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エホバ二世は辛いよ(鞭)

私は三兄弟の1人としてエホバの証人二世として18才まで組織にどっぷり浸かっていました。

なんせ赤子の頃からエホバ漬けの教育を受け、生活する訳ですからもちろんエホバを信じていましたが、
小学生のころから疑問はある程度感じていました。

一切の暴力を禁じる一方で、子どもたちには圧倒的な暴力で従える矛盾をうっすらおかしいと思いはじめたんだと思います。歳を追うごとにその思いが濃くなり、ただ辞めたいとは恐ろしくて言えず、
高校卒業と同時に家を出てそのまま、フェードアウトする形になりました。

本当にそうやって抜け出せたことは私が人生でできた唯一文句なしにグッジョブな決断だったと思います。

我が家は特に暴力的で過激な親だったので、
鞭以外にも理不尽な理由で殴られたら蹴られたりは珍しくありませんでした。

親は神様です。
機嫌を損ねればそれだけで重罪なのです。

鞭を執行する際は恐怖で震え上がり泣く私たちをみて笑いさえする親は自分たちが狂気の中にいるとなんて微塵も考えず行為に及んでいたのでしょう。
人の痛みを共感する機能が著しく低いのだと思います。

現役信者の母親によると、生後半年から鞭を始めたそうです。
反抗しなくなるまで、叩いたと笑いながら話していたのを覚えていて
乳児の反抗、、、?と私には母の話している意味がさっぱり分かりませんでした。

我が家の鞭は小学生に入る前から太い電気ケーブルを束ねたものでした。
大人でもそんなもので力いっぱい叩かれたら耐えれのでしょうか?罪を犯した兄弟姉妹たちに試したらいいと思います。

そんなもので、集会中に居眠りしたという理由だけで10発以上力いっぱい殴られるのです。

他には字がすらすら読めなかった、集中できていなかった、洗濯物が片付けられていなかった、寝る前に布団の中でおしゃべりをしたなど、
ありとあらゆる理由で鞭の極刑がくだったし、
時には自分がやってもないことで
連帯責任と言って鞭を受けることも珍しくはなかった。
刑務所の囚人より酷い扱いで、
毎日が罰のような暮らしっぷりだった。

私が自分で受けたもので最初の鞭の記憶は、
集会所のトイレで鞭をされ泣き叫ぶ私に
泣き止まないと追加鞭と鬼の形相で睨みつける母親と必死で泣き止もうと自分の小さな手で口をおさえ、必死に息を殺そうとしている記憶です。

今考えてもおかしいよね、叩かれた痛みと恐怖で泣いているのに泣き止まないとさらに叩こうとするなんて、、、躾でも教育でもありません。

ただの暴行です。

私は人より少し傷つきやすく、感じやすい体質に育ってしまったと思います。
自分より、兄弟が鞭をされ泣き叫ぶ声を聞くほうが辛く、
何より私の心を破壊するものでした。

鞭が始まり、鞭の凄まじい音と、泣き叫ぶ声が聞こえてくると、
決まって家の外の音が届かなくなる場所まで逃げて耳を塞いで終わるのを待ちました。
泣き叫ぶ声は耳と心に刻まれ今でも
わたしの心を蝕み、怒りと悲しみで震えます。

まだ小学生にもなっていない私たちでしたが、私が衝撃を受けた鞭は、前日の集会で何か粗相をしでかし鞭が確定していた弟を朝まだ寝ている状態で服を脱がせ体を押さえ込み鞭を始めたことです。
私は鞭のものすごい音で目が覚めましたが横で、何が起きたか訳もわからない状態で身動きもできず泣き叫ぶ弟に半笑いで鞭をふりかざす父とその横でやはり半笑いの母親を見て色んな種類の恐怖を感じたのを覚えています。

私たち兄弟はみな、組織から離れられたことは本当に良かったと思います。
世の中にもいろいろな苦しみがあります。
理不尽な世の中です。
でも私たちが幼少期に受けた理不尽は
私たちに必要のない時期にありました。
失敗していい時期に失敗を許されず
安心できる場所、心を安らげる場所がなかった。
人に頼り自分の弱さを許してあげる練習ができなかった。
その反動は今の生きにくい世の中でさらに私を苦しめるものです。

エホバの証人のことも、宗教のことも全否定したい訳ではありません。

でも組織ぐるみの虐待はなかったなんて言わせない。
組織が罪を認め謝罪し過去から学んでくれる日は来るのだろうか。

顔を出して活動してくださっている方々には尊敬と感謝の気持ちでいっぱいです。

いつかみんなの気持ちが報われる日が来ますように。


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