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#結局自分のことは自分でしか満たせない

こんにちは。久しぶりにnoteを書く気がします。

バティックというインドネシアの伝統的な布が好きな大学生です。ECサイトも運営していますので、ふら〜と見てみて下さい。


今日は最近思ったことを整理したいなと思い書いてみます。

今さまざまなメディアから自己肯定感と呼ばれる単語を良く耳にします。その言葉は日頃、目にすることの多いインフルエンサー、youtuberさんから発信され、より身近な概念へと変化してきたと思います。言われるのは自己肯定感をあげようね、自分で自分を褒めてあげようねなどというセリフです。

発信している人の話、云々よりその言葉の背景を自分なりに腑に落ちるようにしている人がどれほどいるかという話です。

誰がどのように考えるかは自由ですし知ったこっちゃないのですが、正直この言葉自体が飽和しているのではないかと思ってしまうのです。

私は自己を肯定すること、自分を褒めることというのは、自分がそれに相当する何かをしていない限り、心からの意で自己肯定感を上げることは難しいと思います。自分のアクションがないまま、今日も何もできていないけど責めるよりは褒めるだ!と本当は思いたい所なんです。しかし結局は、自分が満たされずにどこかが悪循環な方向になるもんなんです。それは、精神面、金銭面、身体面、人それぞれと思いますが。


自分を肯定する、褒める行動は自分を満たすことだと私は考えます。要するに、自分のことは自分でしか満たすことができないということです。言われたことある人もいるかもしれないですね。私は少しこの言葉の意味を最近体感しれ、分かってきました。特に人への依存は厄介です。誰かに満たしてもらおうだとか考えてた自分は何様なんだと最近思います。誰かは私のために生まれたわけでもないし、逆もまた然り。


では、自分を満たすにはどうしたら良いのか。これは見つけるしかないと思うのです。私は行動していること、自分の好きな仕事をしていることが満たされることなんだと思っています。特に、仕事の中で人とのコミュニケーションを取っている時だと感じます。


最近、私は上記のことをとてもさぼっていました。チームメンバーには大変申し訳無いことをしたと思っています。ただやる気が出ませんでした。いつも情熱のままに動いていましたが、なぜか消えそうだったんですねえ。(おそらく上記のことに気づけず人で埋めようとしたんだと自分では思っています)でもサボった期間は淡々と何も起こることのない、大変つまらない2週間でした。これは大発見です。本当になんの波もない。メリハリのない。ただ時間がすぎるとはこのことなんだと。私の心のコップには水が入っていく感覚が何も感じられませんでした。(自分ではニートできると思ったけどもしかしたら難しいのかもしれない。)この2週間は、チームの子に任せすぎて、自分の存在意義をも疑われそうな危機感に苛まれましたね笑

このことからも私は、自分が動くこと自体が自分を満たすことにつながっているんだなと気づいたんです。コップの水が溢れる分には良いんです。溢れた分を誰かに分けてあげられるから。ただ、自分のコップに水が入ってこないと自分はいつまで経っても喉が乾いたままです。そんな辛いことはやめよう。

私は少しコップの水が足りていないので、溢れさせることができるようにしたいと思います。


意外と書いちゃいました。また、気が向いたら書こうと思います。

読んで頂きましてありがとうございました!

バティック女子








【追記】

私が三年前あたりから推してる、三浦涼介が出ている映画を拝見して、大変満たされました。(?)

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