年子3人忘備録7

[前回のあらすじ] 第二子みーこを泣かさないための母の努力が裏目に出て1歳になった時から着実に「姉」の道を進むこととなったあーさん。0歳、1歳児子育て奮闘中の母の身にも珍事件が起こる。

みーこの子育ては、1年前の復習だった。乳幼児検診、予防接種などの母子手帳のガイドラインに沿った行動はもとより、お七夜、お宮参り、お食い初めといった伝統行事も点数のつくテストだったら90点以上の出来栄えだった。不思議に思うのだが、普段国民の祝日に国旗を掲げることなどしたこともなく、伝統行事にまるで興味がなかった。にもかかわらず、「育児本に記載してある行事をしっかりやらねば呪われる」思考に陥ったのは、「親」になる階段を登り始めた証拠だろう。

体格やハゲ具合はあーさんとまるで同じだったが、ひとつだけ大きな違いがあった。みーこの口の中には、生後2ヶ月にもならないうちからうっすらと歯が見え始めた。時を同じくしてあーさんにも歯が生え始めた。

あーさんは強制終了だったが、みーこは継続して母乳育児をしてたため、ご機嫌ななめな時の授乳は背中に鳥肌が立つほど痛い時があった。だが、デシベルの上昇を恐れて、声が聞こえるとオート母乳で聴覚の崩壊を防いだ。ミルクを作って、冷まして、を考えれば、「ほれっ」で済むのだから多少の痛みくらいなんてことはない。母親とは強い生き物である。

みーこの離乳食はあーさんに輪をかけて大雑把だった。生後19年経った今もそうだが、みーこは好き嫌いや食べず嫌いを全くしない、食に関しては優良児である。お座りができるようになる頃にはあーさんと並んで食卓に座りあーさんに負けず劣らずの食べっぷりだった。食べさせる母は、まるでツバメのヒナたちに餌付けする母鳥だった。そのあとの歯磨きは戦いだった。某テレビ番組の「仕上げはお母さん」は幻想である。股にあーさんを挟み込み足で両手両足をロックし片手で唇をこじ開ける。これだけですでにライフ3程度使っているのに、相手チームにはあとひとり、デシベル大将が毎回待っている。グチュグチュぺ、なんてもはやどうでもよい。

みーこの離乳食が進むにつれ母乳の回数も減り、おかげで晩酌もできるようになった。量はもちろん缶ビール1本程度だが、まるで仕事終わりに飲むビールのように美味しかった。あーさんを妊娠した時、ビールが嘘のようにまずく感じた。みーこの時も食べ物が美味しくないと感じた。年越し、お正月、食事もお酒も美味しかった。今日もビールが美味しい。うん、今日もビールが美味しいから大丈夫。そう、今日もビールは美味しいから問題ない!

確かめているのは、自分の体が妊婦になっていないか。

体の違和感はやっぱり「生命体育ち始めました」というサインだった。しかし前年までに経験した感覚ではなく「こりゃ男子だな」と直感した。

結婚してわずか3年で3人の子宝に恵まれることとなる。ありがたい思いと慌てふためく思いが交錯する母の心をよそに、1歳、0歳、胎児が育っていく。余談だが、病院は変えた。

つづく

次の更新は(多分)明日

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