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パラリンピックの開幕と難民選手団イブラヒムフセイン選手との出会い

■難民選手団とは

いよいよ、今日からパラリンピックが始まります。
コロナ禍の中、賛否両論ある大会です。
ただ、応援したい人がいるかどうかで、
そこに感じる気持ちは違うものだな、と
感じています。
2016年のリオデジャネイロオリンピックの時から
『難民選手団』ができたこと、ご存知でしょうか?
私は最近まで知りませんでした。
『難民』の方がたくさんいることは何となく
知っていましたが、どういう経緯でそうなったのか、
どれだけ大変なのか、もっというと
何が大変なのかもわかりませんでした。

イブライム・フセイン選手を知るまでは・・・

2020年末時点で、紛争や迫害で故郷を追われ
難民となった人は、8240万人になると言われています。
その中で、障害を追う難民の方は1200万人とも言われています。
日本は、難民の認定率が国際的にも低く、
先日はスリランカ女性が名古屋入管で女性がなくなった事件も
記憶に新しいかと思います…。
『難民』×『障がい者』という、2重苦を抱える方を
支える団体はほとんどなく、彼らがどれだけ
辛酸をなめて生きているか、私たち日本人には
中々想像することも難しい・・・
そんな風にも感じます。

どれだけ素晴らしい能力があっても、
『国際大会』に出場するには
『国籍』がなければならない。

日本にいたら、国籍なんて意識しなくても
生きていけるので、難民問題は
遠い海の向こうの話だと思っていました。


■イブライム・フセイン選手の想い


タカさんが、HappyFirstのメンバーを
イブライム・フセイン選手の講演会に
招待してくれたのは、2021年の秋口だったかと。
軽い気持ちで参加したこのイベントで、
衝撃を受けました。


目の前で友人が砲撃にあい
「助けてくれ」と叫んでいた。
助けに行ったら自分も撃たれるのはわかっていた。
でも、目の前の友人を見捨てて生きていくぐらいなら
死んだ方がましだと思った。

病院は機能していなくて、
麻酔のない状態で、右足を切り落とした。

自分の脚がなくなるのを
見るのは、何とも言えない気持ちだった。

ちゃんとした医療を求めてギリシアに渡った。
言葉もわからない。
知っている人もいない。
公園で草を食べて生き延びた。

絶望していた。


そんなイブライム・フセイン選手の話を聞いた後、
彼のために何かしたい、と、思った人が自然と集まりました。
皆、仕事のある傍らで・・・・
何度も集まって話し合って。

その中で、リーダーとなったKさんは、
仕事の合間にギリシア大使館に出かけたり、
週に何度も、何度も、何ができるかといろんな方と
ミーディングをしたり・・・

メンバーの一人の中学生は、ボールを送ろうとチラシを
作ってみたけど、上手く大人に協力してもらえなかったり、
何ができるかわからなくなったり・・・
でも、何かしようと、友達と、メッセージを書いて
アルバムに貼ってみたり…

色んなことがあったけど、
イブライム・フセイン選手が来日しました。
中学生が作ったアルバムを、
リーダーとイブラヒムの友人で通訳の仲間が
空港で4時間待って渡してくれたと。

それをイブラヒムがとっても喜んでくれていると。

このエピソードのきっかけの話と、過程の話から
この一年弱のことを思い返すと、
本当に泣けてきます。

しばらく、このnoteもパラリンピック特集になりそうです。

さぁ、いよいよ今晩、開幕式ですね。

▶イブライム・フセイン選手の動画
https://sports.nhk.or.jp/paralympic/video/e7b3fe828d1f44e98dd1951a6fbf94

▶中日新聞さんの記事
https://www.chunichi.co.jp/article/316761