聖母マリアとの契約
フジモリは確信していた。いずれあの男は、我が身に起きた不思議な現象について書きはじめる。元々が作家なのだから、当然の行動であり、マリアの意図もその点にあるはずだ。
話題になり騒動になれば、彼女はそのときこそ、「あの男性がマリアの選んだ人物だ」と指摘するつもりだった。バカ正直に、シスター・アン粟津が聞いたマリアの言葉「本を読みなさい。それを書いたひとにわたしのメダイを贈りなさい」などというつまらない指示を書く必要はないこともわかっていた。
これではマリアの奇跡を無視し否定しなくてはならない総本部に口実をあたえるだけだった。たとえ本当の言葉でなくても、マリアの意図を汲んでより神秘的にそれらしく工夫してある。修道院長のフジモリはその容姿に似合わず、ずっと政治的な策略にたけた経営者だったのである。五十歳そこそこで、しかもシスターでありながら、教団最大の修道院を任されているのは、この才覚と優れた政治力のたまものだった。
フジモリ院長がトウゴウ大司教を訪ねた同じころ、真中の身に第三の奇跡が起きた。
ある休日、真中はいつものように朝風呂につかっていた。内股に目をやると奇妙なデキ物があった。真っ赤な四粒の腫れ物が規則正しく浮かびあがり、きれいなひし形を作っていた。一粒ずつが、直径約二ミリの大きさで揃っている。色は毒々しいくらいの鮮紅色をしていた。
指でそっと触ってみる。痛くも痒くもない。熱っぽくもないが、間違いなく皮膚からはふくらんでいる。体調は良く、風邪ひとつひいていなかった。他の部分にはなんの異常もなかったから、発疹でもない。
これはなんなのだ。真中はもう一度、左足の内股に浮かびあがるひし形を見つめた。医学事典にも、それらしき病名は見当たらなかった。
一カ月間、四粒の腫れ物は鮮やかな紅色を失わないまま、同じひし形を描き続けた。そしてさらに一カ月がすぎたころ、その粒が今度は青いアザに変わった。色が薄くなり、完全に消滅したのは、四カ月目に入ってからだった。
真中はこの腫れ物について誰にも話さないまま、ひとりバスタブで眺めては、ひし形の意味を考え続けた。
これは聖母マリアから届いた契約OKのサインだと。
そう結論を出しつつも、あまりの不気味さに、自分の契約相手は聖母マリアの姿を借りた悪魔ではないかと何度も考えなおした。
やがて彼はこの四粒を線でつなぐと十字架になる事実に気づいた。ひし形は「彼女が描いたクロス」だったのである。
キリスト教の世界では聖痕という現象がある。イエス・キリストの顔やクロスが信者の身体や腕などに青アザとして浮かびあがる。まれにだが、それが傷になり、血が滲んで流れ出す場合がある。
ただ、聖痕とはあくまで神の子であるイエス・キリストのもたらす奇跡を指す。決して聖母マリアのものは聖痕とはされない。正式に彼女の印を調査したデータは存在せず、過去に同じケースがあったかどうかも確かめようがないのだ。
聖母マリアは、自分のサインが神の子のものとは違うことを示したかったのではないかと、真中は思った。もちろん、本物だと仮定しての話だが。
この時点ではまだ、彼女との契約に百パーセントの確信はなかった。なにしろ、彼はシスターのように、「聖母マリアの姿を目にしたこともなければ、ただの一度も声を聞いていない」からである。
聖母の奇跡とされるファティマやルルドでは、彼女ははじめにその姿を子供たちの前に現している。だが、彼には夢の中にさえ現れていない。アイスコーヒーに入れる砂糖の量を減らせと聞かされた中年女性の警告の声はあった。しかし、あの声質と響きは絶対に彼女のものでない。
あのときは緊急事態だったのだ。不気味で不吉なしわがれ声で脅し、そのショックで砂糖の量を減らすよう仕組んだ。そうしなければ、持病の完治はおろか、命にかかわる病気を発病しかねなかった。呑気な彼といえども、彼女の警告にしたがうほかなかったのだ。緊張感が砂糖一杯だけのコーヒーをうまく感じた理由だったのかもしれない。
数日後、真中の会社に今までまったく取引のなかった大手銀行から、常識では考えられない融資の勧誘がかかった。何年もたいした売上のない会社の口座に、無担保かつ保証人なしで、低金利の融資による大金が即座に振り込まれた。
翌日には、公的機関の貸し出し枠を活かした資金はいらないかと電話がかかってきた。真中はかつての取引銀行に幾度も足を運び、融資を頼んではアッサリと断られていた。
運転資金のメドがつくやいなや、一度も受注したことのない役所の大きな仕事が舞い込んだ。彼はマリアが約束を守るために動き出したことを知った。
「おもしろい。マリアが受けて立つなら、わたしも受けて立つまでだ」
聖母マリアと真中克彦の契約が成立した瞬間であった。
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