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ミスエデュケーション

クロエちゃん主演で話題のミスエデュケーションを昨日観た。

同性愛者であることが周囲に知られ、矯正施設に入れられたキャメロンと施設の子供たちの交流を描く。

「ミスエデュケーション 」というのはそのまま、間違った教育という意味だ。同性愛は治療できると言われていた当時の教育は間違っていた、ということを指しているのだろう。

この作品の中で、キャメロンを施設に入れた家族も矯正施設の大人も自分の行動が間違っているだなんて思っていなかった。家族は帰りたいというキャメロンに対して「あなたを愛しているのよ。」と言って断るし、大人たちも「同性への性的関心は罪である。」という。
矯正施設の人は、なんだかんだ言って同性愛を治療できるなんて考え方は間違っていると気づいているんだろうな〜とか思っていたのだけれど、あるシーンでこの人たちは本当に治療できると思っているんだ、と気付いて怖くなった。

同性愛を罪とする考え方は、=キリスト教の教えではない。
私はキリスト教の中高に通っていたため、聖書の授業があった。その授業の中で、同性愛は罪じゃないということをきちんと教えられた。
キリスト教の一部の教派や他の宗教の一部で、同性愛は罪であるとの考え方は今でもあるみたいだけれど、キリスト教信者が全て同性愛を嫌っているわけではないという認識でいてもらいたい。
日本は無宗教層が多いし、時に宗教に対して間違った認識を持っている。でもそれを正す機会はなかなか与えられないし、日本にはあまりなじみのない宗教・文化を知るというのはとても難しいことだと思う。でも、だからこそ、積極的に学ぶ姿勢を私は忘れないでいたいなと思う。

話を戻そう。
私たちは今の自分の価値観が絶対に正しいと言えるだろうか。
この作品では、同性愛を治療するという教育は間違っているということが描かれている。
では、日本でいう体罰は?体罰も間違った教育であると、やっと最近問題になるようになった。でもきっと、体罰をしていた教師側には、それが正しいものであると信じて疑わず行動していた人もいるだろう。

同性愛を治療することは、自分自身を憎ませることであり、精神的な虐待である。体罰も身体的・精神的な虐待であり、その人を傷つける。
誰かを傷つける行為に絶対的な正しさなんてなくて、その行為が社会に認めていたり、暗黙の了解となっていたものであってもそれが絶対に正しいと言える理由にはならない。

自分の価値観が、周囲の価値観が、誰かを傷つけているとき、一度立ち止まって考えたい。これは間違っているのでは?と。
そして、怖いけど、誰かを傷つけているとさえ気付いていないこともあるかもしれない。だからこそ、自分の価値観と日々向き合っていきたいし、社会の中で当たり前とされていてもそれが間違っている可能性だってあるのだということを頭の片隅にちゃんと忘れずに置いておきたい。