見出し画像

「できる」へ変える魔法ー岸田奈美さん『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』



読むまえから胸がいっぱい


ソファで のんべんだらり としながら見た Facebook。

弟が万引きを疑われ、そして母は赤べこになった』が
熱烈にオススメされていた。

なにがどうしたんだ!?と、ドキッとするタイトル。
バッと 起きあがって読んだならば。


聞いたことない 絶妙な 言い回し。
ぽんぽん繰りだされる たとえ。
息ができないくらい ヒィーヒィー 笑った。

登場するひとたちの あたたかさに ボロボロ泣いた。

家族を、周りのひとを、
心の底から信じる生き方にシビれた。

以来、その人の言葉を追いつづけてきた。


作家の 岸田奈美さん だ。
こちらのエッセイ集を出版された。
読まずにはいられない。


家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった

画像2

かわいいイラストで 岸田さんファミリーが大集合 の表紙。

見返しには赤べこたち。めくった瞬間から全肯定してくれる。

弟の良太さんがこころを込めて書かれたページ番号。


岸田さんや出版社のかたがどれほどの愛情で
手がけられた本か、読むまえから ひし と伝わってくる。


おもいのつまった本をかみしめるように読ませていただいた。


「できない」を「できる」へ変える強さ


岸田さんの言葉に何度も触れ、感じたことが。


「できない」「できる」へ変える 強さ だった。


言葉にすると ありがちな表現 になってしまうのが悔しいくらい、
岸田さんの ”体ごと飛びこむ強さ” には こころ揺さぶられる。

今回のエッセイでも 最初 から 最後 まで
「できる」へ変える力 が伝わってきた。



たとえば。
前職で、テレビ番組『ガイアの夜明け』に出演する
と決められたとき。

無名のベンチャー企業がなんの予兆もなく出演できるわけもないので、
とにかく、仕事が終わったら毎晩『ガイアの夜明け』を観た。
数年分観た。江口洋介が夢に出てきた。それでも観続けた。
「バリアバリュー」p.152


熱量がちがう。もはや熱量という言葉すら ぬるい気がする。
わたしは度肝をぬかれた。

いともサラリと書かれているが 数日分 ではない。
」単位なのである。
しかも仕事が終わってヘトヘトなところを、である。

わたしは、出演できると決定していても、ここまでできない。
なんの保証もないまま、自分のすべてを投入できる
岸田さんに ただただ圧倒された。



岸田さんは終始一貫している。

 絶対に あきらめない。
「できる」まで やる。


「できる」「できない」じゃない
「やるか」「やらないか」だ
と、よくいわれる。


うん。その通りだ。
でも「できない」に逃げようとするのが わたしだ。


だからこそ 岸田さんの
「やる」一択、の 潔さ にあこがれる。


大切なひとのためなら全力で
「できる」を 探す。


わたしはそういう岸田さんの
強さ や 愛情のふかさ が大好きだ。



好きに理由は ない というけれど



「できる」に変える方法 を模索する岸田さんに
なんでこんなに心惹かれるんだろう。

好き に理由は ない というけれど。

考えてみた。

それはわたしの
「できない」コンプレックスに由来するのかも、と
おもった。


謙遜ではなく、わたしは
小さなころから、ことごとく「できない」子どもだった。


ランドセルの中身を からっぽ のまま帰る。

体育のサッカー。
守ったつもりがオウンゴール。

リンゴの皮むきテスト。
「こわいから もうやめてくれ」と先生にお願いされる。


「わたしはたいていのことができない」
順調に自信をなくしていった。


そうして大人になったわたしは
運よく岸田さんの文章に出会った。

人と同じようにできない自分を、迷惑をかける自分を、
恥ずかしく思ったり、情けなく思ったりしていたのは、
誰でもない、自分だった。
「どん底まで落ちたら、世界規模で輝いた」p.48


本当にその通りだった。
自分が一番 ”うまくできない” 自分を 嫌っていた。

それでもいい と言ってあげられなかった。


でもいいのだ。

なにが できても できなくても。
どこの誰に なにをいわれても。
わたしはわたしを誇りにおもっていいいのだ。

そう思えた。

かたくなに閉じていた蕾が
岸田さんのあったかい光で ふわっと花ひらいた。

岸田さんが文字で魔法をかけてくれた。



それだけじゃない。

この本には、
「できない」を「できる」に変える方法 が、強くなる方法 が、
岸田さんの体験を通して 書いてあった。


わたしのテンションがあがったエピソードを引用させていただく。

岸田さんが幼稚園のときに買ってもらった
”言葉を覚えるぬいぐるみ” 「ファービー」 が
英語版 だったときのお話しだ。

まず、母の本棚から、和英辞典をキャッツアイ(拝借)した。
(中略)
わたしとミナちゃんは、一心不乱に辞典を引いた
ファービーと遊びたい、ただそれだけだった。
「先見の明をもちすぎる父がくれたもの」p.93-94

こんなことある?ってゲラゲラ笑った。
幼稚園の頃って ひらがなも危ういと思うのだ。

わたしは 辞典の存在すら 知らなかった自信がある。
岸田さんとミナちゃんの「できる」変換力がハンパないのである。

そして英語版をプレゼントして新しい世界を
開いてあげるお父さんの 愛情にグッときた。


(完全に余談だが、わたしもファービーが欲しくてたまらなかった。
おねだりしたところ「どうせすぐ飽きる」と一蹴されたため、
ガチャガチャで 偽ミニファービーを買い、気持ちを落ちつけた。)



これを受けて
先ほどのわたしの黒歴史も 癒されていった。


ランドセルの中身忘れちゃうの?
だいじょうぶ。ランドセルの中身が入ってるか
帰るまえに もう一度 見ればいいよ。
心配だったら、お友だちにも見てもらうといいよ。


という具合に。


最初からできなくったっていい。
何回でも「できる」方法を考えればいい。
ときには人を頼っていい。


わたしのこれまでを 赤べこのように
「うんうん」と全肯定しつつ
アドバイスをもらった気分だった。


うれしい。

一度ダメだったらそこで行き止まりじゃない。
またチャレンジしていいのだ。


読んだひとに渡される言葉の花束



岸田さんのおかげで 黒歴史 が 癒えてきた。

どうして岸田さんの文章を読むと こんなにやさしい気持ちになるんだろう。
岸田さんの やさしさ、強さ の源はなんだろう?
1mmでも近づけないだろうか。 図々しいのは百も承知だ。


ヒントがほしくて、本を読みなおす。
お母さんの この言葉に 凝縮されている 気がした。

人を大切にできるのは、人から大切にされた人だけやねんな。」
母はしみじみいった。
「家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった」p.214

わたしは岸田さんだけでなく、ご家族のことも大好きだ。
そこにはいつだって人を いたわる 温もり がある。


どんな状況にあっても、
あらゆる方法で 愛情 を注がれてきたご両親と、
それを大切に感じ、受けとってきた岸田さん。


その絶対的な 愛情 を。

岸田さんは ご家族だけでなく、
周りのひとたちへも渡してくださっている気がするのだ。
いっさいの出し惜しみなく。


岸田さんの言葉には 愛情がぐるぐると かけめぐっている。

読んだひとは、言葉の花束 をもらった気分になる。
満たされ あふれた花束を、誰かに手渡したくなる。


自分が渡せるのは 一輪の花 かもしれない。
会う人に笑顔であいさつするとか。
家族に「いつもありがとう」って言ってみるとか。

ほんのささいなことかもしれないけど。


それでもいいのだ。
なにかしたいと思ったということは。
自分もまた はちゃめちゃに 愛され、大切にされた証なのだから。

このことに気づいたとき、自然と涙がでた。
もっと正確にいうと
どこかで知っていたことを、ようやく認められた気がした。


どうしようもない安心感。
ぐらつかない 自分の核 ができた。


岸田さんや、良太さん、ひろ実さん、浩二さんの存在の
おかげだ。



余計なお世話だけど、わたしのように
「なんか 自信がもてない…」という人は、この本を読んでみてほしい。



自分は 愛されている こと、
自分には 愛がある こと、

を実感できると思うから。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

岸田さん、ご家族のみなさん、
本の製作に関わってくださったみなさん、
本当にありがとうございます。


わたしのお守りのような本として
たいせつ にしていきます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?