3週間でいいから彼女欲しい


やふー知恵袋でめちゃくちゃ共感できる投稿を見つけた!

“20代後半の男です。一度も彼女ができたことがなく、生きているのが苦痛です。 周囲からはその歳で彼女は愚か、女性の友人ですら一人もいないのは異常、おかしい、人格破綻者、欠陥男など、散々色々と言われてバカにされます。向こうは笑いながら弄っているだけのつもりのようですが、内心はらわたが煮えくり返りそうな程に怒り狂っています。幸せそうに笑っている人全てが憎いです。すれ違う人全員に笑われ、バカにされているような気がします。趣味もありましたが、心の中で「お独り様(笑)」とバカにされているような気がして一切楽しめなくなりました。
いまは楽しみにしていることなんて一つもなく、つまらない毎日を惰性で送っています。何のために生まれてきて、これから先も苦しみながら生き続けないといけないのか分からないです。  
とりあえず誰でもいいので付き合って、彼女いない歴=年齢をリセットしたいです。最初と最後の二回だけ会って、それ以外は会わなくてもいいです。話さなくても、連絡先の交換ですらしなくていいです。双方が付き合っているという認識の状態で半年くらい辛抱いただければ、それで十分です。そうすれば「半年は付き合ったことがある」と事実ベースで言えるようになります。しかし、何をすればいいのか分かりません。このままでは一生バカにされ、異常者扱いされ続けてしまいます。

 昨今、たぬかなさんの弱者男性合コンのお陰で弱者男性がプチバズりして、弱者男性がほんの少しでも世に認知されたことは多分良いことだと思う。
 社会が弱者男性に優しくなってほしい……。
 いやー、でも上記の投稿、分からない人には分からないんだろうな。
 今まで彼女ができたことがないという苦しみは、実際にその立場になってみないと分からないものだって分かってる。
 だから、この想像を絶する苦しみに対して、「まずはそういった女性を自分の自尊心を満たす道具なのだという認識を改めましょう」とか、「相手から好かれる努力をしてから言え」とか、そんなことを条件反射のように言う。
(もしかしたら同じような弱者男性が同族嫌悪的にそのようなことを言っている可能性もあるが、それが全てではないだろう笑。)

 そのような批判、説教に対して毎度毎度思うのは、僕ら非モテ弱者男性を理解しようともせずに正論を吐き捨てるだけ吐き捨てて何も寄り添おうとしない、なんて残酷な世の中なんだろう、という一言に尽きる。
 僕は出来うる限りの努力をして、それでもできなくて心が折れてしまった。
 仮に僕のその努力が、世の中の一般水準の努力値よりも下回っていたとする。でも僕にとっては、心が壊れるぐらいの努力だった。

 彼女を欲して、女性に話しかけたり、デートに誘ったり、自分磨きをした。それを続けていけばいつかは彼女ができるって思っていた。
 しかし、それらの行動をすればするほど、それでも尚彼女ができないという苦しみが増していった。

 恋愛市場における自分の立ち位置を知ってしまった。
 それによって、以前は漠然といつか運命の出会いがあるかもしれないとかそんなことを思えていたけれど、そんなのは夢のまた夢であること、そして強者男性と失恋したのちの、充電期間の羽休めとして利用される男性のレベルに行くことすら果てしない道であること、すなわち現実を思い知った。
 努力すればするほど、今まで見えていなかった現実はよりクリアになって見えてくるようになる。

 ただ会話を続けることだけでも難しいのに、細かいところで気を利かせたり、会話で女性を楽しませるとか、一生かかってもできるか分からなかった。
 高校の頃はコミュニケーション教室に通ったり、大学生になってからはコミュ力を上げるべく友達との会話にも勤しんだ。
 もちろん、彼女ほしい彼女ほしい!というような必死感が露わにならないように気を紛らわす趣味を幾つか作ったり、実際友達とどこかへ行ったりすることも楽しいと感じられることはあった。
 大学でインド思想を学んでいることもあって、欲望を追い求めることは本当の幸せには向かっていないと悟りかけることすらあった。

 それでも尚、根本には彼女を欲する気持ちだけがあった。それだけが自分であるという認識すらあった。
 間違っていることは分かっていても女性と楽しそうに会話している男性に対する憎しみが止まらない。
 自分が一生かかっても手に入れることができないものを手にしている人間、しかも、それなのに当たり前のような顔で生きている。私はこの世の全てを手に入れました、みたいな顔をしない。
 彼女が欲しくて欲しくてそれだけしか無い人もいるのに、彼女がいる人間に限って大切な友達やバカみたいに熱中できる趣味を持っている。
 たくさんのものを持っている人間と何も持っていない人間がいた時、それが正しいと思うだろうか。
 私は、人間が一生の中で異性と付き合ってもいいのは1回までとか、そういったことを倫理、道徳レベルで人類に刷り込まねばならないと思う。
 資本主義的に正しくとも、それを正しいとするならば、何も持たない者が憎しみを抱くこと、妬み嫉みを抱くことも正常な資本主義構造であると言える。
 私は資本主義を嫌い、偏った平等思想を持っているのにも関わらず、正しく資本主義の奴隷という矛盾を持っている。
 閑話休題。

 何が言いたいかと言えば、この世の中、どれだけ女性を幸せにしたいと願っていても、どれだけ女性に何か与えたいと思っていても、肝心の女性が振り向いてくれないという男性はアホほどいる。
 そんな男性が、数々のデートドタキャン、ラインブロックの果てに「誰でもいいから彼女ほしい……」と救いを求めるようにつぶやくと、
「誰でもいいとか、女性を一人の人間としてじゃなくて物として見るのって最低だよ」とか、「誰かを本気で愛したことないんだね」とか言われる。

 でもさ、彼女ができなければ、その彼女を一人の人間として尊重して愛情表現したり、何かプレゼントしたりということをできないんだ。
 だって彼女自体がいないんだから。(当たり前。)
 じゃあなんで彼女がいないんだと考えた時に、それは女性にとって私が彼氏にするに値する存在ではないからだ。
 じゃあどうすればいいのか。
 値する存在になるために努力? さっきも言ったけどもう無理です。
 ナンパ、マッチングアプリ、大学の授業とかサークルで仲良くなろうとしたり、いろいろしたけど、1回1回がめちゃくちゃ浅いところまでしか関係を進展させられないから、積めた恋愛経験値ほぼ0、コミュ力は相変わらずゴミ。
 だから、結論として私は、一般水準の男性が女性にするような愛情の提供をするに値しない存在。すなわち女性に何も与えられない。

 だから女性に求めるしかできないんだよ。
 本当に申し訳ないことだ。図々しいにも程があると自分でも思う。
 だからこそ、罪悪感ゆえにほんの少ししか求めないつもりだ。

・1ヶ月間、いや最悪でも3週間付き合えればいい。(四捨五入すれば1ヶ月故。)
・その間デートは2回で、お金は勿論私が出す。
・そしてラインでのやりとり(2日に一回くらい、通話はなくていい)。
・3週間経てば一言ラインで別れよう、で別れてくれてOK。

 これが私が求める恋愛だ。
 これでも求めすぎかもしれない。相手の女性のことを考えれば当然だ。
 だけど、こんな私にも譲れないところはあるから。
 あまりにもみっともないけど、これが非モテ弱者男性の現実。

 上記の、
“とりあえず誰でもいいので付き合って、彼女いない歴=年齢をリセットしたいです。最初と最後の二回だけ会って、それ以外は会わなくてもいいです。話さなくても、連絡先の交換ですらしなくていいです。双方が付き合っているという認識の状態で半年くらい辛抱いただければ、それで十分です。”

というところは特に、彼なりに自分は女性に何も与えられないけれど、これだけは譲れないという部分だけを残した試行錯誤を(勝手に)感じ取った。
 彼は半年という期間と、最初と最後は実際に会うということが大事だったんだな。

 でも悲しいかな、それだけミニマムにしたところでそれを実際にやってくれる女性なんていない。
 弱者男性を哀れに思って手を差し伸べてくれる女性はいないし、そもそも、そういった女性が哀れみで手を差し伸べてくれる最低ラインの領域に達することは真の弱者男性にはできない。

 私は高校時代、「いつか僕にも中原岬ちゃんが来てくれるんだ……!」と思っていたこともあった。
 だけど、そもそも強運とか、女性が手を差し伸べたいと思うだけの可愛げ、愛嬌とかがないと無理だ。
 佐藤達広は多分女性が手を焼きたくなるような雰囲気があったってのと、岬ちゃんの近くに住んでたっていう強運があって、そもそも低身長じゃないし顔も……。
 これ以上言うと悲しくなるな。

 別に愛情が欲しいわけではない、彼女ができたという事実が欲しいというは、理解できない人にとっては理解できないのかもしれない。
 でも、彼女ができたことがあるという事実が自分を納得させてくれる、この人生を肯定する材料になるんだ。
 非モテの人生には、クソみたいなことが延々と続く。だけど、でもこんな人生でも彼女はできたよなって、ふと考えられるだけでどれだけ救われるか分からない。
 挨拶すらまともにできなかった、今日も疎外感を感じた、誰からも必要とされない毎日。カップルが楽しそうに歩いていた。
 でも、そんなの気にしない。彼女さえできたことがあれば。
 その実態がどうであれ、彼女ができたことに偽りはないのだから、自分は彼女ができたことがある人間だという心づもりで生きられる。
 彼女ができたことがあれば少なくとも非モテ弱者男性ではないし、男性的競争社会の土俵から降りられる。
 男性は得てして、成功したいとか勝ちたいとかの欲求を抱えていて実際に勝った者、成功した者は偉いと賞賛される、しかし負けた者は劣等感を抱えて努力不足の烙印を押されて生きていくような暗黙の社会観が根強くあるような気がする。多くの男性には共感してもらえると思う。

 20代で恋人がいたことない男性は約4割らしい。(つまり私は少数派なのだ。)
 つまり彼女ができれば6割側の人間になる。まあそれはどうでもいいが。
 別に誰かに自慢したいというわけではない。誰かを見下したいわけでもない。少なくとも私の場合は。
結局は自分がそれで満足できるか否かという問題だと思っているから。
だから彼女ができたことによって他者に認めてもらうとかそんなことはどうだっていい。
 彼女が欲しい。恋人が欲しい。でも、できる気がしない。

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