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セルフラブってなんだろね

自分を愛するってなんだろな、
自分を大切にするってなんだろうか。

よく言われる。
「誰かを大切にする前に、まずは自分を大切にしなくちゃいけない。」

自分を大切にする方法ってなんだろうか。

たぶんそれが、自分の気持ちを大切にするってことなんだろうなってことはなんとなくわかっている。
今日はなんだか動きたくないなと思う日に無理して動かないこととか、
食べたいものを我慢しないとか、
傷ついたときに笑顔でなんでもないふりをしないとか、
たぶん、そういうことなのかな。

でもそれって、一歩間違えると、怠惰とか自分勝手とか、そういうところに行ってしまう気もして、私はちょっと怖いのだ。

食べたいものを食べていたら太ってしまうとか、
生きていくのにお金は必要でそのためにはお金を稼がなくちゃいけないから、動かないでいることは難しいとか、
そういう現実的なことばかり考えてしまう。

自分を大切にする方法を義務教育にしてほしかったなと思う。
今、自分を大切にする方法をわかっている人が正直うらやましくもなる。

「いっそ早めに沈めてもらった方が傷が浅くて済む。
そのとき生き延びたことで後から致命傷を負うんだ。」

ある漫画でこういうセリフがあって、ああわかるなと思った。
辛くて苦しいときに乗り越えてしまったことが、後からさらに大きな傷を生むことってある。

もう私は死ぬかも、殺されるかも。
身体的にも精神的にもそう感じていた頃を私は生き延びた。
生き延びたことで、その後のトラウマに今でも苦しんでいる。

生き延びなきゃよかったとかは思わないけど、
生き延びたことで新たに生まれる苦しみはあるなと思う。

生き延び方にもたぶん種類があって、
ちゃんと助けを求めて、救われて、乗り越えるという生き延び方もあれば、
ただその瞬間を耐えて、我慢して、そのうちに感覚が麻痺したという生き延び方もあると思う。
人生って複雑だから、もっと色々種類があるんだろう。

私の場合は、我慢し続けて感覚が麻痺したパターンだったんだと、今ならなんとなくわかる。
虐待サバイバーだなんて言葉が私には似合わないと思っていたのにも納得だ。
別にサバイブしてないからな。
ただ通り過ぎていくのをずっと待っていただけ。
暴力や暴言を浴びながら、その時間が過ぎるのをずっと待っていた。それを繰り返してここまで生きてきただけだ。

別に自分を卑下するわけじゃないし、
ここまで生きてきたことはたぶんすごいことだし、
あの頃の自分に「頑張ったね」って言ってあげたい。
でも、生き延びたから全て解決するわけじゃないことも現実なのだ。

中途半端に生き延びてしまったなあ。
そのことが今重くのしかかっているのは事実。

「麻痺した感覚を修正しつつ、自分を大切にできる生き方を目指しましょう。」
そう最初にカウンセリングで言われたことを思い出す。
そしてその言葉が今なら納得できる。

自分を大切にするってなんだろね。
今でもあんまりわかっていない。知りたいんだけどな。