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私が決める私のペース

たまに思うことがある。

もし親の家の近くで、友達も会えるほどの距離にいて、そこで子育てをしたらどうなっていただろう、と。

ヤフーニュースをたまに読んでいると、「〇〇歳までなら間に合う!」とか、「〇〇すれば素直な子に育つ」とか、出てくる出てくる子育ての取説のような記事。

そして残念なことに、私の子育ては、どれにもあてはまらない。

それどころか、「毒親じゃないか??」と自分を疑う回数のほうが多かったりする。

私はつくづく子育てに向いていないと思う日々だった、自分の「孤育て」

ずっと孤独だった。聞きたいことは、時差の関係で母にも聞けず、義理の家族の近くに住んでいたころは、義理の姉や母に聞くも「ええええ~聞いたことない。うちの子はそんなことしなかったし」と返事が来ることに、私はイライラが募るばかり。友達もおらず、公園に行くも「廃墟化」していた。

けれど、「まだ歩かないの?」「え??おむつまだしてるの??」「え??おっぱいまだ飲んでるの?」「言葉しゃべらないの??ええ?え?」

この生まれて一年ちょっとの間にくる、プレッシャーと不安。これにどれだけつぶされそうになったか。そしてそれを煽るかのように、全てにおいて、成長の遅いわが子。

そのあと、引越をし、文句を言う義理家族に解放されたことが私の二本足で「母として立ち上がる」きっかけとなった。

「なるようになる」

私の住む国は赤ちゃんは別室で寝る。しかし私は緊急帝王切開で出産し、出血がひどく、貧血状態が続き、体力が戻るのが遅かったことで「リビングルームにキャンプ」状態で子供の人生が始まった。

「今から自立させないと、自分が苦労するわよ」とさんざん親戚中に言われるも、傷の痛みと、貧血状態で日々をこなす私にはスルー以外するほかなかった。と同時に新生児に「自立」って・・・と疑問がわいてきていたのも事実。

しかし、子供が2歳になるころも、私はまだ子供と寝ていた。夜中起きることもなく、普通の子供のパターンになったころ。

さすがに1人で寝るということを教えるべきなのか、と思い始めた。その頃にはご近所さんにも知り合いができ、それなりに子育てしているお母さんたちとも公園で知り合うようになった。そんな彼女たちからアドバイスをもらい、早速「一人で寝るぞ作戦」に取り掛かった。

トドラーベッドを買い、当時子供が好きだったキャラクターのベッドカバーを買い。そうしている横で、「無理無理」と電話でちゃちゃを入れてくる義理家族。母親の経験がない自分は、不安が押し寄せてきた。一生子供と寝続ける???今でこそありえないと思える不安さえ、出てくるほどだった。

けれど。ベッドをセッティングして、お気に入りのぬいぐるみに囲まれた子供は「お母さんは床に寝て」と。

へ?ベッドは自分のテリトリーと言い出したのだ。

「一人で寝れない~」と泣き始めるかと思いきや。案外すんなりさようなら。その日から今日まで、子供は一人で寝続けている。キャンプや実家に帰った時以外は。

トイレットトレーニングもそうだった。おむつが取れるのが遅かった子供。3歳でプレスクールに入園できるのだが、おむつが取れていること、自分でトイレに行けることが条件だった。

1歳過ぎたころからプレッシャーが凄かった。周りの冷たい視線。バカにしたような言葉たちが、心にずさずさと刺さりながら。気が付けばとげとげしていた自分がいた。

そんな時、近所でお世話になったおばあちゃんが、「ハナ、この子はまだ3歳前よ。小学生でおむつしているならその不安もわかるけど。どーーーんと構えなさい。必ずその日が来るから」と助言してくれた。

「小学校に入ってこの子がおむつしてたら、私がとことんあおるから、その時にキリキリしなさい」とも。笑

ある時はテレビを見ながらポータブルのトイレに座り。ある時は大好きなステッカーを使い。他のママさんから教わったすべての作戦は見事砕け散り続けた。

そんな3歳の誕生日の朝。着替えを手伝っていると、「お姉ちゃんパンツはく」と。その言葉を言ったあの日から、子供は一度もおもらしも、おねしょも全くない。そしておむつをすることもなくなった。

この後もいろんなことで、チャレンジが続いた。とにかく成長の早さが「でんでん虫級」な子供に、何度辟易したことか。

そして、近所のおばあちゃんたちに、そして学校のボランティアで知り合った先輩ママに作戦を教えてもらったり、励ましてもらったりしながら、ここまでやってきた。

と同時に、私が学んだこと。

「この子にはこの子の時間が流れている。成長していく時計の針がみんなよりも少し秒数が遅れていること」

でも、遅れた分、確実に学び、そして振り返らない。わが子ながらなんてかっこいいんだ!!!とこの法則に気づいたときの感動を今でも忘れない。

何度か言われた、言葉の中に「子供だって一人の人間、大人が嫌だぁと思うことは彼らだっていやなのよ」と。この言葉の意味を理解するまで、何年かかったことか。

そう、大人だってみんな個性があって違う。理数系な人もいれば文系もいる。ガテン系の人もいれば、アート系な人もいる。

でも親になって気が付くと「文武両道」を求めてしまったり、「常にいい人でいなさい」を強要したり。みんなと同じを求めすぎている自分に気づいた。

セラピストをしていて、体質のことだってみんな違うとわかっていたはずなのに。個性を忘れてしまいがちだ。

特に、「でんでん虫」なわが子は全てにおいて人と違った。だから、今でもたまに「切れる五秒前」の自分がいて、は、と気が付く。

ただ、物事によっては、「一緒じゃなきゃいけないときもある」というのを思い出しながら、日々送っている。

価値観の大きく違う人と出会う事の多い母親業。仕事をしていた時には合わなかったであろう、「どっひゃーーん」な人に会うことが多い。

昔だったら耐えられなかったであろう、そんな人たちにも、「ああ、こういう人もいるんだよね」と思えるようになったのだ。もちろんお付き合いをしようとか思うことはいまだにないけれど。

こうして、子供は自分の人生は自分のペースで生きて、決めていくのだろうな、と最近少し大きくなった後ろ姿を見て、思う。そう、のろのろと成長し、そしてぽんっと一つのチャレンジが終わると、「完了」という言葉が背中に書かれるかのように、次のステップへ行く子供。それを見ていると面白い。成長という瞬間だ。


そして思い出す歌がある。

NHKの「日本語であそぼ」という番組の歌。

子供は体を揺らしながら一緒に歌っていたっけ。

「みんな違って、みんないい」

本当にそうだね、とあの時きちんと思えなかった自分を恥ずかしく思う。

でも、ただただ、夕食の支度をしながら、なかなか食べてくれない子供の食事をどうしようか、とイライラしながら作っていた自分を思い出す。料理嫌いの自分なりの必死の子育ての一コマだった。今は「食べすぎ!」と言いたくなるほど、食べるわが子。好き嫌いもそれなりにあるけれど、それも個性。いつか食べることのできる日が来るさ、の姿勢。その「いつか」が毎年やってきているのだ。ええ?この間まで嫌がっていたのに。と。反対に、この間まで好きだったのに、え?食べないの?というパターンもあり。イライラを超えて、もう笑いがこみあげてくるレベルだ。


ネガティブな子育てなら、アドバイスはいらない。

そんなことを言う人は、「個性」という言葉を知らないだけなんだから、スルーしても大丈夫だよ。と子育て奮闘中のお母さんに教えてあげたい。全く持って同じ人間はどこにもいないのだから。

とはいえ、まだまだ親としてのチャレンジが続いている。でも、子供の時計の針の進みを見ながら、生きていくことを気づけたことはよかったな、と思う。

そう、みんな違って、みんな、いい。のだ。

ありがとう子供よ。人間の経験値、少しだけ上がったかも。




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