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弱音は吐くもの

今、世の中はぐちゃぐちゃだ。
2020年が始まる頃には、世の中がこんな風になるなんて思っていなかった。
突然、外へ出ることが許されなくなった世界。
(もちろん、仕事や買い物で外出をせざるを得ない人がたくさんいることも知っています。皆さんお気をつけて。私も気をつけます。)
会いたい人に会いに行くことができない。観たかった映画を観に行くこともできない。学校さえ閉鎖。
そんな風になるなんて誰が予想しただろうか。
毎日朝起きて、学校に行って、友達や恋人に会って、そして家に帰ることが当たり前だった。
あまりにも当たり前すぎて、それができなくなった今、とても変な気持ちでいる。

こんなとき、私が思うのは、弱音を吐くことについて。
「みんなが大変なんだから、弱音を吐いちゃいけない。」
「マイナスな言葉は周囲へマイナスな影響を与える。」
こんな言葉を今までみんなどこかで聞いたことがあると思う。
私が心配なのは、弱音を吐くことはダメなことだと思って、心の中に弱音を溜め込んでしまっている人が多いのではないかということ。

今の生活で誰かと同居していて、かつその人と支え合ってうまくやっていけている人もきっとたくさんいるだろう。(その誰かは、家族だったり恋人だったり友達だったり、人それぞれだと思う。)
でも、同居している人との関係が良好でない人もいるし、その人とは悩みを話せるような関係でない人もいる。一人暮らしの人もたくさんいるだろう。
物理的にも、心理的にも、一人ぼっちで戦っている人はたくさんいる。

一人ぼっちで戦って、弱音を吐かずに生活するなんて、どんなに強い人でも無理だ。弱音は吐くものだよ。
弱音を吐く=その人は弱いということではない。悪いことなんて何もない。

みんなで弱音を吐いて、どんどん感情がマイナスに向かって行ってしまう可能性は確かにあると思う。それが、マイナスな感情がマイナスな影響を与えるということなのだろう。
でもだからといって、自分の心の悲鳴を押し込めてまで、我慢する必要はないんじゃないかな。
疲れちゃったな。今日はもう頑張りたくないな。それくらい言ったっていいと思う。常に頑張り続けなくていい。ただでさえ頑張ってるのに、弱音を吐かないように頑張る必要なんてない。

みんな確かに頑張ってる。生きるのって、それだけなのにすごく大変だ。
私は誰かの弱音を受け取って、頑張ったねって背中をさすれる人になりたい。
それに、みんなが弱音を吐きたくなるくらい苦しそうで、私がまだ大丈夫なときは、できるだけプラスの空気を流すように心がけたい。
そうやって、誰もが弱音を吐きやすい世の中にしていきたいな。

今、弱音を吐かないように頑張っている人が、「頑張らなくてもいいんだ。」って、肩の荷を下ろしてくれますように。