けてくれたが、長時間家事をお願いすることは気が引けた。症状が軽くなったあーさん、みーこのお世話、授乳以外は眠り続けるイニシャルDの生存確認を40度を超える熱にうなされながらもなんとかおこなう。何度も言うが母は強し。

いよいよベビー3人との曲芸な日々がはじまる。

つづく

次の更新はなるべくすぐ。

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