年子3人忘備録8

[前回のあらすじ] あーさん1歳、みーこ0歳の冬、新たな命が宿る。2人の赤ちゃんを抱えながら3度目の妊婦生活は・・・。

公園仲間が12月に2人目を出産した。退院してすぐ、2歳の兄の公園遊びのためベビーカーに乗って生後まもない妹は公園にやってきた。みーこの同級生で2人は「これぞ幼馴染」の関係をこれから歩んでいくのだが、しばらくするとベビーの顔に湿疹ができ始めた。12月と言えど直射日光にあてるのが早すぎたようだ。この行動はこれから先、このふたりのママにたくましく育てられる合計5人の子どもたちが歩む第一歩である。

妊娠が発覚した時は流石に動揺した。経済的に、体力的に、今の何倍いや何乗大変になるのか想像ができない。3人をちゃんと育てられるのだろうか。きちんと教育を受けさせることができるのだろうか。そんな思いを抱えながら実家の母に電話をした。何も言葉を発する前に「また妊娠したの?」と聞かれた。まったくお見通しである。せっかく授かった命なのだから大変だけど喜ぶべきことだと、当たり前だが動揺し過ぎて見失っていた言葉がスッと腹落ちした。公園仲間の「なんとかなる、2人で5人育てればいい」という言葉も不安を拭った。

そのころのパパたちは忙しい年齢だった。働き方改革や男性の育休など考えられない時代だ。男性はもとより、女性ですら育休を取得しにくい雰囲気があった。パパたちは一番仕事が多い世代で終電で帰宅することも多い。だからこそママたちがのんびりと夜までどこかの家に集まることができたのかもしれない。最近ではワンオペ育児という言葉をよく耳にするが、「家族」という枠に囚われなければ多数オペが可能であることを経験した。

春になる頃にはお腹も随分大きくなった。暑い時期に着る妊婦服は仲間のママたちのお下がりを頂戴した。子ども服もお下がりが多かったが妊婦服までお下がりで賄えたことはとても助かった。

妊婦検診で性別が判明した。予感は的中である。お腹の出方も姉たちとは全く違い前にとんがっている。とんがりに腰をかけていたのはもちろんみーこだ。2歳児になったあーさんは、ありがたいことにおむつが取れた。いや、むしろ取った。夜に全くオムツを濡らさなくなったのが2歳になる前だった。日中どれだけ漏らしてもかまわんよ、と、スパッとトレーニングパンツにした。そこからは大変だった記憶はない。

とんがりに腰掛けるみーこは、相変わらずよく泣いた。とんがり抱っこがきつい時はおんぶだ。お腹に胎児、背中にみーこ、足元にあーさん。昔は随分力があったと感心する。しかし、そろそろ臨月に差し掛かる頃の旅行でまさかの渋滞にはまり、みーこが力の限り泣き続けた時のとんがり抱っこは、流石に「今破水したらまじどーすんだよ!!」と半ば諦めの境地だった。

姉たちの体重に耐え、母の睡眠不足にも耐えた胎児は、最後に最高のプレゼントをくれた。「陣痛きて入院するもぐっすり寝ちゃって遠のいて退院する1日入院体験特典」だ。2名の赤子がいない時間と空間にすっかりリラックスしまくった母。結局退院した翌日のお昼に第3子、イニシャルDを産む事になる。

つづく

次の更新はなるべくすぐ。

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