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小説「灰色ポイズン」その29ーその16からの続き-カナタのいつもの朝

前回のあらすじ
カナタは心を病んだ母親に無理心中を強いられたが兄優一郎のおかげで最悪の事態を免れて母親と共に生き残った。そんな事件の翌日に母親は目が覚めると自分がしたことを一切記憶していなかった。
   ○                      ○                       ○

朝目が覚めると、母さんは寝息を立ててまだ夢の世界にいた。私は起こさないように気をつけながら、遠くから母さんの姿を見つめる。
時折、母さんの顔が苦しそうに歪む。眉間にシワが寄って、しんどそうだ。母さん、かわいそうに…。悪い夢でも見ているのだろうか?

居間の隅っこで寝ていたはずの兄さんは、早朝からアルバイトが入っていたらしく、もうすでに姿がなかった。だいたいいつもそうだ。兄さんは私が眠って目覚める頃には、もういなくなっていることが多い。もう慣れてはいるけど、やっぱり残念な気持ちは変わらない。「ハア〜!」ってため息が出ちゃう。それは止めようがないんだ。

できるだけ音を立てないように学校へ行く準備をする。とはいえ、ランドセルに時間割を見ながら教科書を放り込むだけ。
音が立つので、顔は洗わない。濡らしたフェイスタオルで顔を軽く拭くだけ。それから制服に着替えて、抜き足差し足で玄関に向かう。私って忍者になれるかもしれない。いつか学校の長い休みにあった子どもの映画鑑賞会で見た、あの古い映画に出てきた赤影みたいに。

わたしの通う中須小学校までは歩いて20分。前に家族揃って皆んなで住んでいた一軒家よりは随分近くなった。不思議なもんだ。
校区外登校になったのに、前より学校が近いなんて。

登校途中で雑貨屋さんに寄って、ジェットパンを買う。それを小さくちぎって、周りからは食べていることがバレないように口に入れて、これまたバレないようにゆっくーり噛んで飲み込む。駅裏の商店街を通って、ゆっくりと学校を目指す。早朝の商店街は、人がほとんどいない。人が少ないということは、歩きながらパンを食べていても大人に注意されにくいってこと。そして、あいさつをしなくていいってこと。

朝は私なりに忙しいから、一々「おはようございます」を言って会釈する時間を省けるのはありがたいってわけ。
でも、小学校が近づいてくるとそうはいかない。同じ学校の制服を着た子どもたちや先生たちに会う。頭をちょこちょこ下げながら歩いていると、自分が学習机に置いてある誰かのお土産でもらった「赤べこ」になったような気がしてくる。

校門をくぐる時には、校舎に向かって深々とお辞儀をして入る。校門前に立っている先生に向かって、大きな声で「先生、おはようございます!」と儀式のようにあいさつをする。
とまあ、これが私のいつもの朝。つまらない…。

授業が始まる前に、ホームルームで日直がお決まりの起立礼着席をして、担任の先生が出欠の点呼をする。先生が朝のお話を始める。一応、聞こうとはするけれど、「聞こうとする」ことと実際に話が頭に入ってくるかどうかは別問題なんだよね。

前からだったけど、私は人の話の意味がわからないことが多い。高学年になってくると、ますますわからなくなってきた。もっと小さい頃は、先生たちの使う言葉がもっとわかりやすかったのに!だ。最近は、外国語みたいに意味不明な言葉がただの音として耳に入ってくるだけ。どうして私以外の子たちには、その言葉がわかるんだろう?それとも、みんな私と同じで実はわかったふりをしているだけなのかな?世の中には、わからないことが多すぎる!
父さんの書斎にあった『精神分析入門』の上下巻と同じくらい、先生の言葉はわからない。それでも暮らしていけるけど、なんだか毎日、疲れるんだよね。

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