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想像現実 02 想像力診断士

 ふーっと息を吐いて、小島由紀はYWYをデスクに置いた。由紀の仕事は想像力診断士、ロールシャッハテストや画像診断のようなものをYWYを用いて被験者が思い描いたイメージから性格その他を診断する仕事。以前は画像診断士をしていた。YWYの普及に伴い、ダイレクトに思い描くものを確認できるということで今企業が注目しはじめている。被験者の正直に思い描くイメージがその場で観れるため診断の正確性評価が高い。けれど今日の仕事は本当にキツかった、企業の依頼で採用候補者の想像力診断を請け負っているのだが、本日対応した4人の候補者の中で今までに見たことのないイメージを描く男がいた。それを何に例えればいいのだろう。一言で言えば邪悪。対象者にいろいろな言葉や映像、写真から思い描くイメージをリンクで共有して見せてもらい、適性やらなんやらを検証するのだが、今日見たそれは心の底から嫌悪感を抱かせるドス黒いものだった。あのイメージを上手く言葉にすることが出来ないし、したいとも思わない。この仕事について初めて後悔を感じた瞬間だった。時にセクシャルなイメージを描く被験者もいるが、性と生は人の根幹に関わる部分でもあるのでそれを元に診断することは、ある意味慣れてしまっている。
 コーヒーをドリップしてカップを口に運ぶ。酸味と苦味が少しだけ気持ちを落ち着つかせてくれる。イメージを録画したものを見て検証しなくてならないのだが、どうしても再生ボタンを押す気になれない。心が押すなと言っている。自分のDNAが、生態系が、受け付けないと言っているのだ。仕事柄、凶悪犯や異常犯罪者のイメージを検証したこともあるが、整合性がなかったり単純な黒壁だったりおかしいけれど、それでもそれなりな訓練を受けている事もあり、それを見て特別な感情を抱くことはなかった。だが今回はそれが出来ないのだ、どうしても嫌悪感を抱いてしまう。
 男の名前は飯田祐樹28歳。見た目はいたって普通。印象が薄い感じはあるがそこまで暗いとか偏執的な感じもしなかった。明るいというわけでもないが本当にどこにでもいる青年の印象。Tシャツとチノパンという服装は実年齢よりすこし若く見せていた。髪の毛も不潔な感じはなく、爪も綺麗に切られていた。そう、本当に普通な男性。よほどの知り合いでもなければ、記憶に残らないような平均的な男。その男からあれほど強烈なイメージ描かれるのだ、イメージを描くことは見た目とは関係ない。派手な服装でも描くイメージはおとなしいものだったり、一見地味そうでも描くイメージはド派手という人も結構いる。当然イメージはその人の想像力、つまり何を模倣しようともその人の内側から出てくるものだが、その時の気分にも左右される。なので思い描いたイメージがそのものズバリその人の性格や思いを反映するわけではなく。そのイメージの裏や中身を検証していくことで深層心理に近づいていく。SF小説にあるような、人の心の奥にダイブしていく感覚に近いかもしれない。SF と違うのは描いたイメージを3D録画し、上下左右裏側に回り込んでそのイメージを見て検証してパターンを見つけ出し診断していくということで、物理的に被験者に関わるということはない。以前の画像診断に比べてもかなり詳細にレポート出すことから、仕事の配置や適職、役職決定にこのレポートを活用する企業が増えてきている。IR が広まり始めた時代は、イメージが描けるだけで重宝されたが現在では描けて当たり前で、どれだけ変わっていくかの将来性や、どの辺りが限界かなどを事前にある程度検証することでの伸びしろを評価するのだ。ひと昔前に健康状態を検証するために遺伝子から将来の病気の可能性を探る技術が脚光を浴び始めた時に似ている。なのでこの仕事も近い将来AIにとって代わられるだろうと由紀は思う。ただそれでも良いと思っている。そんなに長く続ける仕事ではないと感じているから。日々人のイメージを見続けることで、プライベートで出会った男も、どうしてもどんなイメージを描くのかが気になってしまい、恋愛に発展しない。仮にその人のイメージを見たとして、深層に見えるものをつい診断してしまいたくなる欲求に勝てないとわかっているから。イメージの診断は明日にすることにして、身支度を整えオフィスを出た、扉を閉める時、誰もいないオフィスの窓に一瞬あの嫌なイメージが見えた気がして急いで扉を閉めた。今夜は強いお酒が必要だ。
 翌朝は少し二日酔いで目が覚めた。コーヒーを飲みながらメールを開くと昨日4名の診断依頼をしてきた会社からメッセージが届いていた。
 小島先生
 お世話になっております。
 昨日診断依頼をした4名の中の飯田祐樹君に関しまして本人から辞退の連絡がありましたので、診断は残りの3名でお願いいたします。ここまでの費用はお支払いいたしますので今後ともよろしくお願いいたします。
    株式会社 セイン 田中哲也 
 ほっとした反面、あの男はこれからどんな仕事につくのだろうと気になった。心に闇というのも生ぬるい底なしの闇を抱えて。とにかくあのイメージを見なくて済む事で気分が軽くなり二日酔いも軽くなったようだった。
 一人づつ診断をこなし、レポートにまとめる。3名の中では一見地味だけど、内田圭太という男性が秘めている可能性が一番高いと感じた。その”感じた”という印象も重要なファクターで、そこが診断士という職業を成り立たせている部分でもある。だいぶ話がそれてしまうが、姓名判断という占いがある。姓名判断というのは統計学で数字にまつわる吉凶や意味で占いを行うのだけれど、名角、主角、総角など名前に出てくる様々な数字を組み合わせてストーリーを構築していく。同じような数字が出ることは稀なので、悪い数字、良い数字、すごく悪い数字など、組み合わせによって意味が変わる数字の意味を拾って物語を作る。その場合それぞれバラバラな数字の意味を紡いで一つのその人の物語を作るあげる必要がある。これはたくさんの人を実際に占うとリンクが強くなり、自然と物語が出来上がってくると聞いたことがある。それと同じでたくさんの人のイメージを診断していくうちにデータとは違う何かのアルゴリズムが自分の中に構成されて、そこに見えない不確定要素を照らし出すことができるようになるのではないかと私は思う。
 まだ明るいうちに3名の初期診断レポートを作り、明日の二次診断の診断士データを送る準備をする。体調やその日の気分などイメージには些細な要素も影響するので、数日に分けて数回の診断を数人の診断士で手分けし、それらを統合して診断する。私は今回は1回目の初期診断を担当していた。データを送付したので新しいコーヒーを入れた。ランチで食べた天せいろが多かったのか、昨晩の酒のせいか胃が少しもたれている。窓の外数キロ離れたところに明治神宮の森が見える。ビルの谷間に浮かぶ濃い深緑の森の上空にはカラスが数羽飛んでいた。スピーカーの音を少し大きくする。Fiona AppleのAcross The Universeがオフィスに色を足していく。少し余裕ができたのでデータを整理することにした。過去のデータをアーカイブして暗号化してクラウドにUP。ふと昨日のデータに目がいく。飯田祐樹。怖いもの見たさとはこういうことを言うのかもしれない。もう2度と見たくないと昨晩はあれだけ思って、テキーラで誤魔化したのに、もう一度だけ見てみたいという気持ちが止められない。データに何か力があるわけでも貞子が出てくるわけもないし、今後の参考に検証するだけ。そういろいろ言い訳をしてYWYを装着した。メンタルを安定させる診断士に配給される錠剤をのみ、再生ボタンを押す。
 やはり形容できない。漆黒の中にうごめく異形の細かな生物の集合体。生命と言ってよいのか、海洋生物の繊毛が一本一本意思をもって動いているような塊。常に形を変える。常に形を変え続けていれば少しくらい、あ、なにかに似ている!的なことがあっても良さそうなのに、全く思いつかない。ラヴクラフトのクトゥルフ神話に出てくる異世界の太古の神々ってこんな感じなのかもしれない。細かな繊毛のようなもの1本1本が私の心から光を吸い取っていくような気がする。気持ちを強く持つのよ。引っ張られてはだめ。あの男の精神の何がこのようなもの生み出すのか細かく検証したい。よく見てみると昨日は気がつかなかったけど、繊毛が時折胞子のような物を吐き出している。その胞子は空間を泳ぎ、周りのソファや壁に付着する。そして増殖を始めるゆっくりと。あくまでイメージ上の話で実際に付着するわけではないのだけれど、消毒したい気持ちが止められない。いったん再生を止め消毒スプレーでソファを拭いた。意味のないこととわかってはいるけど、そのままにしておくのは嫌だった。再び再生してみる。もう少し近づいてみる、細部を拡大すると繊毛のうようなものがさらに細かい繊毛のような物で出来ていることがわからる。なにをイメージしたらこんな細かなところまで想像できるのだろう。フラクタルのように拡大し続けると繊毛はそれよりも小さい繊毛で構成されその全てが意思を持ったように蠢いている、目の前の空間を覆い尽くされていく感覚、底なしの闇に愛撫されるような感覚。YWYを外しトイレで吐いた。吐瀉物まで黒いように感じた。現実に戻っても感触が残っているような気がする、実際にはIRにまだ感触を表現する機能はないのだけれど、強いイメージは感触や匂いまで感じさせることがある、錯覚ではあるが実際に感じたように思ってしまうのだ。黒い色の液体、そうコーヒーはしばらく飲めそうにない。
 翌日。飯田祐樹をWebで検索してみた。初期診断には、印象にフィルターがかからないように、生活環境などの個人情報は送られて来ない。総合判断を担当する診断士のみだ。ただ今回は途中で辞退してしまったので、その診断士のところにもデータはないだろう。たとえあっても見せてはくれない。当たり前だけど守秘義務があるので私が逆の立場でも絶対に見せない。検索で同じ名前は数件出てくるがどれも違う。SNSもなにも使っていないようだ。ハンドルネームはわからないので、私の面接時の記憶の画像を構築して飯田祐樹の写真データを作り画像検索をかける。いくらSNSなどに自分では登録していなくても、グループ写真や学校行事などの写真を不用意にUPする人間はいくらでもいる。検索の結果が表示される。ビンゴ!学園祭の写真が表示された。端っこで目を伏せている男。飯田に間違いない。八王子の大坂学園学園祭。この写真をUPしている人物はmanamin8956 検索をかけるとすぐ本名が出てきた佐藤愛美、世田谷区在住 独身 趣味 旅行 スイーツ食べ歩き。って私は何をしようとしているのだろう。探偵でもあるまいし、飯田を調べたところでこの先何か接点があるはずもない。確かに気になるイメージデータだけれど、ここで諦めて忘れた方が良いんだ。そういい聞かせてファイルを閉じた。その時スマートフォンが鳴った。
 
 友人の診断士、狩野真紀子の誘いで恵比寿に食事に来た。渋谷区だけあって男性同士のカップルや、女性同士のカップルが目立つ。狩野と私もそんな風にみえるだろうか。肉料理メインの店の内装はキャバレーを模した赤と黒メインのデザインでワインのメーニューが豊富だった。最初のワインが注がれると狩野が話始めた。
 「小島さん、あなたセインの候補者の診断してない?」
 突然の質問に驚いた、普段仕事内容に関しては話さないのが暗黙の了解だった。
 「まあ、そうだけど、どうしたの急に。」
 「やっぱり、今日2次の診断予定だったんだけど、急に中止になったのよ。知ってる?」
 「え、 どういうこと?何かあったの?」
頭の中に飯田の顔が浮かぶ。でも飯田は辞退したはずだから今日は関係ないはず。
 「全員から辞退の連絡があったのよ。で候補者たち全員が怖いって言うんだって。あなたが初期診断をしているとしたらなにかを知ってるかもと思って。」
飯田だかもしれない、でも辞退してる飯田の何を怖がることがあるんだろう。
 「正確に言うと怖いっていうのは言い訳で、なんか仕事をやる気がなくなったってことらしいのだけれど。」
 それなら少しわかる気がする、だけど被験者同士はイメージを共有していないから飯田のことなんて知るはずがないのになぜ。
 「最初に辞退した人。人としてはは普通だったよ。ただイメージは見たことがない感じだった。なんというかあまり思い出したくないというか、ただイメージの接触はないから他の候補者に、なにか影響が与えたとは思えないけど。」
 「そうだよね。被験者同士の接触は考えられないからクライアントはあなたを疑ってるらしいのよ。」
 「えっ、あたし?なんで?」
 「あなたが被験者のデータをなにかの形でリンクしたんじゃないかって、疑っているって言ったけど、そこまでではなくて、本部もそんなことはないと思っているようだけど、時系列で考えるとそのタイミングしかないということでああなたの所かその前後での接触しか考えられないってことらしいのよ。多分明日あたりに連絡があるんじゃないかと思って情報を入れようと思ったのよ。」
「ありがとう。その彼のイメージがすごく特殊だったので気になっていたんだけど、診断がキャンセルになったから報告するまでもないと思っていたけど、そういうことなら明日話してみるわ。ありがとう。なんかとても話づらいんだけど、今まで見たことのないようなイメージだったの。嫌な気持ちにしかならないとしか表現できない。」
「了解。でも大丈夫?小島さんなんか感じがいつもと違うから、失礼な言い方だけど心ここにあらずで感情を感じられない顔をしているので心配。なんか能面みたいよ。」
 昨日嘔吐したことは内緒にしておこう。
「うん、大丈夫だよ。昼食べ過ぎて調子悪いだけ。」
 店の黒い壁が蠢いて見えることは絶対に言えない。食事をして別れて家路に着いた。
 実はあの日から家の電気を消せずにいる。闇が怖いのだ。強い酒なしでは眠ることができない。こんな時に家族がいればどれだけ心強いか、独り身の寂しさをこんな形で実感することになるとは思わなかった。テキーラを流し込みながら影を恐れる。家具の影、扉の影、花瓶の影まで全てに光をあてたい衝動にかられる。デビルマンという古い漫画の中に、人は原始の時代から闇を恐れるというフレーズが出てくるのを幼い頃読んだことを思い出す。なんだかリアルすぎる。

 翌日オフィスに着くと電話が鳴った。狩野の言った通りだった。想定していた言葉を返して、状況を説明した。一つだけ飯田のイメージを送ることだけはしてはいけないことだと感じて、キャンセルになったので飯田のデータは消去したと嘘を着いた。残りの3人のデータを検証して異常がないかを再度検証する約束をして電話を切った。なぜ嘘をついてしまったのか、このイメージだけは人に見せてはいけないと感じたから、人の精神に関わる何か根本的ななにかに関わることのような気がした。数年前に知り合った国立の画像解析研究機関の人、確か名前は大木さんだったを思い出し相談のメールを入れた。以前学会での公演を聴きその後のパーティーで少しだけ話をさせてもらった。替彼の描くイメージは素晴らしく綺麗で飯田のイメージを払拭する時に最初に思い出したのだ。残りの3人のイメージの検証を始めた。当日のことを思い出す。最初の被験者が飯田だった、そして2番目が山口、次に佐藤、内田と続く。まず山口のイメージから検証した。特に特徴のない幸せそうなイメージを作り出していた。少し良く思われようとしているのか流行りの色使いを意識してイメージを組み立てている。続いて佐藤のイメージ。レーザー光線のようなシャープなイメージ。で見たものを的確に色と光の幅で表現している。
再度見るとより鮮明に感じる。ん、何か違和感を感じた。何だろう角度を変えて検証する。
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 佐藤のイメージのその先の椅子に黒くうごめくものがいた。ちょうど佐藤が座っていた椅子のところ。飯田のイメージだ。なぜ?ありえない。被験者同士はリンクしていない。控え室ではYWYの使用は禁止している。イメージでシンクロすることはありえないのだ。でも現実に佐藤のイメージの中に飯田の闇が巣食っている。山口のイメージを見返す。ここにもいた。佐藤より時間的に早いのもあって小さいが確かに飯田の闇がいる。内田のイメージではなぜそれに気がつかなかっのかというくらいの大きさで闇が広がっている、イメージで描くオブジェクトにしか意識が向いていなかったので回りに気がつかなかった。
 だがこれではっきりした。媒体は私だった。
 どういう仕組みなのかはわからない。検証時私もYWYを装着しているが閲覧をするだけで、被験者のイメージへリンクしてアクセスすることはない。なので飯田のイメージが私のIRに侵食することもないし、まして私から他の被験者になにかを送ることもできない。飯田が座っていた場所やこの部屋に何らかんの物理的なものを仕掛けていったという可能性も考えたがビーコンやRFIDのようなものからオフラインYWYにハックするような技術は聞いたことがない。飯田のイメージを見てしまった私が媒体となり残りの被験者3名のイメージに影響を与えてしまったのかもしれない。どの被験者ともテーブルを挟んで向かい合わせで話をする。テーブルモニターに画像などを出しそこから連想するイメージをYWYで具現化してもらうというのが診断方方法だ。一人目の飯田のイメージを見て私は少なからず動揺した、それが表情その他に現れ、残りの被験者に不安な印象を与えたのかもしれない。いや、落ち着こう。言っていることが矛盾している。オフラインの被験者の思い描くイメージに意図的に介入することができないということは解っているはず。質問の内容、話し方や音楽名などでイメージをある方向性に誘うということは想像力治療の世界では行われ始めているが、だからと言って先日のような診断で飯田のイメージを残りの被験者に植え付けるなんてことは不可能だ。客観的に無理がある。なのにそれでも自分が媒体だったと思うのだ。確信に似た感覚でそう思う。当然他の可能性も考えた。残り3人のデータには本当は飯田のデータなんて侵食していないのではないか、また、そもそも飯田のデータもそんな気持ちの悪いものではなく、全て私が見ているだけのイメージなのではないか、私が壊れてしまい、あるはずのないイメージを幻覚として見ているだけではないか、そうだとすると壊れた私という診断士の診断を受けたために4人は辞退をした可能性もあるのではと、。そちらの方が現実的だと思う。ただどうしてもそうは思えない。精神に異常をきたした人間がいくら自分のことを肯定しても意味はないとわかっている。その方が世界も平和だし私が治療を受けることで解決するはずだ、だが保身のためにそう思いたい訳ではない、想像力診断士としての責任として、もし飯田のイメージが私の感じているものだった場合、少し接触しただけでイメージ伝染してしまう可能性がある。このイメージが人どういう影響を及ぼすのかわからないけれど、人に見せてはならないということだけはわかる。自分でなんとかしないとならない。診断レコーディングのファイルを開いた。診断の透明性を担保するために被験者の見ている世界を録画しておくことが義務付けられている。まさに私が特定のイメージを描かせるように先導していないかなどということを検証するためのものだ。飯田の診断レコーディングから見てみる。私がいる。最初に受けた印象のようにいたって普通に対応している。少し先に送る。飯田のイメージが現れて来た。それをみる私の表情が曇るがそれほどの動揺は見られない。当然だそういうトレーニングを受けているのだから、飯田の診断が終わる。次に山口のレコーディングを再生する。私が写っているが違和感がある。なんだろう。狩野に言われた言葉が蘇る”感情を感じられない。”。いつもの私のようだが、、、表情がない。なんだか能面のような、CGと実写との境目を不気味の谷間と呼ぶがまさにそんな感じだ、会話は普通にしているのにロボットのような感情が欠如した顔。佐藤、内田と時間おいて徐々に感情が戻ってきているようには見える。洗面所に立ち鏡を見る。表情がこわばっているように感じる。顔を背ける。自分の黒目の中に飯田の繊毛が動いているような気がするのだ。水を飲み席に戻った。ビリーアイリッシュの曲をかける。正直曲は耳に入ってこないが、不安が余計に増す。整理してみよう。まず飯田の診断をしてあのイメージを見て動揺した。その動揺を引きずりながら残りの3人を診断したそのために、3人のイメージに飯田のイメージが入り込んでしまった。いや仮定が多すぎるし私の動揺が3人のイメージに介入できる方法がわからない。だが実際に4人とも辞退している。そもそも飯田のあのイメージはなんなのだろう。責任と言ったものの、何をどうすればいいか考えられない。ただ、そこにイメージがあるのだ。私の幻覚なのか、特殊なイメージなのか、そのイメージを検証診断して答えを出す以外ないのだ。仮に私の作り出した幻覚だとしたら、それにも理由があるはず。私が正常で飯田のイメージがあの通りだとしたら、なぜあんなイメージを作り出すのかの答えを見つけななくてはならない。それが心の闇ならばその原因を見つけて治療させるかしなくてはならない。私の平穏な日常を取り戻すためにも。
 本部からメッセージが入った。送った3名のデータに不具合があると、3名に共通してノイズのような黒い塊が入ってしまっているので再送してほしいと、、闇は本当にあったのだ。
 もう怖いとか言っていられない。翌日からスケジュールをキャンセルして休みを取り、飯田のイメージの解析を始めた。見れば見るほど取り込まれそうになることを必死で耐えなくてはならない。食事もほとんど喉を通らない。どれだけ拡大しようがずっと繊毛が広がっていくうごめく闇。やはり本人を知らないとこれ以上は難しい。以前調べた飯田の友人らしき人物にあって話を聞いてみよう。無表情を隠すためにいつもより厚めにファンデーションを塗って、マスクにサングラスという怪しい格好で出かけた。佐藤愛美は下北沢のカフェの店員をしているようだった。小田急線で下北沢へ向かう電車のなかでもなるべく人に接触しないように気をつけた、住宅街が窓の外を流れていく。数日前までは何も感じずに生活をしていたが、今この無数のマンション、住宅に暮らす人々の平穏を願う自分がいる。下北沢の駅を降りたのは学生の時以来なので何年ぶりだろう。若者が楽しげに行き交う通りを一人だけ闇を持って歩く気持ちは言葉にしにくい。花粉やpm2.5などの影響でマスク姿はそれほど違和感なく溶け込めている感じがする。飯田はあの時に初めて自分のイメージを見たのだろうか、具体的にではないにしろあの闇を抱えながら生活していくのはどういう気分なのか、あの必要以上に会話に避けるの姿勢も関係しているのだろうか。直にあって話をしたい。佐藤の働くカフェは駅から三軒茶屋方向に10分ほど歩いたところにあった。サラダの種類の多い今時のカフェという感じで明るくオープンな雰囲気だ、こういう場所なら食べれるかもとコブサラダとソーダを注文した。マスクを外しサラダを少し食べた。残りの3人は大丈夫だろうか、ふと内田たちのことが頭をよぎった。彼らも辞退している。同じようにこのイメージに苦しめられているのではないか、自分のことではなく彼らのことを先に考えるべきだった。私はまだ良いのかもしれない。原因がわかっているから。彼らは何がなんだかわからないまま言いようのない不安に苦しめられているかもしれないのだ。私に出来ることがなにかあるのかわからないけど、何かをしなくては。
 ランチが落ち着いて店内に客がまばらになったのを確認して、佐藤愛美に声をかけた。
「すみません、佐藤さんですよね。突然お声がけして申し訳ありません。私想像力診断士をしています。小島と申します。お知り合いの飯田祐樹さんのことで少しお話を聞かせていただけないでしょうか。」
名刺を差し出す。
「はあ、。」
 警戒しているというほどではないが、不審がられていうのはわかる。
「飯田祐樹。って人知らないですけど。」
「申し訳ありません、私飯田さんの想像力診断を担当していまして、あまりにも情報がないので検索をかけたらあなたのSNSに飯田さんが一緒に写っている写真がUPされていたので。もしかしたら何かお話を伺えないかと、この写真です。」
スマフォの写真を見せた。
「ああ、この写真。ああ、これ学園祭だ高校の。思い出した、クラスとかは覚えてないけど同じ学園にいた子です。でも診断されているなら直接本人にいろいろ聞けばいいんじゃないですか?正直あんまり知らないですよ。話したこともないし。」
「ありがとうございます。正確に診断するために本人に直接聞いてしまうと、イメージに影響が出てしまうことがあるので、こうやって調査をして人となりだったり、その方の過去に大きな精神的な思い出につながるような出来事を調べて診断に活用するんです。」
まっかな嘘だが案外通常の診断にも役立つかもなどと考えてみる。
「へぇ、そういうもんなんですか、すごく大変なんですね。なんだか探偵みたいですね。」
「そうですね。飯田さんのこと知ってそうなお友達を、紹介していただけませんか?お話を伺えたら大変助かります。」
「うーん。すぐに思いつかないですね、どんなグループと仲よかったとかも知らないんで。なにしろこの写真見るまで思いだしたこともないですから。あ、そうだ、なんか一部の女子からモテてたって話があったかも、なんであんな暗いやつがって男子が話しているのを聞いたことがあったかも、確実な記憶じゃないですよ。その彼じゃないかもしれないし。」
「そうですか、、大坂学園ってどんな感じの学校だったんですか?」
「いや普通だったと思いますよ、そこら辺りによくあるほんと特徴も特にない。そうだ、唯一あるとしたらサッカーが強かったくらいですかね。あとはうーん。なにかあるかなぁ。誰かその彼連絡取っている人いるか今度聞いてみますよ。」
世話好きなのだろう。学生時代もクラスの人気者だった感じがする。明るくて面倒見がよくサバサバした性格。
「ありがとうございます。もし誰かと連絡がついたらこちらに連絡いただけますか?」
名刺を渡してお店を後にした。そんなものだろう。私だって学生時代のクラスメートの半分以上忘れてしまっている、街であっても多分気がつかない。イメージに出来るくらい印象に残る人や風景、情景はそんなに沢山ないんだ。特に楽で楽しかったことは、ほとんど覚えていない。何かトラブルがあったとか、何かを苦労して克服したとか、ひどい目にあったとか、悲しい思いをしたとかの方がよく記憶に残ってイメージしやすい。楽しいとか幸せな気持ちはなんだか漠然としたイメージで抽象的なことが多く、逆のことは詳細なイメージまで描けることが多い。そう考えると人は負の記憶を積み重ねて生きているのかもしれない。私の唯一の幸福のイメージは笑顔だ、学生時代の友人、美穂の屈託のない笑顔は唯一思い出すだけで幸せな、安心した気持ちになれる。将来子供が生まれたりしたらその子の笑顔がその代わりになるのかもしれない。そんなことを思いながら下北沢を後にした。無性に美穂に会いたいと思った。
 飯田祐樹はどんな負の記憶を積み上げて生きてきたのだろう。そしてその負の記憶のが地層のように薄く薄く何層にも何層にも積もってあのイメージを作り出しているだろう。だからか広げても広げてもあのおぞましい繊毛が広がって行くのだ、邪悪と一言で片付けられない悲しみがあるのかもしれない。そう思ったところで生理的に受け付けられない気持ちが変わる訳ではないけれど、黒い闇が少しだけ色を持ったような気がした。
 個人情報の収穫がなかったので、イメージは見ずに考察をすることにした。あのイメージが何かの感情によって浮かんでいると仮定しよう。怒り、悲しみ、恐怖、恐れ。絶望。たまたま前の日に嫌なことがあったというレベルでないことはわかる。忘れようとしても忘れられないような、静かな感情。ゆっくりとした絶望が力をもって広がっていく。そう仮定して、飯田は一体何に絶望していたのだろう。ふと、私のことを考えた。飯田も普段生活をしている。確かに闇を抱えて生きているのかもしれないが、あの診断にくるということは就職する意思はあったわけだし、それなりのやる気があったからの行動だったはず、それが診断であのイメージだ。あれを吹き出すきっかけが、私であった可能性はないだろうか。いや自意識過剰だろう。飯田とはあの時が初めてのコンタクトで過去に名前を聞いたこともない。でも引っかかる。飯田の診断レコーディングを見直すと、その信憑性が少しあるのではないかと感じた。飯田はずっと私を見ていた。テーブルモニターのイメージではなく飯田はずっと私を見ていた。私が誰かに似ているとか、私のようなタイプの人間に嫌悪を抱くような過去があったとか、いずれにせよ私を見て思い描いたイメージ、いや、あの場だけではあそこまで詳細な無限なイメージは構築できない。すでに心の中にあったものが吹き出したのだ。そして伝染した。私に。それとも私にぶつけて来たメッセージのようなものか、私への攻撃。どうして私に。背中に悪寒が走った。なんとかしなくてはと頑張っているが、体力的に限界で体調もすこぶる悪い。あの闇に生気を吸い取られてしまっているのでは?なんてくだらないことを考える。どうしても飯田祐樹に合わなくてはならない。とりあえず今日は友人の家に泊めてもらおう、朝まで飲み明かすつもりで。
 翌日、友人の出社に合わせて友人宅を出た。どこにいくともなし午前中の公園を歩く。桜の花が三分咲きの並木道を歩く。来週には花見で賑わうのだろう。春はもうそこまで来ている。遠く子供たちのはしゃぐ声が聞こえる。携帯にメッセージが入った。差出人は、Yuuki Iida.飯田だ。なぜ、突然。開いてもいいのだろうか、闇のイメージが頭に蘇る。リンクに触れる。
 「先日診断を受けた飯田です。僕のことを調べられていると人づてに聞いて連絡をしました。僕が描いたイメージのことですよね。」
 返信するか一瞬迷ったが、メッセージを打つ。
 「連絡していただいてありがとうございます。そうなんです。もしよろしければ一度お会いしてお話を伺えないでしょうか。」
 数日後に会う約束をしてメッセージを終了した。
 その日まで休みを取った。美術館に行ったり、公園を散歩したり、海を見に行ったりして過ごした。それでも、陽射しの影の部分には蠢く黒い繊毛が見える。YWYを装着しなくてもはっきりと見える。だが人というのは不思議なものだ、慣れてくる。霊が見えるという人もこんな感じなのだろうか、そこにあるのが普通に思えてくる自分がいる。危険な兆候なのかもしれない。
 飯田とは日比谷のミッドタウンのテラスで待ち合わせをした。
 「こんにちは。」
 前回と変わらない雰囲気で飯田は現れた。少し怖く感じるのは私の思い込みだろう。
 「わざわざありがとうございます。飯田さんの描かれたイメージがとても、なんといいますか、個性的というか変わっていたので、診断士としてとても気になったものですから。」
 「暗く闇が深いということですよね。実は私も自分の描くイメージを見るのは初めてだったので少し驚きました。」
 少しか、自分の想像するイメージが闇であることはわかっていたということだ。
 「驚き、そうですか、でもあの時それほど驚いていらっしゃる感じはなかったですね。」
 「確かに具体的ではないにしろ自分が暗い人間というのはわかっていましたから、子供頃からそうだったので。ここで虐待されたとか、いじめにあったとかいう話はしたくありませんが、あなたが想像しているような不幸はほぼ全部経験していると思います。だからでしょうか、みんなといると場がしらけてしまうとか、場の雰囲気が暗くなるとか、私がいるだけでその空間が暗くなってしまうことがよくありました。そのせいでいじめられたのか、いじめられたからそうなったのかはもう覚えていませんが。」
 「それでも、職につきちゃんと生活をされようと、かつスキルアップのためにセイン社を受けようとされていました。つまりそう行った過去を克服されたということではないですか、ただまだ心の闇は残っていて先日はそれが何かのきっかけで吹きだしてしまったとは考えられないですか。」
 「先生、あなたはいい人ですね。確かに診断士の方ならそう考えるでしょう。でも違うんです。そう行った負の感情や心の闇を消そう、いやあなたがた的には治そう。かもしれませんが、は、違うのです。」
 「あなたは犯罪者でもないし、真っ当に生きようとされているのではないですか。だいたいその感情を持ったまま普通に生活していくのはすごく大変なことだと思うのですが。」
 「光あるところには影。というではありませんか、多かれ少なかれ人はその両方と共存している。私の場合はそれがほとんど影だというだけです。その影というか闇が他人に向かなければ人を攻撃することもないのではないでしょうか。」
 そうなのだろうか、根本的に心の闇は、妬みや嫉妬、恨みをもって成立するのではないのか、それが個人に対してなのか社会に対してなのかは別として。
 「そしてそれはある意味ジェンダー的な話と同じなんです。世間はダイバーシティーと謳って、性的な多様性は認めようとしていますが、心に闇を抱えた人間はネガティブとか根暗と言われて、社会からそれを改善すべく求められます。一部にはファッション的にそういった事を売りにしている人もいますが、見た目や行動で示せるような人間はそもそも本当の闇は抱えていない。普通に静かに生きていながら大きな闇を抱え、如何しようも無い孤独感と疎外感を持て余す人間はこの社会では病気と判断される。治療対象としてしかみられない。確かに治療で治る人もいるでしょう。でも私のように人格を形成するほとんどが闇の人間をあなたたちの言葉で”治す”ということは、全く違う人間になるということです。そういうことを洗脳というのではないでしょうか。今までの自分を全部否定されて、明るい人間になれと社会は強要してきます。その社会に背を向けて私たちは生きている。でも、そうでしょうか。西海岸のバカで明るい音楽より、苦節した暗いヨーロッパのロックを好む人とどこがちがうのでしょう。とはいえすごく孤独で生きにくいかというとそうでもないんですよ。変な話ですが、この闇に惹かれる人もいるんです。私が惹かれるとか言ってしまうとなんですが、私の闇を理解し寄り添ってくれる人は案外多いんです。」
 モテていたという話が佐藤から出ていた。確かに学生の多感な時期に自殺まで考えるような子は多いだろう。そんな子達が闇に引き寄せられて居場所を見つけたというこなのだろうか。社会人になってもそれは変わらないだろう。飯田が言うように心の闇は治療するという考えが普通だ、でもそれはこちら側の人間のおごりなのかもしれない。闇という暗いネガティブなものを拒絶し、明るく変えようとする。それは治療という名の洗脳なのか、
 「診断の時イメージを見ずにずっと私を見ていたのはなぜですか。」
 「お気付きでしたか、さすがですね。転職という目的は確かにありましたが、実は一番の目的は想像力診断だったのです。」
 言葉とは裏腹に抑揚のない淡々とした語り口で飯田は話す。
 「私のこの負のオーラとでも呼ぶべきものが、特定の人を惹きつけるのはわかっていました。ただそれがどういうものかはわかりませんでした。それが具体的に見れるかと思って応募したのです。それが目的でしたがあれほど気持ちの悪いものとは思わなかったので驚きました。なにかさわやかなイメージを見てそれが少しでも揺らがないようにあなたを見ていたのです。対象が目の前の人であれば、私の心は動きませんから。」
 言葉が出てこない。
 「実際あなたにぶつけるような形で想像力をイメージしました。そして失礼ですが、私の経験上あなたは私の闇に引き寄せられやすいタイプだ。このところちゃんと眠れていないのではないですか、食事もあまりされていないよう見えます。それはあなたの中の正常な精神と負に惹かれる心の闇が戦っているのでしょう。」
 「なんだか私が診断されているようですね。」
 平静を装ってなんとか言った。
 「それほど悪いものではないですよ。闇に身をまかせるというのも、先ほども言いましたが、多かれ少なかれ誰しも闇を抱えて生きているのです。時には闇の方が優しいこともあると思います。」
 無数の黒い繊毛に愛撫されている感覚を想像してしまった。
 「なにが目的なの。」
 「目的というほどではないのですが。明るくさわやかで誰からも愛される人が、人々の愛や信頼を得て輝いて生きているように、心に闇を抱える人間だってそれを理解してくれる人たちと暗くひっそり生きていくだけです。ただ人間所詮一人では生きていけません。世の中を見てわかるようにリア充とかいう人たちが闊歩する中で根暗とか言われる人たちは明るい場所に出てくることは許されず、排除されていくのが普通です。だからそんな仲間を見つける方法がIRかもしれないんですよ。なので目的ではなくツール探しですね。私が描いたイメージにあなたは反応した。ほとんど闇を持たない人は、あのイメージを見てもそこまでは反応することはなかったでしょう。でも心に闇をもつ人はそこに惹かれる。」
 冷や汗が止まらない。その一方で納得がいっている自分がいるのがさらに恐ろしい。
 「心配しないで、あなたを無理にこちらの世界に誘うなんてことは考えていませんから。無理やりとかそういうことではないんです。私はカルト教団の教祖ではないですから。そんなことしなくても自然と集まってくるのです。きっかけを与えてあげれば。」
 日が翳り始めて少し温度が下がってきた。寒気はそのせいなのか。
 「そろそろ帰りますが、ひとつだけ。今お話したことを学術的に検証して発表したり、公的な相談機関などに相談はしないでください。ただでさえ僕らは迫害されやすいので、そういった疎外や排除には慣れているとはいえ、必要以上に攻撃されることは当然望んでいません。同性愛者のように社会的地位も求めてはいません。先ほど私の闇は他人に向かないと言いましたが、私に寄り添ってくれている人の中には、その闇を他人に向けてしまう人もいます。そういった人たちを止める手立てを、私は持ち合わせていません。」
 「忘れろと、いうことですか。」
 「その必要はありません。こういってはなんですがあなたも十分に負のオーラを撒き散らしていますよ。ほかの方へ私の闇を伝染させるだけの資質をお持ちだ。ただあなたには明るい世界に居場所がある。それはとても貴重なことだ。私たちには出来ない両方のバランスを共存して生きていける。だからその場所に戻ってください。もうお会いすることはないでしょう。」
 そういって飯田は席を立ち人混みの中に消えていった。最後の言葉は本当なのだろう。光と闇の絶妙のバランスの上の私は立っている。そのバランスを崩し闇に堕ちていきそうな私を彼は戻してくれたのだ。いや、中途半端な闇を抱え探究心から彼らの世界をかき回す恐れを排除しにきたのかもしれない。どちらにせよこの件はここで終わりにしよう。私の抱える闇とはどういったものなのか、あるとしたら治療を受けると言う選択肢をどう考える。自分の何かがなくなってしまうのか。考えはまとまらないが、飯田と話したことで言いようのない不安が少し解消された。治療を受けると言うことはそれを病気だと認めてしまうことになる。心の闇は闇として存在している、それを誰も否定できない。私はあのデータを破棄するべきなのだろう。あの闇を拡散する者が自分であってはならないと思う。その一方で保存しておくだけなら良いと考える自分もいる。あの闇に身体を預ける自分を想像する。深い闇に無数の繊毛に包まれて安心して眠る自分を。帰ってくる自信のないところへ落ちていく自分を。
 飯田はYWYのイメージを使って仲間を見つけていくのだろう。なにか人里離れたところにコロニーにようなものを作って生活している姿を想像した。その飯田は笑っているような気がした。私の願望かもしれない。
 オフィスにもどって飯田のデータとその他の3名のデータを消去した。そもそも普通に存在していた人の闇がIRによってコントラストを強くしたおかげで浮かび上がってしまった。そこにあるもの、ただそこにあるもの。知らなかった時の自分にはもう戻れない。それが自然だと慣れていくしかない。
 夕暮れの繁華街は食事に出かけていく人々でいっぱいだ。楽しげに歩く人混みの中に、どれだけの闇があるのかを考えないようにするには時間が必要だ。コーヒーが飲めるようになるのにもきっともうしばらく。

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