つぼを買った。―"無駄なもの"を愛でるとは―
つぼを買った。
一週間は幸せな気持ちで過ごせるだろう。
初めてこのつぼに出会ったのは、2年くらい前だろうか?
別の会社で働いていた頃のこと。
お気に入りのガーデンショップの隣、お花屋さんで売っているのを見つけた。
言いそびれたが、このつぼは私の人差し指から親指の付け根までの大きさ。
そう、超ミニサイズ。
初めて見た時は、かわいらしいけど使えない、この世界観は分かるけど、まだこの子を受け入れる体制が私には整っていない、と思った。
シンプルに言うと、私には大人っぽすぎた。
実用的でない上に、シンプルで詫び錆び系の色、少なくとも華やかではない。
ちなみに、お茶器の備前焼や滋野焼も私には未だ渋すぎる。
代わりに、2年前の私は、育てやすい丈夫な観葉植物と使い勝手の良いガラスの花瓶を買った。
今でも大切にしているし、花瓶はしばしば活躍する。
ところがつい先日、久しぶりにあの超ミニサイズのつぼに出会ったとき、「準備ができた」と思った。
私の中で、きらびやかに対する執着心が少し薄れたのだろう。
簡単に言うと、少し大人になったのだ。
自信がついた、とも言えるかもしれない。
ほっとできるような、地味でシンプルな小物を、拡張した自己の一部として受け入れられるようになったのだ。
きらびやかでなくても良い。
実用的でなくても良い。
私の価値を高めるためにいかに貢献するか、という視点を完全に排除する。
私たちは、こうして少しずつ鎧を脱ぎながら、ナチュラルで健康な、本来の自分の心身を受け入れていくのかもしれない。
社会的な己ではなく、あくまで自分のための自分、という意味で。
アメリカの分断で、私たちは民主主義・資本主義の悲しい側面を目の当たりにしている。
行き過ぎた資本主義があたりまえの世界で生きる私たちは、資本主義の頂点を目指して競い合い、そこに価値を見出す。
実際には公平ではないシステムの中でも、出来得る限りマネーを得ようとし、豊かさの象徴が何かともてはやされる。
これでもかというくらい、華やかに贅沢三昧をするミュージックビデオや、リアリティ番組が印象的だ。
(視覚的には面白いし、デザインにも感心するが)
しかし、時にこうした世界観から離れたいと思う。
決して価格が高くない、地味でシンプルなモノを、自分だけの価値観のもとに、堂々と手にすることを選んでみたいと思う。
今までだって自分の価値観の下に生きてきたが、社会の目を気にしていなかったわけではない。
ミニマリストが、モノを効率的に使いまわす術を説くこの頃だが、敢えて、"無駄なモノ"を手元に置きたいと思う。
(※ここでは、いわゆる高級品や服飾品は、"他者へ見せるモノ"として活躍するため、無駄とは考えない。)
社会の中の自分、他者に囲まれた自分、という意識を一旦捨ててみる。
モノだけではない、仕事も生活も、全てにおいて。
コスパ良く、出来るだけ高見えするモノ、価値があるとされるモノで自分の周りを固めて、自分のスキルで手に入る、出来るだけ社会的地位の高い会社で、効率よく生産性の高い毎日を送ることが、人生の満足度を高めるかもしれない。
キャリアアップと資産形成に繋がるかもしれない。
でも、たまには、そうした画一的な「価値観」を忘れたい。
確かに資本はパワーだが、期待し過ぎるのもいけない。
そもそも目指すべきところが皆同じでは、味気ない。
自分が納得できるそれなりの人生を目指しながらも、小さく非実用的なつぼを愛でて満足できるような日々を送りたいものだ。
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