見出し画像

本当の街づくりってこう言うところから始まるんじゃないかな。たかが自治会、されど自治会・自治会餅つきからイベント作り、コミュニティ作りに必要な思考を考える

自治会の餅つき&配布終了🎌

自治会役員になって2年、その前のお手伝い時期も含めると4回目の参加。

たかが自治会、されど自治会、、、
地域の催しに参加して思ったこと。


つきたて餅配布のほか、
コロナでなかなか披露できなかった『なかよし太鼓』さん達の演奏もあり、たくさんの方に足を止めて見てもらうこともできた。

自治会もコミュニティ。コミュニティ作りを仕事としている私としては学びがたくさんある。
今回は、餅つきという自治会イベントから思うイベント作りとコミュニティ作りの思考について考えてみた。


コロナ前のように臼で作るような派手なパフォーマンスはできなくとも、地域の人たちや子供たちとの交流はできる。
自治会員さんに喜んでもらうとか、1年間のありがとうを還元する事が目的ならば、餅つきである必要もない。

太鼓も餅つきも何を大切に(目的に)開催するのか、そこを毎年煮詰めて話し合えたらもっともっと喜んでもらえる自治会になるだろうなぁ。と思った。

そして、何のためにやるのかって事を役員や会員さんと共有するってことが1番大切だと思った。

何人かに「餅つきである意味」を質問してみた。


「伝統」「楽しみにしてくれる人がいるから」「自治会役員の楽しみになっている」との答えが多かった。

そんな中、ある役員さんたちからはこんな話も。
「時代も変化し、食品を配ることも微妙だし、餅つき準備も大変ですから、他の催しに変更してもいいですよね。」
「若い世代には手作りのお餅は響かないのかな。と思う。」
「ほかの地区(都内)では、真空パックのお餅に自治会や商店街のQRコードを付けて、商店街に配布し、お客様に配ってもらうなんてこともしていますよ。」

確かに!ありだな!

毎年、毎年、自治会のお祭りを開催するのに寄付が足りず四苦八苦している。(夏祭りは自治会主催とは思えないほどの結構な規模のものになっている。)

「祭りの寄付を募るとまではいかずとも、自治会の宣伝に繋がるような活動になれば一石二鳥だな。」と思った。

自治会員さんに喜んでもらうとか、ありがとうを還元する事が目的の上で、自治会の宣伝になり、役員の活動もスムーズに行われるようになれば、これほど理にかなったことはないのではないか。

役員の楽しみ重視で餅つきやその他催しが行われているのなら、うちわで飲み会でも開けばいいし、考えることが面倒で「伝統だ」と逃げているなら、自治会役員会はこのまま世代交代されず衰退していくであろう。


お餅を楽しみにしてくれる人は、だいたい同じような年代で、同じような顔ぶれ。自治会役員や、繋がりがある方には催し内容が伝わるけど、それ以外はきっとお知らせも届いていないし、チラシも捨てられている。

もし、自治会員さんに喜んでもらう事が目的ならば、そこも改善する必要があるのではなか。

自治会員600世帯に対し、どのくらいの方に届くようにするのか。
当然、子供なのか大人なのか、女性なのか男性なのか、平均的にまん中を取りたいのか、そんな事も1度でいいから話し合ってみたい。

それと同時にどういう要望があるのか。しかし、あまり広げすぎると役員に負担がかかるので、何個か案を出したところでアンケートなんかを取るのもありだと思う。

何のためにやるのかって事を役員や会員さんと共有するってことが1番大切だ。


仮に、目的が会員さんの満足だとして、
その目的が共有されていて、その目的の為に皆が動く。
そうすると、会員さんにも目的が伝わりやすくなり、役員と会員、お互いの共有事項となる。

共有事項となると団結力が出てくる。
独りよがりではない、本物の満足をたくさんの人数で生み出すことにつながると思う。

満足を生み出すことができたら、きっと「なってもいいかな」と思えるようになり新しい人が役員になる。現役員の仕事量も減る。そして、世代を交代できる。(若手の役員不足は切実な問題だそう)
そんな風に思う。

何をすべきか・・・まずは絞る!
あまりに目的が多いとぶれるし、色が弱まるので、まずは1つ2つに絞る!

・目的を決める(そのコミュニティの方針にもなるだろうな)
・どう伝えるか、どうしたら伝わるのか、どう伝えたいのかを考える
・催しを開催する際にも目的を一番にして話し合う
・共有の仕方も考えていく
・点と点だった催しを線で結べるようにする(これはなかなか至難の業なのだが、やっていくと急に線になったりする。)
・とにかく役員間で目的を共有しまくる!!(これなくして団結などない!役員間で共有ができていないとぶれるのだから)

催し・イベント・コミュニティとはなんぞや!


ハンドメイドコミュニティ・HappyNatura主催のハンドメイドイベントがつい先日終わり、こちらでも相方・中川と共にあれこれと考えさせられている。

一つの催しをどう捉えるかは、十人十色。
開催時のマインドを伝えていたとしても、違う視点から捉えていたら、これまた別物になるし、良かれと思ったことがマイナスになることもあれば、マイナスだったことをプラスに変えることもできる。


「価値を生み出せるか、価値を与えてもらうのを待つかで大きく分かれるもの。」
人や環境、場所のせいにして、より良いものにしようとしなければ、衰退していくだけ。まったく意味のないものになる。
自ら価値を作りだし、それを世の中に還元していく。こういうことができる人が増えたら、心から豊かで生き生きとしたイベント(コミュニティ)になるであろう。(そのためにハピナチュはそういう人と共に創っていきたいと打ち出している。)

「自分という人間発表の場である。」
催しやコミュニティに関わる時の言葉使いや行動、態度、すべてが自分発表になる。
長く携わっているからと言うだけで偉そうになったり、嫌味口調になったり、または、誰かを悪者にして自分の地位を保ったり、、、人間としていかがなものか?!
日々、隠せている自分が嫌でもさらけ出てしまうのがイベントやコミュニティ。嫌味な自分やできない自分を発表しているなんて想像しただけで恐ろしい!


常日頃から、何のためのイベント(コミュニティ)なのかを考えると共に、すべては自分の考え方次第だと気付き、変化を恐れないことが大切にし、自分を高い位置で整え、広い視野をもっていたいものだと思う。

街づくりって市とか、国とかがやるものだと思っているかもしれないけれど、
そこに住む人たちが、温かく交流し、自治会などの小さな活動を守り発展させていく。

そういう事こそが本当の街づくりであって、暮らし作りなのではないかと思う!

押さえつけられて大きく変わるよりも、
小さく小さく、小さな満足を重ねていく事で、気付いたら大きな変化になるんだと思う。

そんな街に志津がなればいいなぁと心から思う!

この記事が参加している募集

#探究学習がすき

7,438件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?