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ミス・アメリカーナ

私は、自分勝手だと言われないように生きてきたと思う。
自分への評価が高い人間ではないので、自分が自分勝手じゃないという自信はないけど、少なくとも、私への評価の一番上に「自分勝手」という言葉は出てこないと思う。

いい人間でいよう。ずっとそう思ってきた。
自分に降りかかってくる不幸は、全部自分のせいだと思ってきた。(詳しいことはまた別の機会に。)自分の日頃の行いが悪いから、報いとなって返ってくるのだと。だから、いい人間でいれば、辛い思いを今後しなくて済むのでは?と。
でも、いい人間でいればいるほど、生きるのが辛くなった。いい人間でいるはずなのに、傷つくことはたくさんあって、私はちっとも幸せじゃなかった。

私はいい人間だったと思う。ある程度。
でも、いい人間になるということは、人に優しくし、衝突を避け、自分が犠牲になればどうにかなるところでどんどん自分を削る人間になることだった。傷つきたくなくていい人間になるはずが、逆に自分を傷つけていた。

そう気づいても私はなかなか変わらなかった。ずっとそうやって生きてきたから。人には親切にしたいし、衝突は避けたい。そして私は、自分を犠牲にする選択をいつもしてしまうのだった。

そんなとき、ふと思い立って、テイラースウィフトのドキュメンタリー映画「ミス・アメリカーナ」を観た。衝撃だった。
テイラーのことは高校生のときから知っていた。そのときの海外の情報の頼りはゴシップ誌だったので彼女の恋愛事情はよく知っていた方だと思うし、彼女の歌が大好きだったのでいつも聞いていた。でも、彼女の考えや感じたことについては知る機会がなかった。多分私は、彼女のことをほとんど知らなかったのだ。

いい子でいるのをやめ、自分を大切にすること、自分の信念を貫くことにした彼女は、超カッコよかった。いや、本当に、マジで超カッコよかったのよ。
映画ではボディシェイミングや性被害、政治に対する彼女の考え方も述べられていて、私はなんかもう涙が止まらなかった。
そして、私も彼女のように考え方を変えたいと思った。

他人に親切にするということは、自分を大切にしないということではない。
私は今だって、他人に優しい人間でありたいと思っているけれど、誰かの都合のいい人間になりたいわけじゃないし、自分を傷つけたいわけじゃない。

他人に親切にして、自分を大切にするって、結構難しいかも。
でも、自分を大切にできなくて、他人を大切にできる?
簡単にはできないかもしれないけど、自分との向き合い方を考えてみようと思う。

自分を大切にすることと、自分勝手は、全く違う。