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伊達じゃない

いちばん"興奮すること"と聞いて何が思い浮かびますか?
美味しい食べ物を食べること、エッチなこと、お気に入りの洋服を着ること、映画が始まる前の予告やコンサート前のチューニング……或いは、グリーン車に乗ることですか? それとも、爆音のEDMと目に良くなさそうな紫色のライトをびかびかにつけながら走るヤバそうな車を見かけることですか?

どれも良いとは思いますが、私のいちばんは違います。
私が興奮することは、「お年寄り同士の席の譲り合い」を見ることです。

ぴんと来ない方も少なからずいると思うので詳しく説明いたします。
「お年寄り同士の席の譲り合い」とは、文字通り、『お年寄り同士の席の譲り合い』を意味しています。


説明になってないじゃないか!と思った方、落ち着いてください。息を整えて、深呼吸。これから言いますから。


バスや電車内などで起きる「席を譲る」という行為は、普通、一般的に、学生などの若者といった席を譲る余力がある者から、足腰に不安がある等の理由から席に座りたい者へ行われるものです。つまり、これも一般的にですが、お年寄りは席を譲られる側であるということがわかります。
しかし、特殊な条件が満たされることで、席を譲られるはずのお年寄りの立場が逆転し、席を譲る側へと転じることがあるのです。今からその条件を、バスでの譲り合いを想定し挙げていきます。

第一の条件は、バスが混んでいることです。これは恐らく必要条件でしょう。混んでいるとまでは言えなくとも、席が全て埋まっている状況でなくてはいけません。
第二に、乗客の割合の多くをお年寄りが占めていることが挙げられます。先ほどの条件に付け加えるならば、埋まっている席に、既に多数のお年寄りが座っている状況が好ましいということになります。
第三に、譲る側のお年寄りにまだまだ元気があるということが挙げられるでしょう。これは恐らく、年齢といったものが基準になるわけではなく、例えば、午前中のこれからどこかへ向かうお年寄り、つまり、帰路の中途ではないお年寄りが行動に移しやすいというようなことがいえると思います。従って、必然的に駅へ向かうバスといった栄えた方へ向かうバス内で起きやすいということも推論できるでしょう。

以上の事柄が条件として挙げられると思います。
加えて重要なのが、若者からお年寄りへ譲る際に考慮される「勇気」や「タイミング」といったものは、ここでは問題にならないということです。お年寄りは「断られたり、嫌な顔されたらどうしよう」とか、「どのタイミングで声かけよう」、「そもそも何て声かけたらいいんだろう」とか考えません。断られてもごり押しして座らせてましたし、多分、考えていません。

このように、「お年寄り同士の席の譲り合い」というものは、タイミングや勇気の問題を孕まないために、条件が揃えば簡単に見ることができます。しかし、条件の揃いにくさから非常起きづらいものでもあり、従って、それを間近で見るということは大変貴重な体験なのです。
そんな貴重な体験に巡り逢って、興奮しないわけがない。
そうですよね? 
見るつもりのなかったオーロラを偶然目にして、テンションが上がらないわけがない……そういうことです。


そして、私は今日、その貴重な体験をしたのです。

それは、映画を観に行こうと出掛けていたバスの車内で起こりました。
定刻を15分ほど過ぎ、幾ら待ってもバスは来ず、私は夏の日ざしの暑さにじりじりと焼かれているところでした。やっと道路の向こうに見えたバスは、遠くからでもわかるほどたくさんの乗客を乗せていました。急いでなければ、見逃して次のバスに、という気持ちにもなるのですが、私には友達との待ち合わせがあり、これ以上は遅れられません。私は仕方なく、たくさんの乗客を抱えたバスに乗り込みました。午前中だったこともあり、車内は席から通路まで多くのお年寄りで溢れていました。
私はお年寄りの一群をかきわけるようにして車内中腹まで移動し、立っていました。私が乗り込んだバス停には他にも待っている人が居たため、中ドアの方に目を向けるとまだ人が──そのなかには新たなお年寄りの姿も──乗ってきています。

乗客を受け入れ終えた中ドアが閉まり、運転手のアナウンスとともにバスが発進しました。
すると、私のすぐ斜め前に座っていたお婆さんが突然、席を立ったではありませんか!
おいおい、バスはもう発進しちまってるんだぜ! 気でも狂っちまったのかい、婆さんよお! 私のなかのおちゃめなウィルがそう言いっています。
「どうぞ、座って」
立ち上がったお婆さんはそう言いました。
誰に対してか──そうです、私とともにバスに乗り込んできた、新たなお年寄りの一人にそう言ったのです!
席を勧められたお婆さんは「ああ、いいのよ、座っていて」とすかさず遠慮をする姿勢をとります。しかし、もう既に、席を勧めたいお婆さんは立ち上がってしまっています。揺れる車内、募る思い、そして弱った足腰は、目の前のお婆さんを座らせようと一心に声をかけ続けます。
「いいや、いいのよ、あたしは大丈夫だから」お婆さん特有の声調がカーブで傾く車内に響きわたります。
本当はこのお婆さんも、まだ十数分ある駅までの道中を、座っていたいに違いありません。
──これはまるで、上杉謙信と武田信玄、周辺諸国の策略により塩を止められた武田に、敵でありながら塩を送ったとされる武将上杉の御心を重ねずにはいられません。
席を勧めるお婆さんの手は、手すりと全く他人であるはずのどうしても座らせたいお婆さんの肩をがっちりと握って離しませんでした。
ここまでされると、いくら伝統的なジャパニーズ・スピリッツを胸に秘めるお婆さんであっても、このまま遠慮し続けるわけにはいきません。実際、席があったら座りたい、そう思っているのでしょうから、嬉しいことは嬉しいのです。
「あら、そう、どうもね、ありがとう」
お婆さんは明朗にそう言うと、席を譲るお婆さんの腕を手すり代わりに掴み、空けられた席に滑り込んでいきました。
席につき、安心と安全を得たお婆さんから再び感謝の言葉がなげかけられます。「ありがとう」と。そして、「今日はいい天気でお出掛け日和だねえ」と。
この二言目こそが、お年寄り同士による席の譲り合いの真骨頂、そしてクライマックスなのです。
揺れるバス車内という戦場において、席を譲りあった見ず知らずの2人のお婆さんはもはや戦友ライバルで、その終戦とともに交わされる言葉は、長き苦楽を共にした記念すべき言葉です。そこには、感謝の思いだけにはとどまらない、信頼を確かめるような、また、壁を打ち壊すような他愛もない一言が必ず添えられます。「天気がいいですね」だとか、「今日はどちらへ」だとか、あるいは最近のこと、たとえば健康のことであるとか、そういった何気なく交わされる一言が、私を、底知れぬ興奮の深淵へと誘って離さないのです。
席につく者とそうでないものが入れ替わった今、彼女たちの間には何の格差もありません。天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず──きっと福沢諭吉も私と同じような光景に巡り逢い、この言葉を残したのでしょう……。

以上が私の最も興奮することです。皆さんもぜひ考えてみてください。





余談ですが、本当は例えのところで「ナルトとサスケ」と書こうと、真っ先に思いついていました。
ただ、前回の反省を踏まえて「上杉謙信と武田信玄」に変えました。というのも、前回の記事で、どうしてもあの序文を書きたくて『ワンピース』の話を入れてみたところ、あとから読み返してみたら、あの数行は『ワンピース』を知らない人が読むと全く面白くないことに気づいてしまいました。僕は『ワンピース』に対して特に深い愛もなく、とりあえず知っているのだけだったのであのように文章にできましたが、知らない人は全く面白くないですし、深く知っている人もそれはそれで面白くないよなあと、思ってしまったのです。
今回はその反省点を生かして、はじめに思いついていた『ナルト』の例えを捨て、誰もが知っていそうな歴史系で書いてみました。結果、僕が上杉武田両名についてあまり知らないものですから、すごい、ふわふわした感じになっていました。ただ、書くにあたり、少しだけ調べたところ、「塩を送ったのは史実ではありません」という記述を目にしてしまいました(無償であげた、高値で売りつけた等の事実はなく、通常営業で塩を売り続けた、らしい?)。
なんだよ……と思いつつ、多少ためらいましたが、送ったということにして書きました。
これはもうどうしようもないことです。僕がもっと頑張って戦国の世について勉強するか、皆さんが漫画村(だめです)でナルトを読むかしないと解決に至ることのない問題です。なので、それとなく間を取って、なんとか、どうにかしようと思い、このような結果に至りました。

さらに余談ですが、僕はやっぱりライバルと聞くと「ナルトとサスケ」をいちばん最初に思い浮かべてしまいます。他にも色々な作品にライバルという存在は付き物ですから、考えればたくさん浮かんできます。
アムロとシャアとか、……とか、ほら……とかです。
ごめんなさいなんか、僕の中ライバルの棚がすかすかだったみたいで、「他の種類ってありますか?」と聞かれても「そこになければないですね~」状態で、全然浮かんできませんでした。ただ、アムロとシャアだと切磋琢磨感が少し薄い気がして、“良き”ライバルとなるとやっぱりナルトとサスケになってしまいます。戦友と書いてライバルと読ませてしまう恥ずかしいことする人もいますし、ライバルにはある程度仲良くしてほしいということなのでしょうね。
その点、ナルトとサスケは、道を違いながらも熱い共闘を繰り広げたまさに良きライバルといえるでしょう。特に僕が好きなのは、疾風伝に入る前、サスケ奪還編の最後の決闘です。お互いに、まだ尾獣や呪印の力を使いこなせていない発展途上の状態でぶつかり合う姿は非常に印象的です。漫画で何回も読み返していた記憶があります。ちょうどあのあたり、26、27巻はコッミクスの表紙も含めて好きですね。
ここまで、色々言っていますが、「ナルトで好きなキャラクターは?」と聞かれると、ナルトでもサスケでもなく、「シカマル」と僕は答えます。


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