聖母マリアの秘密


 神は万能だといわれる。
 この世を造り、ひとを創った。
 だが、彼女は自らひとだと告げ、
 だから神の代わりにわたしにも奇跡的な現象を示すことができるという。
 なぜなら、神はひとを創ったあとで、
 その運命にまったく関わっていないからだ。
 ひとだからこそ、ひとにその大いなる力をおよぼせるのだと説明する。

 「神はこの世を造り、人を創ったが、ひとを創ったあとで、その運命にまったく関わっていない」
 このマリアの言葉は、キリスト教徒が信じる「神」のイメージとはまったく相容れないものだ。
 彼女の言葉を真中は「神」という単語で感じ、そう表現している。だが、言わんとするニュアンスはもっと広い意味のような気がしてならなかった。
 〝自然の摂理〟や〝地球意思〟、ひょっとしたら〝宇宙〟そのものか〝宇宙のはじまり(ビックバン)〟かもしれない。それなら、いるとも言えるし、いないとも言える。創造主ではあるが、ひとの運命にはまったく関わらないことの矛盾も生じないのではないか。
 彼女は自らひとだと言うが、真中の感覚では、とてもただのひとには思えない。自然さえも巻き込む驚くべきパワーを備えた特別な女性。なぜ、そのような能力を持つのかについては、まだなにも語ってはいない。
真中には、彼女がなにを語り、なにを語りたくないのかがいまだにわからないのだ。
 ただ、彼女がもたらす奇跡には、いくつかの特徴がある。最初に、「重要なカギをにぎる人物」が現れる。それは例えば、あのシスター・アン粟津であり、名古屋では詐欺師のマツイである。横浜のケースでは、最愛の孫だった。

 「彼はあなたの最愛のひと
  わたしの真実へと導く使者として 
  愛を伝える
  役目をつとめたのです」

 「自分のためでなく
  愛する妻のため
  我が子のためにと
  心から願うことです」

 「その愛する想いが
  あなたの願いを
  かなえるのですから」

 しかし、ある人物が現れた時点では、「彼女の使者」なのかどうか、真中にはまったくわからないのである。奇跡的な現象が起きてようやく、「そうだったのか」と気づかされる。その繰り返しなのだ。
 奇跡の内容についても、彼女にはそうとうのこだわりがあるようだ。自分だけが救われたいという願いには、そっぽを向いてしまう。だからある意味、やっかいなのだと、真中は思う。ひとはしぶしぶとではあるが、権威ある人物の目に見えるわかりやすい奇跡にしか認めたり、聞く耳を持たない。「予言」がその代表例だ。
 真中はわたしの身に起きた奇跡が事実と認められるよう、誰もがアッと驚く予言を的中させて見せてほしいと頼んだことがある。願いは届かなかった。自分勝手すぎるという判断なのだろう。

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