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マリアの奇跡は認められない


 修道院長のフジモリが奇跡承認の請願書を持って東京本部のトウゴウ大司教を訪れ、面会を求めたのは、二OO×年一月初めのことだった。
 応対に出たのは秘書役の若い神父で、彼は済まなそうに、「急用ができて、京都の総本部へ行かれました。シスターには連絡もつかず大変に申しわけがない、くれぐれもお詫びするようにとおっしゃっていました。ご用件の趣旨はわたしがお伺いし、必ず大司教にお伝えいたします」と院長の視線を避け、ひたすら恐縮して詫びた。
 神父の態度から、大司教が会うのを避けたなと、院長にはわかった。予想した通りだった。どう逃げるのかを楽しみにしていたくらいだったから、別に驚きもしなかった。
「それはそれは。では、この書類を置いて帰ります。トウゴウ大司教様にはくれぐれもよろしくお伝えください」相手の若い神父よりもさらにていねいなお辞儀を返した。
 なんといっても今回の奇跡は事実なのだ。いくら大司教やまわりの幹部たちがこれを無視しようとしても、頬かむりはできっこない。現実に起きるマリアの奇跡や言動を否定しようとしても、真実は避けて通れないのだ。まして年々衰退の一途をたどっている教団にとって、マリアの奇跡はまさに救世主である。
 パリの本部でさえ、一八三〇年のカタリナ・ラブレに起きたマリアの奇跡で不思議のメダイを作らせたことがその後の隆盛につながったのだ。教団が今日あるのも、その由来もまた聖母マリアの出現なのだ。
 信仰とはまったく無縁でバカバカしい本を書く男にメダイを贈らせ、現世利益としか思えない奇跡を施すなど、神の子の教えと矛盾する言動にはフジモリも納得がいかない。だが、ほんのすこし工夫すればなんとでもできる。彼女はそのために頭をひねり、ついに彼らが黙認できるような解決策を編み出した。
 マリアの意図はともかく、彼女が修道院長の忠実な部下であるシスターを使者に選んだことには、感謝しなければならないだろう。はじめこそ、なぜ、わたしでないのかと腹も立った。でも、万が一、不都合な事態が起きたときには責任をシスター・アン粟津に押しつけることができる。
 その思いはトウゴウ大司教とて同じだろうと、フジモリは先読みしていた。彼もまた、それなりの実績が欲しい。人気のあるマリアの出現と奇跡は、信者獲得の目玉になる。おいしいところだけを取り、火中の栗は決して拾わない。これが彼女が知る彼のいつものやり方だった。つまり、大司教の結論はひとつしかない。
「公式には認められないが、事実と認定せざるを得ないので、最終判断を求め、この請願書を京都の総本部に送付します」と相手を立てつつ上手に責任を回避することだ。
 この決定はすぐにフジモリにも伝えられる。地区本部が事実だと認めたことで、暗黙の了解が成立してしまう。あとは彼女の判断に任される。まさにこれが狙いだった。
 総本部はいまさらマリアの奇跡を正式に認めることは出来ない。すでに神の代理人である最高機関からの通達が出されている。
「今後マリアに関する一切の現象を正式に聖なる奇跡と認定することはない。マリアは唯のひとであって、信仰者の先頭に立つものにすぎない」
 大司教どころか最高幹部たちでさえも、通達にあえて逆らってまでこの請願書をローマに送るなどあり得ない選択だった。
 フジモリ院長は若手神父に向かい、さあ、ゆっくりとこれを読みなさい。そして額を集めて相談することね。無い知恵を絞って。いずれあなたがたはこの奇跡を無視することはできなくなって飛びついてくるしかないのですからとばかりに、分厚い紙袋をデスクに置き、悠然と立ち去った。
 この奇跡で唯一の欠点に思えたマリアの言葉は、彼女の手で改ざんされていた。

 「わたしの奇跡は必ず起きます。
  それも近いうちに
  その者は自ら姿を現し、
  わたしのメダイによって
  奇跡がもらされたことを
  あなたがたに驚きをもって
  語るでしょう」
 
 「そのものは神を畏れぬ心を改め、
  イエス・キリストの恵みが
  あることを
  身をもって証明するのです」

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