年子3人忘備録16

[前回のあらすじ] 予測していた以上のドタバタ劇場を繰り広げたハワイ旅行から無事帰国する。

ハワイ旅行から遡ること半年、あーさんとみーこの七五三が執り行われていた。あーさんは満、みーこはかぞえの3歳である。着物はお宮参りにお祝いで実母が用意してくれたものと、さらに物持ちの良い実母が取り出した私の3歳時のものだ。着付けもヘアメイクも公園仲間に引き受けてもらった。当日は長襦袢でうろつく私をよそに着々と準備が進む様子が友人旦那による動画撮影で記録されている。

地元の天満宮にお参りに行くも、着慣れぬ着物にあーさんは機嫌も悪く、「もう脱ぐ」「疲れた」と笑顔の写真は少ない。反面みーこは気に入っていたのか文句もデシベルも出なかった。イニシャルDは着物を汚されなくない母に抱っこを拒絶され続けていたものの、両家の祖父祖母の集まるイベントに機嫌を損ねることもなかった。

赤子が生まれると何かと行事が多い。お宮参り、お食い初め、一升餅を背負わせるイベント、毎年行事の度に両家祖父祖母を招いた。両親にはたくさん世話になっているが、節目ごとに孫の成長を共に祝う場を設けられたことは恩返しになっていたかもしれないと今思う。とはいえ、七五三のイベントまで毎年お宮参りが続いていたことは両家祖父祖母にとって、嬉しいのか慌ただしいのかルーティンなのか微妙なところだ。

季節はイニシャルDが2歳になった秋、ハワイで買ってきたたくさんのお菓子や日用品も消費された頃、あーさんの入園面接が執り行われた。公園仲間とは違う幼稚園だったのは、旦那一族の卒園幼稚園が通える範囲にあったからだ。入園も決まり、幼稚園グッズは全ていとこのおさがりで賄うことができた。運命に導かれたこの選択は、母にとっても素晴らしい出会いをもたらすことになる。

この時期毎年悩ましいのがインフルエンザの流行だった。予防接種は公園仲間との恒例行事となり、それぞれの持つ情報網から「安い・早い・予約不要」のクリニックを見つけては、子ども10人くらいを引き連れたセルフ集団接種を実施してきた。不思議なもので子どもは、年上と自覚すると「なんとなく我慢する気持ち」が芽生えるようだ。泣き喚く年下の仲間を見て、半べそになりながらも泣くのを我慢する年長者を見て、母達はこのパターン楽でしかない、と味をしめたが、母子どちらにとってもセルフ集団接種は有益だったことに違いない。

日本で初めてハロウィンイベントが開催されたのは1997年にTDLだった。2000年には渋谷のスクランブル交差点での仮装が始まった。時を同じくして公園仲間の集合住宅でもハロウィンイベントが開催された。自治会員ではないものの、その集合住宅に入り浸っていた我が家は当然準備から参加、子供だけではなく母も仮装した。子どもたちの仮装は、魔女やおばけはもちろん、レンジャーもの、流行りのアニメキャラクター、動物、昆虫のコスチュームなど多様だった。このイベントは数年続き、その度に母は笑いを取るために必死に考えた仮装をして参加した。ミイラ男に扮した時は、泣く子が続出しひとり遠くのベンチに追いやられたがそれも子どもたちの脳裏に残る思い出だろう。

つづく


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