『AI倫理 人工知能は「責任」をとれるのか』の感想
最近はやりのAIはいずれ人類の知能を超え、人類を支配してしまうという都市伝説などがあります。
単純な私は恐れおののいており、図書館でこちらの『AI倫理』のタイトルに惹かれて読んでみました。
結論として、AIというのは私が思っているよりも単純?なものだということです。
計算能力では人間をはるかに凌駕するとしても、計算が早いだけでゼロからイチを生み出すことはありません。
さまざまなデータを組み合わせて何かを作ることは現在でもできますが、それも人間が生み出したものを組み合わせただけで、はじめのデータを生み出すことはできません。
また、生物と機械では根本的な部分が異なります。
生物は、自分のなかで「意味」を生み出すことができますが、機械は人間など外部のものからデータを与えられなければ、動きません。プログラムしなければ動かないのです。
そのため、AIには人間の持つ道徳や倫理は理解できないというか、生み出せないとされています。
道徳や倫理がないAIには、責任はとれませんから、結局AIを運用する人間が責任を取ることになります。
つまりAI倫理は、ロボット3原則のルールに加えてあらゆる倫理や道徳を人間が身につけなければなりません。
AIを使う人間が、良くない方だったとしたらとんでもない損害が発生するのは明白です。
技術が発展すればするほど、その技術による被害は大きくなるのは、今までの歴史を見ても明らかです。
そろそろ技術を使わないという選択をしても良いんじゃないかなぁ~と思いますが、使うんだろうなぁ。
私も画像生成できるAIを使ってみたこともありますし、めっちゃ面白かったので、皆使いますよ。
もし私がAIについてのルールを作る側だったらどのような条文にするか考えながら読みました。
一条も良い条文はできませんでした。ルールを作るというのは、とても難しいものですね。あらゆる情報が必要ですし、さまざまな観点や立場から見てみないと適正に運用できるかどうかわかりません。
AIについてのさまざまな論文などが紹介されていて、AIが人類を支配すると主張する論文への批判とその原因を宗教に求めていたところがとても興味深かったです。
一神教だとAI人類支配説を生み出しやすいとありましたが、正直八百万の神様を進行している日本人の方がAIに人格を求めやすいと思いました。
擬人化大好きだし。AIと相性よさそうな気がしてきました。
本書を読んで分かったことは、AI技術の進化によりAIに対しては恐れおののくことはないということです。
AIを運用する人間に対しては要注意。むしろ人間に対して警戒を強めないといけないと思いました。
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