年子3人忘備録12

[前回のあらすじ] イニシャルDの離乳食とともに、限界を迎えた母乳育児にいよいよ終止符が。

あーさんを出産してから3年半、長い子で1年母乳をあげていた。ありがたいことに度重なる妊娠出産にも関わらず、妊婦としても乳児の母としても私の体はよく機能した。決して当たり前のことではなく、これこそ奇跡だと今更ながら思う。0・1・2歳を目の前にお先真っ暗、、、と思うその頃の私にはこの奇跡に気づくことはなかなか難しいことだった。

ある日の昼過ぎ、3人が一度に泣き出した。原因は記憶にないがキッチンで3人を抱っこしながら途方に暮れた。このままだと大声で怒鳴ってしまう。咄嗟に自分の二の腕を噛んで口を塞いだ。歯形がしばらく残るほどに噛んでいた。大人1人に対し3人のベビーがいる、ということは、その大人にかかる圧は計りきれない。

その頃、ちまちまと日記を書いていた。日記というより、反省文である。あーさんのことを怒った、みーこがなぜこんなに泣くのか、イニシャルDをほったらかした、などの日々の反省をつらつらと夜中に泣きながら書いていた。自分のところに生まれてきたから、してあげられないことがこんなにある、子供の幸せを私がこわしている、と、ひとりになるとそんなことばかり考えていた。その頃を思い出すと今でも胸がつまる。

「子供はその家庭のやり方で育つ。他の家庭と比べるものではない。自信を持って自分達のやり方で育てればいい。」公園仲間がそんな私を諭した。公園仲間がくれた言葉のプレゼントは、今でも私の大切な宝である。

あーさんが3歳になる頃から幼稚園のプレスクールに参加した。もれなくみーこも一緒に参加、もちろんイニシャルDもついてくる。天才肌のあーさんは3歳になる頃にはひらがなは全て読むことができ、少し書くこともできた。プレスクールのワークはあーさんにとって刺激になってはいたが、母と違って人見知りのあーさんは友達がなかなかできない。母と言えば、ここでも素敵な仲間に巡り合う。その仲間とは合唱団を立ち上げこの忘備録を書いている今も活動することとなる。私にとっての素敵な仲間=飲み仲間であることは先に記しておこう。

このプレスクールに通う姿も滑稽だったのか、猛スピードで二人乗り用ベビーカーを押す私を見た、という目撃情報の共有が何度かあった。決まった時間までに3人を連れていくことは容易ではない。時短できるのは移動時間だけだ。普通に歩けば20分ほどかかる道をどれだけ時短できるかは私の脚力にかかっている。しかし1・2・3歳の重みは相当で、歩道の段差には悩まされた。

そのプレスクールは慣れると子供だけを預かってくれるのだが、あーさんは難しかった。みーこの方があっさり母とバイバイできる。私の実家にあーさんとみーこだけが泊まることになった時も、シクシク泣くあーさんをみーこがつたない言葉で慰める逆転現象が起こる。人見知りしない母にとって、人見知りする娘の気持ちを理解しがたく、何がなの?としか思うことができない。大人とはいえ30そこそこ。まだまだ大人としても母としても青い私は、とにかく行ってこい!そのうち慣れる!とあーさんをぶっ込んだ。

つづく

次の更新は明日を予定。


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