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彼は絶えず無益な考え方を捨て、有益な考え方を育み続ける。
その意思は確固として揺らぐことがない。
その努力を放棄することは断じてない。<経蔵増支部>


心というものは、使い方1つで毒とも良薬ともなります。

その効果は良くも悪くも那由他の如く、人の命を左右します。


少々、下世話な私の過去のお話です。


社会人になりたての23,4歳頃だったと思います。


私は当時転勤族で、何故か1人だけ同期とは被る事のない地へと赴任いたしました。


特に趣味もなく、暇が出来れば、パチンコや夜の街へ繰り出す
破天荒な道を歩んでおりました。


ある日、夜の錦3丁目を歩いていると例の如く
キャッチの少女と出会いました。

季節は冬、バニーガールの恰好をしたとても綺麗な顔立ちの少女でした。

名前を「なな」と申します。

あまりに寒そうだったので、一緒にお店に入る事としました。

良く見ると、バニーガールの代名詞である

うさ耳のカチューシャが折れていたのです。

何を思ったか、私はそれを預かり修理し、後日再び店に足を運んだのです。

これが今思えば、ある種の運命だったと今では感じます。


それを機に、私は仕事終わりにどれだけ疲れていようが
お店に出向いたり、プライベートで食事や映画に行ったり
果ては、ボーイに代わり送迎を行ったり、徹夜で運転して夜の海に行ったりと交流を深めるようになったのです。


しかし、半年ほど経ったある日

出会いも出会いだった為、私は徐々に「カモられている」のではないかと疑心暗鬼となっていきました。


事実はもう分かりません。


ただ言えるのは

私の生活や精神がこの上なく満たされた事は事実でした。



さて、話を戻しましょう。

極度に一点に集中する力

それは、確固とした目標を持つ事に違いありません。


確固とした目標を持つ人は、無益な気晴らしにエネルギーを浪費せず
後ろ向きな考え方にしがみつく事もありません

役に立たない目標を捨てて望ましい目的に心を集中すれば、成功は約束されたようなものだと、ブッダは言います。


私の場合

心が楽しく有意義だと考えられたからこそ、肉体的疲労を感じず
ただ直向きに目的の女性に気に入られたいと思ったあの時間は記憶に残り続けるものとなりました。

当時の私は

「女という存在は私に無限の力を与えてくれる」
「命を削って全力で遊んでいる」

この2つが座右の銘となっていました。

でも本当は

「心の方向性」がそう感じさせてくれたのだと、約8年程経ってから気付いたのです。


心の方向性は自分自身でしか決める事はできません。

人生を幸せに生きるためには
長い時間ではなく、心の質で決まるのだと

あの経験は教えてくれました。

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2020年6月16日 26:59

1人では何もできないからこそ、人の助けが身に沁みます。