見出し画像

『竹藪の話』

僕が住んでいるこの町には、一角だけとても不思議な場所がある。それは、ビルとビルの間に挟まれるように存在する小さな竹藪。

学校の登下校、僕は毎日その前を通るのだが、中に入ったことはない。正直、じっくり中をのぞき込んだことすらない。学校でも近寄らないように言われているし、みんな口には出さないけれど友達も誰も何かしら良からぬことがある気がして近づかない。

まだ僕が幼稚園に行く前の小さいころ。
この町の民話のような昔話を、集会所の「こども読書会」で聞いたことがある。それはこんな話だった。

噂のうわさ。
誰が伝えたかはわかっていない。小さな不気味なあの竹藪に入ると、竹藪の中にある池の化け物に喰われてしまうそうだ。本当の話かどうかはわからない。行った者は、二度と帰ってこないのだそうだから。
ただ一度だけ、あの竹藪に入って帰ってきた若者がいた。
若者が言うには、竹藪自体はとっても小さい。ただ、いったん竹藪の中に入ると吸い込まれるように追い風が吹き、あっという間に円形の広場に体が放り出されるのだそうだ。
そして池が真ん中にある。池をじっと見つめていると、どこからかきれいな声が聞こえてきた。

「おまえはだれ」

若者はとんでもなく肝を冷やしたが、気を取り直して答えた。

「この村に住む伝五郎という」

「伝五郎」

「そういうそっちは、だれだ」

「知りたい?」

背中をくすぐるような甲高い笑い声に腰を抜かすと、伝五郎の前の池から大きな蛇が出てきた。

「お前はおいしいかい?」

女の顔をした蛇が、そう質問してきたので、

「やせっぽちだから、旨くないだろう」

と答えた。蛇はフフフっと笑うと、

「おもしろい。本当は姿を見られたら必ず食べるんだけれどね。
代わりに、今度来る時においしそうなやつを連れておいで。そうしたらお前を助けてやる。もし連れて来なければ、お前を食べる。約束できるかい?」

伝五郎はうなずくと、途端に気を失った。今までいたはずの竹藪の、入口の土の上で目が覚めた。
きっと夢だったにちがいないと、伝五郎はいつも自分を馬鹿にする村の若者たちにその話をした。

「そうか。それは面白い。じゃあ他に何人か連れて、竹藪に行ってみようじゃないか」

伝五郎は止めたが、竹藪の入口に五人集まった。

「やめた方がいい。どうせ俺は夢を見ただけなんだ。噂を信じすぎて、妄想を見ただけなんだ」

「いや。昔から気になっていたんだ。本当に大蛇がいるのなら、退治してやらないといけない。もしお前の夢だったのなら、その時はおぼえておけよ。いつものように木に逆さづりにしてやるからな」

村の若者たちは言い出したら聞かず、伝五郎は渋々後ろを付いていった。彼らはどうせ嘘だと思いながら、伝五郎を逆さづりにしたいだけなのだ。
しばらくすると風が吹き、いつの間にか池の前に佇んでいた。

「この池か?」

伝五郎を含む若者六人は、ごくりと生唾を飲み込んだ。風が止んだのに、池に白波が立った。全員の視線が池の中心に集まったその時だった。

「ほほほう。お前はちゃんと約束を守ったのだなあ。なあ、伝五郎」

皆が伝五郎を振り向く。が、声が聞こえた次の瞬間に蛇の首がにょろりと伸び上がり、五人の若者を一口で飲み込んだ。抵抗する暇もなかった。

「旨い旨い。久しぶりのご馳走だ。伝五郎は本当に約束を守るいい男だなあ」

伝五郎は恐怖におののき、無我夢中でその場を立ち去ろうとした。しかし、大蛇はものすごいスピードで首を伝五郎に絡ませこう言った。

「お前は助かったね。友達を売って助かったね。皆に意地悪されていたんだもんね。良かったね。お前は食べられなくて良かったね。好奇心で来た池で、わたしと約束をし、自分が食べられないように若者に興味のありそうなこの池の話をして、まんまと連れてきた。お前は気弱そうな顔をして、実は策士で自信家だ。正直者の顔をして、嘘つきだ。この池の話をすれば、若者は興味を持つだろう。そして自分は痛い思いをせず、自分に意地悪した奴に痛い思いをさせて好奇心を満たしてうれしいだろう?食べられるところが見られて、うれしいだろう?お前なんか喰わなくて良かった。腹黒いお前なんか喰わなくて良かった。本当、まずそうだ」
そう言うと、大蛇は池の奥底に帰っていった。伝五郎はまた気を失い、知らない間に竹藪の外にいた。

「フフフフフ」
伝五郎は一人、笑ったのだそうだ。
そんな話だった。

そして中学生の僕は今、竹藪の外にいる。
本当に大蛇がいるのなら、
僕をいじめるあいつらをここに連れてこようと思っている。
「フフフフフ」
僕は一人、笑った。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?