「残されて思うこと」ー自分へのノートシェア
自死された人はいのちを粗末にしたわけでも身勝手に亡くなったわけでもない。だからメンタル界隈では事故と呼ぶ。
彼らは、その時にどうしようもない気持ちだったのではないかと思う、
彼女や彼は精一杯生きた!
だから、偏見をもたれることはない。
繊細な感受性を持ち、さいごまで懸命にまじめに生き抜いた。
そして人間の評価は、最後の死に方がすべてではないということ。
その人の生きていた「いのち」の有り様のすべてが、最も大切なこと。
自死の問題において、生きやすい社会とは。
皆んな一人ひとりが淋しさを抱えることなく孤立しない社会。
失敗を許しあえる社会。
各々の生き方を尊重できてゆっくりした生き方も認められる社会。
人生をやり直せると思える社会。
問題ができて困ったら気軽に「助けてください」と言える社会。
病いや介護等では、時に人に迷惑をかけたりお世話になっても良い社会。
みんな違って良いと認め合えてその人らしくて良い社会。
自死した人たちは、いのちを粗末にし、好き好んで身勝手に亡くなったのではないよね。
病気やその他の問題、経済的問題、対人関係、過度の過労などの理由で、やむにやまれず、死に至ったと考えられる。
自死した人はその人なりに精一杯生きました。だから敗北者でもなく、偏見をもたれる理由はありません。
自死した人は、繊細、純粋、心やさしい人たちで、死ぬまで精一杯努力しまじめに生きました。そのことを肯定的に評価したい!
また人間の評価は、最後の死に方が全てではない。
それまでその人が歩んできた「いのち」のあり様全てが、最も大切なことだと思う。
自死の問題から見える、生きやすい社会とは。
誰もがひとりで淋しさを抱えず、孤立しない社会。
失敗が許される社会。
効率優先だけでなく、ゆっくりな生き方も認められる社会。
困ったときに、気軽に周りに助けを求められる社会。
病いや介護等では、時に人に迷惑をかけ世話になっても良い社会。
みんな違って良い、その人らしくて良い社会
【残された人の現状の過ごし方】
「時間が解決する」というのは良く聞くし言いがちだけれども、人の死に出会い辛い思いをしていることにおいては、何かがか違う気がする。
できる時に彼女、彼を偲んで思い出す作業をする。
「故人の死」について意味を見出してみる。
自分の感情を紙に書いてみる。
感情を我慢して押さえ込むのではなくできるところを探してシェアする。
同じ立場の人を見つけて感情を共有するということである。
辛さがひどくて耐えられそうにない場合は医療機関に相談する(精神科や心療内科または専門の心理カウンセラー)
自分のことを大切にする。
まず、身近な方の死を乗り越えるということは、悲しみを全く感じなくなるということではない。
悲しみを乗り越えるということは身近な人の死を思い出して動揺したり、涙が急に出てきたりと暮らしの中でそういったことががなくなることが目標なのだと思う。
そして、人の死への悲しみは「癒える」ものではない。悲しみから完全に開放されることが目的ではなく、「故人とともにある」ことが最終的な目的かもしれない。
それは、自分自身が強くなり、悲しみとともに歩んでいける。悲しみはあるけれど、それを抱えていけるとそんなイメージ。
「時間が解決する」というのは違うと思う。
人の死、別れを克服するために、「時間が解決する」という言葉を良く耳にしますが必ずしもそうとは限らない。むしろ、時間をおいていることによって思い出した時、急に泣きくずれてしまうこともある。
そうなってしまわぬように、無理して忘れたということにしないこと。
むしろ、故人との別れに積極的に向き合うことが大事だと思う。
できれば伴走者が居れば尚良いというか必要かも。
向き合い、克服するためのはじめは
①故人をしっかりと思い出してあげること
例えばできるなら積極的に「思い出の場所に行く」「写真を見る」など。自分の世界から故人をなきものにするのではなくて、同じ世界にいるいた感じを得る。
積極的に思い出すこと大変辛いことだけどその行動が人の死の悲しみを乗り越えるコツになる。
②次に「人の死」について意味を見出していく作業に取りかかる。
人の死を乗り越えるには、その死に意味を見出すことが大事である。
死に意味を見出すということはわかりにくいでしょうが、例えば、「故人は最後に何を言いたかったのだろう?」と考えたり「今の自分の生き方を故人が見てどう思うだろう?」などと自ら振り返ってみる。
このような作業を一つひとつ行っていくことが、人の死に出会い悲しみの中にいる人間の心は成長し強くなっていけると信じたい。
そして、人の死に意味を見出すために考えて、自らの行動を振り返って、自分の人生の質を向上させる。
これらをすることにより故人が生きていてくれた意味を見出しながら生きていけるようになる。
前述の「人生の質の向上」のための試練だと考えてみる。それもまたよし。
いろいろな視点からその意味を見出すことがとても大事なこと。
それから、自分の感情を紙に書きだしてみることも重要なことである。
自分の中で人を亡くしたことへの感情がたくさんある。それは「悲しい」や「どうして助けられなかったのだろう」「その人のいない世界でこれからどのように生きていこう」など。
その感情を紙に書き出していく作業。
最低1日8分、1日20分間行うことが理想。
これをエクスプレッシブ・ライティングと言う。
これをすることでストレスを大幅に解消し、メンタルが改善するというエビデンスがあり、それはミシガン州立大学研究の研究で分かったことである。
感情を隠さず出すということについて。
悲しみなどの感情を表に出さず気丈な自分を演じる人が多い。
でも、むしろ感情をため込まずに吐き出したり、感情を表に出すことはとても大切なこと。
なぜかといえば「感情を抱えること」はそれと同時にストレスも抱えることになるから。
「エクスプレッシブ・ライティング」により感情を表に出しながら、感情を表に出し表現すると感情も次第に安定していける。
これを実現するためには、身近な人に自分の抱えている感情や問題を聞いてもらうのが一番早い。
身近な人であればあなたを放っておく人はいないと信じ、勇気をもってその一歩を踏み出すこと。
更に涙することを我慢しないということも意識してみてください。
感情の表現をする上では「泣く」ということは悪いものではない。
また、法事に行くと、もれなく同じく悲しんでいる方がいらっしゃいます。そのような方と話すということもまた、ストレスから身を守る術になる。
感情を吐露する機会は非常に大切。
同じ境遇の人を見つけて感情を共有する
その状況を一人で抱えるのは本当に大変なことだと思う。
同じ立場の人を見つけて感情共有することで「自分だけじゃない」という感覚を持てる。
その「仲間」の感覚も死別を乗り越える大切な要素となります。
心療内科,精神科等の医療機関や心理カウンセラーに相談する。
深い悲しみは、衝動的に突発的な行動をしそうで心配ならまず医療機関の精神科や心療内科または心理カウンセラーに予約を取り相談するのもオススメである。
一番重要なことは、自分を大切にすることだと思う。身近な人を亡くしてしまったら、自暴自棄になる人が多い。
必ず「自分のことを大切にすることが1番大事!」
身近な人の死について、自分のせいだと責めるのはやめよう。
身近な人を無くした悲しみはすぐに消えない。
•喪失感に襲われる時期
•自戒の念に苦しんでしまう時期
•少しずつ故人の死を受け入れられていく時期
色々時期を経て人の死の悲しみを自分で抱えていけるようになっていくと思う。
すぐに解決しようと焦って無理をしないこも大切。
周囲や相談機関に助けを求めることも大切。
決して1人じゃないことを頭に心の隅に置いてゆっくり
と少しずつ前に進もう。
皆んな、一緒に繋がって支え合っていこう!
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