五菱銀行 怪奇事件 専門課「呪いの銃③」
第三話
・C学園
夜の学園は金曜夜のせいか、生徒も先生もいなかった。こうなると無駄に広いだけだが、古い校舎や教会のある場所で二人きりで歩いていると、まるでデートのようだとも感じた。ふと、パイプオルガンの音が聴こえてきた。
「聖歌隊が練習しているんですよ」
「生徒ですか、先生ですか」
「生徒の親たちです。子供に問題を抱えた親御さんたちの参加率が高いですね」
彼曰く、子供同士で争いごとがあっても「ま、親は良い人だからね」で済むのだという。
・会議室
会議室では誰もおらず、電気も消されていた。
「おかしいな。確かに二十時から、ここのはずだったんですが……」
水無瀬さんが電気をつけた。部屋には微かに冷気が残っており、先程まで誰かがいたことは確かなようだった。不意に、電気が消えた。首元に強い衝撃が走り、次の瞬間には床へ崩れ落ちていた。身体が言うことを聞かない。
「東金さ……ん!?」
すぐ後ろで彼の呻き声が上がった。暗闇で微かな光が見え、スタンガンなのかもしれない。足音が部屋から去って行くと、ようやく身体が言うことを聞き始めた。私は手探りで入口へ行き、スイッチを探した。同じタイミングで水無瀬さんも、スイッチにたどりついたようだ。私がスイッチに手を置くと、彼はその手を繋いできた。暗いまま、私たちはキスをした。赤ワインの味がして、酔いがまわる気がした。このまま闇に溶けて、何もかも忘れてしまいたくなった。
「東金さんは、何のために頑張っているんですか」
不意に、彼は聞いてきた。
「自分のためですよ」
「嘘でしょう。自分だけのために、そこまで頑張れません」
「それは……」
何もかも、ぶちまけてしまいたかった。生まれた瞬間の記憶があること。「この子はなかったことにして! 元カレの子なの!」と母が叫んでいたこと。退院と同時に、乳児院での暮らしが始まったこと。虐待や持病で面倒を見切れなくなった子が集まる乳児院で、「東大に行ってメガバンクに入った」という私を、キラキラした目で見てくる子供たちのこと。土日は乳児院のボランティアをしていて、出会いなんてなかったこと。アルバイト代もボーナス代も、乳児院の子供たちへのプレゼントに使っていたこと。銀行からもらう表彰状を乳児院の廊下に、誇らしげに飾ってくれる院長のこと。
しかし弱みを見せるわけにはいかない。今までの気苦労が、しんどかったことが、全て溢れてきて、スタンガンを当てられたわけでもないのに、立っていられなくなるだろう。
「銀行のためですよ。行きましょう」
明かりを付けながら言うと、表情を欠いた顔をした水無瀬さんと目があった。私は目をそらし、部屋からあるものが無くなっていることに気が付いた。銃が入ったアタッシュケース。
・五菱銀行 女子用借り上げマンション
どうやって家まで戻ったか覚えていない。なんとかして電車を乗り継ぎ、住宅街を抜けて、銀行の借り上げマンションまで戻ったのだろう。ベッドとデスク、クローゼットだけのワンルームへ。壁にある唯一の装飾は取引先からもらった花のカレンダーだけで、かえって寒々しさを助長している、愛しい我が家へ。
泥のように眠り、目を覚ますと朝九時だった。こんな時間まで寝たのも、服のまま化粧も落とさずに寝たのも久しぶりだった。昨日は何年かぶりに男性と手もつないだ。今週は久しぶり週間なのかもしれない、と文章力の皆無なアラサー女性がブログに書きそうな文言を頭に思い浮かべることで、恥ずかしい記憶を追いやった。
脱ぎ捨てられてデスクの椅子にかけられたスーツを見て、反射的に首元へ手をあてた。銃がケースごと紛失したあの夜、学園で捜索を続けると言う水無瀬さんを残し、私は返されたのだった。捜索を手伝うと申し出たのだが、「危険な目に合わせるわけにはいかない」と聞く耳を持たなかった。
私はベッドボードで充電器に繋がれている、スマートウォッチを見た。乳児院の外遊びの時間まで、あと一時間はある。シャワーを浴び、歯を磨く時間くらいはあるだろう。乳児院の手前にあるタリーズで朝食を取る時間はなさそうだ。私は服を脱ぎ、シャワーを浴び始めた。誰にも抱かれたことのない身体で、抱かれたかもしれない瞬間は何度かあった。しかし、その度に考えてしまう。その行為は子供を作るものなのだ、と。無責任にそんなことはできない。出世をして、安定した収入を得て、貯金額も一定額を確保できるようになってからでないと。
不意に、スマホの着信音が聴こえた。まだ頭を洗っていなかったのだが、胸騒ぎがしたので優先順位を変更した。シャワーを中断し、私は身体にバスタオルを巻きながら電話に出た。
「水無瀬ですが」
どこか緊張した声に、こちらの背筋も伸びる。
「例の話は一旦、保留にしていただけませんか」
沈黙。私が口を開く前に、彼は早口で言葉を続けた。
「黒岩が、死体で発見されました」
「それには銃が使われていたんですが」
少しの間があり、それは肯定の意を示していた。慎重に言葉を選んでいるようだ。
「下駄箱に、銃も入っていました」
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