年子3人忘備録15

【前回のあらすじ】 初めての海外旅行のてんやわんやな準備を終え、年子3人は初めて飛行機にのり常夏の国におりたつ。

年子たちはプール遊びの経験はあるが、海に行ったことはなかった。1.2.3歳を海に連れて行くのは命に危険がおよぶことが安易に想像できる。さらに残念なことに、私に泳ぐスキルがまるでないのだ。何かあった時に自分の始末すらできないわけである。したがって海での家族レジャーは選択肢に上がってこないのだ。

そんな年子たちが初めて目にした海は、OCEANと表現すべき常夏の太平洋。彼らの脳裏には「これが海というものだ」という視覚的イメージが焼きついた。その後日本の我が家近郊で目にする海に「これは海なのか?」というお問い合わせを受けることとなった。

Beachでは、じいじと父があーさん、みーこの海中担当。イニシャルDと曽祖母はばあば2人と母が担当しお世話をした。まだ小さい彼らは海遊びにそれほど執着しなかったことは幸いである。だいたい誰かが飽きて「帰りたい。。。」が始まる。帰りたい先がホテルでよかった。日本だったら旅行の最終日まで帰りたいに悩まされることになっただろう。

曽祖母、祖父母たちがそれぞれ観光に出かけている間は、親子5人の行動となる。父母の遠出したい気持ちをグッと抑え、「帰りたい・・・」に備えて近場のお散歩を繰り返した。良かれと思って連れて行ったHonolulu Zooは、Hawaiian Animalたちのやる気が見られず、さらに年子3人のライフも減っていき、ゾウガメの交尾を現地の子供たちが大笑いして見る群れに混じってただぼーっと眺めた思い出と、「歩けない・・・」子供たちを乗せたカートをただただ押す思い出しか残っていない。

食事問題も大変である。1歳〜80歳までが喜ぶ食事を見つけるのは私たち夫婦の役割だった。唯一成功したのは、パフォーマンス付き鉄板焼き店だ。全員が気に入ったこともあり、曽祖母財団もいることから足げく通うこととなる。

途中、祖父母が離島へリアルエスケープをかました日があった。曽祖母と年子3人のお世話は父母に任されることになった。ホテルの近場に水槽に囲まれた名の知れたレストランがあるのだが、そこで勃発したのが座る場所戦争、食べれない爆弾である。アメリカ圏のレストランでの暗黙ルールとして子どもに騒がせないというのがあるが、もれなくデシベルが発動した。ルールは一瞬にして破られた。食事もそれほど口に合うものがなく、ただただ疲れてホテルに戻った記憶しかない。日本人の高齢者と乳幼児は食や場所に関する冒険はしない、という生態調査をしに行ったのかもしれない。

その後デシベルは、ハワイの各地で発動した。有名な某ショッピングセンター内、レストラン、空港、もちろんホテルでも。唯一、海ではデシベルがおこらなかった。万が一発動したらみーこの顔は砂の線ができていたに違いない。生まれた時から水が好きだったのか、みーこはその後水泳にはまり18歳になるまで競泳選手として活躍する。

クタクタになりながらも、久々の海外の空気を存分に味わった。総合的には良い思い出として皆の胸に刻まれた。

つづく

次の更新は今週中を予定します。

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