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言語化で自分と向き合うプロセスの前に

言語化で自分と向き合うプロセス。

プロセスを始めていく前に
なぜ今、言語化しようと思ったのかを今認識できる限りで
備忘録的に書き記しておこうと思う。


実は、数週間前に
吹っ切れたというか、
いろんなものがどうでもよくなるという瞬間が突然やってきた。

抱えているものを投げ出してしまうということではなくて、
抱えているものを投げやりにこなすということでもなくて。

ただ視界が360°の全方向に広がったような感覚になって、
何の根拠もないのだけれど、「大丈夫」と思えた瞬間だった。
そして、何かただただ楽しくなってきた。(笑)


今まで「大丈夫」「なんとかなる」は、
人からは何度となく言ってもらえることはあったけれど、
実際に自分が心から思えるようには、
なかなかなれず、なれたとしても一時的で。


そんな数週間前に突然訪れた「大丈夫」は、
自分のタイミングでしかそう思えるようにならなくて、
いつそうなるかのそのタイミングを決めるのも
やっぱり自分なのかもしれないと、気づかせてくれた。

私が自分のことを書き晒しても、私はそれで死ぬことはないし、
書き晒さなかったとしても、いつか死ぬのは変わらないという事実を
改めて気がついただけかもしれないけどね。

といろいろ書いてみたのですが、
結局のところ、
今の私なら、どんな自分が出てきても「大丈夫」と思えた
ってだけなのかもしれない。

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