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五菱銀行 怪奇事件 専門課「呪いの銃②」

第二話

・C学園前
 学園を出て駅へ向かう坂道を登りながら、森は口を開いた。

「これ、意外と重いんですけど……」

 彼のカバンに入れられた、アタッシュケースことを言っているのだろう。おもちゃとはいえ中で持ち歩くのはまずいということで、水無瀬さんがケースに入れてくれたのだ。

「持とうか?」
「え、良いんですか? ありがとうございます」

 ここで「上司に持たせるわけには」とならないあたり、若さを感じる。重量から解放されて気が軽くなったのか、彼は嬉しそうだった。

「で、どうするんですか? それ。水無瀬さんの言う通り、本当に銀行の金庫に入れておくんですか?」
「そんなわけないでしょう。私か森のロッカーで良いよ」
「今から銀行に戻るんですか?」
「もう施錠されてるから無理。今日は金曜だから、週明けに持って行けば良いよ」

 これで運用をやってもらえるなら安いもんだ。会議で五億の運用を発表した時の、次長、課長、支店長の安堵の表情を思い出す。「さすがは東金さんだ」と彼らは言った。「頼りにしてるよ」「期待してるよ」。それらは呪いのように私の人生を縛り続けて来たが、もうそれなしでどう生きて行けばいいのか分からないのだった。

 乳児院で過ごした日々がフラッシュバックされる。オモチャは寄付されたものばかりで、古びて壊れていたものばかりだった。「いらないもの」を集めているのだから、当たり前だ。服も色褪せたものばかりしかしそんなものに囲まれて育っては、本当に大事なものが何か分からなくなってしまう。自分を大切だとも、思えなくなってしまう。そしてあの夜、プレゼントを持ってきた男性に言われたことを思い出す。

「ぬいぐるみを枕元に置いて寝てはいけないよ」
 
 私が「なんで?」と尋ねると、彼は答えた。

「生気を吸い取られてしまうからね。きちんと蓋のついた箱にしまうんだ」

 私の回想は、森の声で引き戻された。

「抜き打ち検査が来たらどうするんですか。みんなが恐れてる、金融庁の監査とか」
「……おもちゃの銃なんて、怖くもなんともないよ」
「何が怖いんですかね。個人情報とか?」

 軽快な口調の森から目をそらす。住宅街には、ぽつぽつと明かりが宿り始めていた。だしやカレーの匂い、様々な食事の匂いが風に乗って流れてくる。本来なら「懐かしい」と感じるのだろう。私にとって、それらは「普通の二十七歳女性なら、送っていたであろう過去」でしかなかった。

 坂道を登り切り、駅へと続く平坦な道を歩く。隣を歩く森は、スマホでメッセージを送っていた。この後でデートの予定でもあるのだろう。

「じゃあ、ここで」

 彼は驚いて顔を上げた。

「あれ、電車乗らないんですか?」
「夜ご飯でも食べて行こうと思って」
「俺、一緒に行って良いですか?」

 今度は私が驚く番だった。

「良いの? デート三連続なんでしょ」
「一人目がドタキャン出たんです。さっき店もキャンセルしたから」

 それまでのつなぎというわけだ。それも悪くない。こんな日は一人で寮へ帰りたくなかった。銃と二人で過ごす夜なんて、ギャングでもお断りだろう。

・C学園付近 居酒屋

 森と過ごす時間はあっという間に過ぎた。適当な居酒屋で、料理はひどいものだった。しかし課長の娘の持病、支店長の娘の受験結果、次長のDVなど、話題は尽きることがない。労働の利点は、このように人と会話ができることにあるのかもしれない。「大きな嘘」という労働、その対価は自分から取りに行かなくてはならない。

 森が腕時計をちらちらと見始めたので、私は会計を頼むために手を上げた。

「ごちそうさまです。すみません、急がせて」

 支払いを済ませる私へ、申し訳なさそうに彼は言った。その目は、何かの言葉を待っているように見えた。もし「帰らないで」と泣きつけば、彼は残ってくれるのだろうか。そんなことをするつもりは毛頭ないが、本来なら女子がするべき行為なのだろう。かわいい生き方を学ぶには、きっと私はもう年を取りすぎていた。スマホを見ながら店を出て行く森の背中を見つめ、私は急に酒が飲みたくなった。店員さんを呼び、ビールのおかわりを頼んだ。席をテーブル席からカウンターへ移動するよう言われ、少し不愉快な気分をかかえながら腰を上げた。すると、両肩に手を置かれて椅子に座らされた。

「レディを一人残して帰るなんて、いただけませんね」

 その主は水無瀬さんで、森が座っていたところへ腰を下ろしたのだった。

 彼はビールをあおった。喉ぼとけが動き、彼も男性なのだと実感した。できることなら、このままデート気分を楽しみたかった。二次会で恵比寿のバーへ行き、ひょっとしたらホテルへ行くかもしれない。明日は土曜日で、彼は左手の薬指を見る限りは独身だ。何も悪くない。彼のことは一目見た時から気に入っていた。人生初の彼氏になるかもしれない。しかし本題に入らなくてはならない。表彰を逃すわけにはいかないのだ。

「要件は何でしょうか」

 かたちの良い唇が、弧を描いた。

「きれいな女性が一人で飲んでいたら、放っておけませんよ」
「あの学園では言えない何かがあって、来たんじゃないですか」

 沈黙。私はアタッシュケースを開いた。チャックを開くと、エアタグが入っていた。これで場所を追跡できる。

「さすがですね。あなたに頼んだ僕の目は、間違っていませんでした」

 彼は手を上げ、ワインを注文した。運ばれてきたものは口に合わなかったらしく、少し顔をゆがめ、言った。

「うちの学園の決算書を御覧になったことはありますか」
「いいえ。融資をしていない先の決算書は、見せてもらう機会なんてありまんから」
「言うよりも、見た方が早いと思います」

 彼はビジネスバッグから書類を取り出した。それを眺めると、彼が学園で話ができなかったわけが判明した。

「資産の土地の価格。取得価格より、現在の地格がおそろしく乖離していますね」
「ええ。悪徳不動産業者から、ビルを一棟買ったんです。女子寮のために、理事長の判断で。今回の銃の騒動も、おそらくこの不動産業者が絡んでいます。風評被害を起こして、うちを資金不足にさせたいんですよ」
「それで、業者お抱えの金融機関から借金させようというわけですね」
「さすが、話が早い」

 彼はやれやれと言った様子でワインに口をつけた。

「個人的に話がしたかったんですが、東金さんはSNSもやられていないようだったので。何とかなりませんかね」

 私は決算書を眺めた。収益物件以外には、特に目立った点は見当たらない。

「理事長の報酬も、預金残高のわりに高額ですね。これを減らすのは?」
「無理ですね。理事会の役員は、みんな理事長に弱みを握られています。彼女は会議のときにしか現れませんし、海外に住んでいるのでリモート参加です。苦情は言いにくい」

 肖像画の理事長を思い出す。彼女なら違和感はなかった。やり手の女社長が見せる、血も涙もなさそうな目つきをしていた。心も身体も、誰にも入り込ませる隙はなさそうだ。私は言った。

「事件を解決したら運用をする約束でしたよね。お金はどこから出すつもりですか?」
「僕のお金です」

 その発言は、全く予期していなかった。銀行が取引する会社の社長や副社長が個人的に取引すると、それも銀行の実績となる。経営権を持っていることが条件ではある。私は再度、決算書を見た。役員報酬の欄には、彼の名も掲載されている。

「五億円。父から医院を相続したんです。商品は任せます。銀行さんの手数料が多く取れるもので構いません。お願いします」

 彼は座ったまま、頭を下げた。

「これ以上、あの学園が食い物にされるのは見ていられないんです。生徒たちも怖がってます。次は誰だ、と疑心暗鬼にもなって、いじめも多発しているんです。自殺者も出ました」

 辺りの客からちらちらと視線を感じる。何か面白そうなことが起こっているらしいという好奇の視線だ。彼は声を落として言った。

「今から黒岩が、例の業者が、理事長と打ち合わせをします。そこに同席していただけませんか。銀行の目線から、借入利率や不動産の相場の指摘をしてほしいんです。おそらく法外なレートで吹っ掛けてくるでしょうから」

「だから私の予定を電話で確認したんですね」

「理事長には余計なことをするな、と言われています。銃を銀行の金庫で預かってもらうことだけ許可されたんです」

 私は彼を見つめた。この手の真摯さに、私はめっぽう弱かった。怒らず、苦しまず、スマートに人生を送ることが賢いとされている現代で、彼のような人間は滅多にお目にかかれるものではない。誠実で、愚直で、他人のことを第一に考える。そんな生き方はもうダサいとされている。彼のような大人がいれば救えたはずの子供だって、たくさんいるのだ。

「分かりました。私たちはたまたま居酒屋で会って、たまたま学園に忘れ物をしたので、行くことになった。そうですね?」

 彼の瞳に安堵の色が広がった。一見、無邪気な少年のような笑みを浮かべた。しかし、どこか心にひっかかる表情の作り方だ。こちらの発言ひとつで、サッとカーテンを下ろして奥の部屋へ引っ込んでしまいそうな、危うさを孕んでいる表情だった。


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