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愛情が怖い

月曜日の朝から、何でこんなことを書いているのかと思うけど、
久しぶりに書きたくてしょうがなくなった。

日記もつけているけれど、ボールペンを持って紙に書く行為は、心にその文字を刻むような感覚があるから、
怖いことはなるべくペンで紙に書きたくない。
それに比べて、こういう、スマホやパソコンで書き込む行為は、心の中のどんよりしたものを手放すことに向いているような気がする。
思いの丈を書き散らせば、悲しい感情はそのまま消えていなくなってくれる。

私は愛に溢れた人間になることに憧れていた。
優しくて、あたたかくて、誰かを安心させられるような存在になりたかった。
でも、それと同時に、私は愛という感情が怖い。
その2つが私の心の中で両立することを、最近やっと認められた。

私が家族から受けていた仕打ち。
友人やカウンセラーに相談すると、いつも言われた。
「ご家族はあなたのことを本当に愛しているんだね。」
彼らは私の家族の行為を肯定していたわけではないし、むしろ私のそばに寄り添ってくれたから感謝しているけれど、私は「愛情が深すぎてその人を傷つける」ということを理解できなかった。

いつからか、理解しようとするのはやめた。私が抱えているこの傷も、家族が私にした行為も、すべて本物で、事実で。どんな理由があったとしても、それは正当化されるものではない。
理解しようと思っても理解できなくて苦しむより、今もなお残る自分の心の傷に寄り添うことの方が大切だと思った。

私の家族は私を憎んでいたわけではないのだろう。
だから、愛情が深すぎて誰かを傷つけることがあるのだ、という事実もそのまま受け入れることにした。
これは許すとは別で、ただそういうこともあるのだなと受け入れることで、私の心の中の「どうして?」という苦しみを解放してあげたかった。

でも、愛情が深すぎて誰かを傷つけることがあるという事実は、怖いものになった。
私は愛に溢れた人になりたかった。
今までいろんなことがあって、人間不信になったり自分を傷つけたり辛い思いもたくさんしてきたけど、ようやく他人を信じたり愛したりすることができるようになってきたように感じる。
周りの愛情にも気がつけるようになった。

でもそこでよぎるのだ。
「私は愛することで誰かを傷つけてはいないだろうか?」
私の家族がしたことを、私は知らず知らずに誰かにしていないだろうか。

私は今、愛情が怖い。
自分の持つ愛情が誰かを傷つけるのではないかと怖くなる。

この気持ちへの解決策はまだ見つかっていない。
でも、ひとまず、この怖さを認めることから始めようと思う。