大雨の日の不思議


「資金を出すのはよいが、絶対に儲かるのか」
マツイは会場前に居残る出席者のひとりに、こう念押しされるやいなや顔色を変え、冷汗を拭った。
「認可されたら役人の天下り会社とうまくやっていくとの誓約書を提出しているので、その点は確実です」
「それはおかしい。彼らと対決し、彼らが独占している不当な儲けを奪うのが最大のテーマであることは、わたしが書いた設立趣意書にはっきりとうたっている。それを当の役所と裏取引をしてどうするのか」。真中克彦は松井の発言に耳を疑い、大声を上げた。
「そんな趣意書があるとは知らなかった。なにがどうなっているんだ」
別の出席者から詰問されたマツイも急に声のトーンを上げ、
「この事業は自分の発案であって、この人とはまったく関係がない。だから趣意書なんかどこにもないんだ。いいじゃないか、認可されるためなら、どんなことでもやるべきだ。もともと彼はただのオブザーバーであって、今日の会の講演者にすぎない」
と、早口でわめき散らしたのである。

 真中はその日、名古屋にいた。役人批判をテーマに作品を書き続けてきた真中は、建設省(現国土交通省)の天下り会社を痛烈に批判していた。
この天下り会社は、公共工事を落札・受注した中小の建設業者に保証書を発行し、もしその業者が倒産するようなことになれば、損害を業者に代わって発注元のお役所に弁済する役割を担っている。公共工事費として支払われるお金は国民の税金であるから、万が一に備えた保証制度が必要というのが表向きの理由だ。
 だが、制度ができた昭和二十年代後半(一九五〇年代)の、中小・零細企業が資金調達すらままならなかった時代ならともかく、すでに役割を終えた制度であった。しかも、建設省のお役人たちは自らが主導して天下り先となる保証会社を設立して民間損保会社の仕事を奪ったあげく、中小の建設業者からは半ば強制的に保証料を受け取る仕組みを作り上げていたのである。
雑誌やテレビを通じて、会社組織を隠れみのにして国費をむさぼるこの理不尽なシステムを直ちに廃止しろと、真中は主張していた。デビュー作で告発した東京都庁の官製談合を皮切りに、約八年間にわたるお役人批判の最後の目玉として、このプロジェクトに全精力を傾けていたのである。
しかし、傲慢な役人たちは真中の主張になど聞く耳を持たない。
「戦後四十年も続く制度なんだから、いまさらどうしようもないでしょう。そんなに止めたいのなら法律を変えてくださいよ」とうそぶくばかり。反省するどころか開き直り、制度を改めるそぶりすら見せなかった。真中はキレ、彼らと同じ土俵で戦うことを高らかに宣言した。
「よし、毒をもって毒を制すだ。自分で会社を作ろう。その会社を利用して奴らのふざけた会社と張り合い、儲けをむしり取ってやる」
 六月のある日、大学の同期で、元新聞記者のマツイと名乗る人物が真中の自宅兼事務所を訪ねてきた。「雑誌を見た」と言うと、こう申し入れてきた。
「あなたが提案する設立趣旨には大いに賛成だ。ぜひとも設立総会を自分に準備させてほしい」
異存はなかった。会社は東京でなくても構わない。役人たちの儲けをむしり取ることが重要なのだ。そして設立総会を九月十一日に開くので、名古屋に来て講演して欲しいと頼まれていたのである。
 旗揚げ総会当日の二〇〇〇年九月十一日、真中は妻とふたりで名古屋に到着した。空はとてもよく晴れていた。京都から別件で駆けつけた知人との打ち合わせを済ませ、総会の会場へと向かった。雲は濃くなっていたが、まだ雨は降っていない。
 いざ会場に着くと驚いた。マツイから説明されていた話は眉唾もので、「いかに確実な儲け話か」の説明がほとんど。マスコミへの露出が多い作家の自分を広告塔にして人を集め、実態はマツイが経営する会社への出資金を募る勧誘が総会の大半を占めていたのだ。
 会社設立にはそれなりの資本金が必要だったから、出資金を募るのはいい。建設業者の端くれでもある真中だって、儲け話は嫌いではない。しかしだ。あくまでこのプロジェクトの狙いは、役人たちが独占する不当な儲けを横取りし、彼らの鼻を明かすことにある。儲け話でなければ人も資金も集まらないが、その志がなければ奴らと同じ穴のムジナになってしまう。真中はマツイに不信感を覚えながらも、気を取り直して会社設立の趣旨と目的を必死に説明した。
 ほんとうにわかってもらえたのだろうか。真中が不安な気持ちのまま会場の外に出たとき、真っ暗な空から豪雨が降り注いだ。まさに風雲急を告げるというのはこのことだった。「一〇〇メートル道路」と呼ばれる市内中心部の大通りを濁流が逆巻いて流れ、会場のエントランス前には濁流止めの土嚢が築かれようとしていた。
 真中はあらためてマツイを問いつめた。おおぜいの総会出席者が居残る中、奴はなにかに取りつかれたように本音を口走り、それに狼狽するとさらに自身の企みを見せつけた。隠そうとすればするほど、本心を暴露し続けたのである。あまりのおかしさに、真中は腹を立てるのも忘れ、バカバカしくなって笑うしかなかった。もうこの話には乗れない。観測史上初という豪雨がすべてを水に流してくれたのだと思い、自分を納得させたのだった。

 翌朝の新聞やテレビは、前夜に名古屋周辺を襲った豪雨被害の記事でもちきりだった。どこもかしこも水害で鉄道は寸断され、家々は水没している。
真中夫妻は時間を持て余していた。午前中に予定していた名古屋ドーム見物は当然、中止する羽目になり、その他のめぼしい観光地もすべて臨時休業となっていたからだ。あちこちに電話をかけまくり、市内で一カ所だけ平常通り開いている徳川博物館をやっとの思いで探し出した。
 この日の催しは、当時放映されていた大河ドラマにあやかり、葵三代をテーマにした徳川家の所蔵品が展示されている。真中夫妻はガイドの案内に従い、江戸時代の豪華な衣装や道具に見惚れながら館内を巡っていた。やがて最後の展示部屋へたどり着いたとき、彼は一行から離れ、なにげなく近くのガラスケースを覗き込んだ。息を飲んだ。
間違いなくそこには二カ月前、突如として見ず知らずのシスターから届けられた、

あの不思議のメダイが

三個も並んでいたのだ。

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