見出し画像

未来につながる活動を

「マレーシアに拠点を持って、こどもや女性をサポートする活動をしたい!」というのは「夢は何ですか?」と問われた時の私の答え。海外と沖縄を自由に行ったり来たりしながら、これまでの経験が未来につながるような、どこかで価値に変換されるような生き方をしたいな〜と思っています。
noteに自己紹介がなかったので、少しばかり綴ってまいります。

やんちゃで優等生なこども時代

9つ上の腹違いの兄と2人の弟妹との4人兄弟の長女として、近所のこども達を引き連れては、鬼ごっこやかけっこ、秘密基地づくりや探検隊ごっこをして日が暮れるまで遊び回っていました。一度外に出るとどこまでも一人自由に動き回っていたようで、よく母親からは「鉄砲玉」と言われていたことを記憶しています。

障害児施設で理学療法士として働く父が大好きでよく職場に連れていってもらい、そこでお友達をつくるのが楽しみでした。とても尊敬する父ですが、酒とパチンコに溺れることしばし。給料袋をもらった途端に空にする勢いで、母との喧嘩が絶えず、マイホームをつくり借金が増えてからはそれがエスカレート。ひどく父を罵る母の怒りの矛先は私たちへも向けられるので、母を怒らせまいとその顔色に敏感に行動していました。「なんでも1番!」が好きな母の笑顔をみたいと、学校では特にいい子ちゃんでいる、いわゆる優等生としてふるまうのは必須でした。

その甲斐もあってか中学、高校、大学といろいろありながらも順調に進みますが、思春期に入るとその自分の生き方に対する違和感を覚えるようになり「私は何のために生まれてきたんだろう?」とか「本当の自分って何?」を問いはじめていました。

価値観が揺さぶられた3つの転機その1

大学は、父の影響をもろにうけたこともあり社会福祉を専攻。その当時は、福祉という言葉自体が少し憐れみとか、慈悲とか、かなり特別感のある印象だったかもしれません。これを仕事にするのだろうか?「本当にやりたいことは?」と、自分探しも兼ねてずっと抱いていた海外留学へ。もちろん「行く!」と決めて、行き先もお金もすべて手配しての両親への相談。改めてあの頃から変わらない部分は多いかもしれませんね。

最初の転機は、その留学先のカナダでの様々な出会いです。20数年前とはいえ福祉の進む、そしてまさに多様性溢れる社会にこれまでの価値観が吹き飛ぶようでした。そこでの出逢いは、こちらから。


価値観が揺さぶられた3つの転機その2と3

2つめの転機は「新たな生命」との出会いです。地球はまるで自分の周りを回っているかのように自分主体で生きてきた私に、真っ向から対峙する自分の中に宿る命の存在は神秘的であり、驚異でもあり、脅威でした:笑。とても小さく愛らしく力強く主張する「生」のエネルギーを持つこの存在は、私の中にもしや潜んでいた母性を引き出し、育児ならぬ育自、まさに自分育ての伴走者的な存在かもしれません。

そして3つ目の転機は「兄の死」です。心筋梗塞でこの世を後にしましたが、いわゆる孤独死でした。福祉という仕事にも携わっていながらのこの状況は受け入れがたく、自分の無力さと不甲斐なさとに直面したことの一つです。この2つについては、また別途、綴っていこうと思います。

そして今

兄の死の後、ぐるぐる駆け巡ったのは「兄は自分自身の人生を生ききったのだろうか?」「今、私ができることはなんだろう?」という問いです。

まさに人生は一度きり。私にもいつ死が訪れるとは限らない。兄が生きられなかった人生を生きることはできないけれど、自分の人生を生ききることなんじゃないか。

そんなことで、自分への問いを重ねながら「やりたい」と思った直感を大事に様々な出会いと人に支えられながら今があるなあと実感しています。生きている証を残したい、このnoteに綴ることもその一つかもしれません。まだまだもやっとしていることをアウトプットして、自分自身を確かめる。読んでいただく方にはお付き合い下さり感謝でいっぱいですね。ほんと感謝!!





この記事が参加している募集

#自己紹介

231,496件

よろしければぜひサポートをお願いします! これを励みにより価値ある、ためになるそして笑顔溢れる発信に心を配って参ります。