平々凡々、淡々とした人生を送りたい。それができれば御の字。
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「これからどうしよう?」と迷ったとき何かのヒントを見つけてもらえればという思いで【L100】自分たちラボがご紹介してきた「身近にいる普通の働く女性たち」のキャリアや人生についてのインタビューエピソード。
今回は、20代半ばの最初の仕事で、「これ以上のことはないな」というほどの成功体験をしたことで、「平々凡々、淡々とした人生を送りたい」と思うようになったと語るキョウさん(仮名)のエピソード。キョウさんにとって、平々凡々、淡々とした日々とはどのようなものなのでしょうか。
―――今回、ライフヒストリーや人生曲線を書いてみていかがでしたか?
「平坦な」というイメージですね。基本、そんなに大きなことはない。
10代は、早く東京方面に行きたいなと鬱々と思っていたので、ちょっと低め。30代で若干低くなっているのは通勤がしんどくて、体調も良くなかった。40代後半から職場が変わって環境が良くなって、だんだんやりたいことがやれるようになってきたなー、多分このままいくのかなーと思って線を引きました。
理系はあり得ないと思ってきたのにメーカーの「企画」に入ってみたら理系の世界だった
10代~20代初め:学生時代と就職
―――どんな学生時代でしたか?
高校はバスケの部活ばかりしていて、あまり勉強しませんでした。そこそこ強豪校で、ほぼ毎日練習がある。それで数学と物理があっと言う間に落ちこぼれていきました。2年のクラス分けのときに理系はあり得ないので文系に進んで、大学は教育学科。国語の先生の資格をとりました。
―――でも教員にはならずに・・・。
当時は学校の先生になるのは難しかったんですよ。地元には絶対帰りたくなかったので、東京で就職しようと思っていました。
―――就職活動では、最初から今の業界を考えていたのですか?
いえ、全然。
私の頃って女子アナが流行っていた時期で、もう全部のテレビ局を受けちゃおう、というくらいに行きました。マスコミ中心に回っていたのですが、大学の就職課に「クルマの企画をやりませんか?」というチラシが置いてあるのに気づいて、こういうのも面白いかもしれないと軽い気持ちで受けたら一番初めに決まっちゃったんです。どうするか迷ったんですが、まあ、大きな会社だしいいかなと。企画というのは、宣伝とか広報のような、おしゃれ系の仕事なんだろうなと思って入りました。
車の開発に携わって、ビギナーズラック
20代前半:最初の配属先
―――で、入ってみたら違う世界だったんですね?
そうなんです。車の商品企画なのに、部品の名前すらわからない。アクセルとアクスルは全く違うものだし、車の挙動の話はまさに物理屋さんの世界。物理で落ちこぼれて文系に行った私としては、最初はしんどかったですね。
―――実際やってみていかがでしたか?
知らないことをやるというのはそんなに嫌いじゃないので、面白かったといえば面白かったかな。朝9時から夜9時まで会社にいるような日々であっても、今みたいにブラックだとか、嫌だなーとは全然思っていなかったんですよ。
自分は頼りなくても、車の開発スケジュールは進んでいくので、少しずつでも形が見えてくるのが、楽しかった。同じグループの先輩たちが良い人たちだったというのも大きかったと思います。
―――何年くらいやられたんですか?
1サイクル分の商品企画をやったので、3年半くらいですね。
しかも、最初に担当していた車が、欧州で賞をとって、それを皮切りに国内の賞もいっぱいもらったんです。グループの末席ではあったけれど成功したことで、「これ以上のことはないな」と思っちゃいました。いわゆるビギナーズラックです。
何がやりたい?と聞かれて驚く
20代後半:研究所に異動
―――その後、研究所に異動したのですね?
企画の2サイクル目に入るか入らないかというところで、社内のある研究所の所長さんと知り合って、「素晴らしい、一緒に働きたい!」と思い、ちょうどそこの部署から公募が出ていたので受けたんです。その時は落ちたのだけれど、そこの部署は慢性的な人手不足だったこともあって、その後いいタイミングで移ることができました。
―――その方は、どんな方だったのですか?
ポジティブで、いろんなことを知っている人。車という細胞1個を考えるのではなくて、その細胞が走っていく血管とか、からだ全体といったように、車と交通や社会の関係を捉えている話を聞いていて、広い視点を持っている人だなと思いました。
―――研究所に入ってどうでしたか?
最初はびっくりしました。「何やりたい?」と聞かれて、のけぞるほど驚きました。「何をするのかな?」「何をさせられるのかな?」と思って入ったので。そうしたら、研究所って自分のやりたいことをやるところだったんですよ。
その部署は、元々は小さな部署だったんですが、その後、社会現象についてもやってね、というように、扱うテーマがどんどん膨らんでいきました。
―――研究所のお仕事では、文系と理系を意識することはなかったですか?
研究所では、何をやっていても、今でもそうですけど、大体面白いですよ。車両自体の研究ではなくて、それ以外の、車両の研究者が逆によく知らない、社会環境を研究対象として扱っているので、なんとかなっています。
体調が悪かったときは、唯一「辞めどきかな」と思った
30代~40代前半:通勤に苦しむ
―――途中で辞めたいと思うようなことはなかったですか?
なかったですね。タイミングよく、いろんな仕事が入ってきたのもあるし、ちょっとずつ周りの環境も変わってきたので退屈しなかったですし。元々、長く勤めたいとか転職したいとか、そういうことは全然考えていませんでした。
ただ1回だけ、椎間板ヘルニアのときはしんどかったですね。
当時は自宅から遠い研究所に通っていて、数回の電車の乗り換えに加えて、さらにバスがあるという、通勤がハードなところでした。首が痛くて、2週連続で週2日休まざるを得なかったときに、「これはもしかして辞めどき?」と思ったのは覚えています。時々激しいめまいの症状も出ていて、後にメニエールとわかりました。
―――辞めどき?と思って結果的に残ったわけですが、その決断はどうやって?
それが、記憶がない。記憶がないくらいしんどかったんだと思います。
なんとか治ったのか? 年度が替わったからなのか、大きな役割が終わったからなのか、今もよくわかりませんが、何かが1個外れたんじゃないかと思います。自分で何か努力して改善したわけではないです。
10年近くそこに通って、40代後半に30分くらいで行けるところに勤務が変わり、快適な生活になりました。
―――引っ越そうとは思わなかったんですか?
30代になった頃にマンションを買ってしまっていたんですね。だから定期的な収入がないとローンを払えないわけで、半分冗談で定年まで勤めますと言っていました。
IT業界の言葉を知りたい
40代後半:プログラミングを学ぶ
―――事前に書いていただいたヒストリー表で、40代後半からプログラミングを学んだとありますが、これはお仕事とは別に?
そうです。とはいえ、社会でどういうことが起きているのか探す仕事をしているので、仕事と全く関係ないかというとそんなことはないのですが。
いかにもプログラミングをやりそうな理系の人だけでなく、文系の人も若い人もお年寄りもやるというのが流行っていて、そういう人のための学校が次々できている、というのを読んで、これいいなーと思って自分でも習いに行ってみたんです。
―――プログラミングを習って何をしようと?
日本の自動車業界がかつて海外進出していったときは、その国とおつきあいするために、皆が英語を始めとする外国語を勉強しました。現在の車はほぼ走るコンピューターと言われていて、今度はIT業界の人とおつきあいする必要がある。ということは、その言葉を勉強する必要があるよね、と。私にとっては新しい言語であるプログラミングを学んでいくと、見える世界が全然違っていくということがよくわかりました。その頃、ものすごく簡単なインターフェースでプログラムが組めるものがいっぱい出てきていたので、日常生活を便利にしてあげるようなものができるとかっこいいなーと思っていました。
平々凡々、淡々とした人生を送りたい
今後について
―――今は、仕事以外ではどんな生活ですか?
ジムに行っているんですが、ジムで鍛えたらシナプスがポンポンつながった感じがしています。私、方向音痴で有名だったんですけど、運動し始めたら、迷子にならなくなったし、メニエールの症状も全く出なくなりました。それはストレスがなくなったからとも言えるし、運動のおかげで何かが鍛えられた可能性もあるなとも思います。
―――人生曲線について、「平坦」とおっしゃっていましたが、意図的に、上がり下がりがない選択をしているのですか?
そうですね。「平々凡々、淡々とした人生を送りたい」と時々言っています。
―――いつくらいからそう思っています?
25歳くらいのときに、今思えば生意気だけど、これから余生だと言っていたような記憶があるので、それからじゃないかと思います。自分の担当した車が賞をとって、一番面白いところをもっていっちゃったかなと感じたことがきっかけだったかなと思います。最後死ぬときに差し引きゼロになるとすると、ビギナーズラック獲っちゃったらそこからはマイナスばっかりになるわけで、それがマイナスではなくゼロ付近をうろうろ、つまり平々凡々、淡々だったら御の字ですよね。だから、多くを望まないというか。
―――定年後はどうしますか?
私って、割と運がいい方だと思っているんです。現状は、延長したければ65歳まで勤められるけれど、お給料はだいぶ下がるという仕組み。でも、私が60に近づくと、それが後ろに延びるんじゃないかなと思っているんです。まあ、そうならなかったらそのときはそのときということで。
多分まだ定期収入がないと困る年齢だと思うので、継続して勤められるならお勤めさせていただこうかなと思うのではと思っています。
命とられるわけじゃなし
女性たちへのメッセージ
―――今、迷っている女性たちに何かアドバイスやメッセージがありますか?
最初に入った部署での「命取られるわけじゃなし」という大ボスの言葉が印象に残っています。ものすごく大変な時期で、彼は相当苦労していたんですが、「命取られるわけじゃなし」という言葉を机のビニールカバーの下に入れて、毎日それを見ながら仕事している。その人からは、他にもいろいろなことを教わりました。
仕事の中でどちらにしようか悩むときは、両方についてメリット・デメリットをよく考えたのであれば、どちらを選んでも多分結果は同じ。つまり、どちらにいっても大変さとか、何か言われる量はそんなに変わらないから、とにかく早く決めなさい。決めることが遅れる方が、確実に害があるから、「選択は早く」というのを教わった。それ以降、どうするかなーと思ったときは、メリット・デメリットを考えて、さっさと決めています。ああすればよかったと思うことはほとんどないです。
―――今日、インタビューに参加してみていかがでしたか?
全然苦労してないなーと思いました。
(*文中の写真はイメージです)
インタビュアーズコメント
この人と一緒に働きたい!と思ったら異動願を出し、興味を持ったら実際にプログラムを学びに行く。「平々凡々、淡々と」と話されましたが、慣れた場所に安住していたいということではなく、一喜一憂しない心持ちを持っていたいということかなと思いました。そのベースには、上司の方の言葉「命取られるわけじゃなし」があるようにも思います。時折ユーモラスにお話されていて、日々を面白く過ごしていらっしゃる様子が垣間見られ、「淡々と」と言いつつ好奇心旺盛に過ごしているんだろうなあと思いました。
【L100】自分たちラボ からのお知らせ
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