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中間共同体の喪失

 格差社会の拡大については、日々実感していますが、昨今強く感じるのは日本社会の連帯感、社会性そのものの喪失感です。
 政党の政治資金パーティー問題でも、政治家の公益性の無さが改めて露呈していますが、以前、イメージからするとバブル後の90年代、特にここ10年くらい前から個人主義や自助強調主義が高まり、政治の衰退が顕著になってきたと感じます。
 宮台真司さんに因ると、日本にはもともと公益性、パブリックサーバントというものは存在していない。なぜなら、そういう理念を持って国家建設してきたという経験がないからとのことですが、人が見ていなければ何をしてもかまわない。自分だけ、今だけ良ければいいというメンタリティーは間違いなくあると思います。
 公や他者に関心がなく、所属集団でのポジション争いのみ注力して生きているというのも的を得ていると思います。
 その背景にあるのが、戦後、特にバブル時に加速した地方から都市部への人口移動で、それによって農村部での中間共同体は縮小する一方、都市部では既存住民と新住民の混在現象が起きます。
 その流れの中で、既存住民が形成していた暗黙の地域ネットワークという中間共同体(ご近所づきあい)が、新住民の高いセキュリティ意識(よく知らない人たちだから警戒しないと危険)によるリーガリゼーション(何でも規則化、要認証)が進行して、暗黙のコミュニケーションはなくなり、今までの常識が通用しない、腹を割って話せない社会へと変容してしまったことが、政治家を選択する市民の意識を低下させ、政治の暴走に歯止めがかからない状況を生み出してしまっていると思います。
 中間共同体の喪失は学校や仕事以外の社会参加を困難にさせ、血縁性の喪失(もともと日本社会は血縁社会ではないとの指摘もあるそうです🟰中国人やユダヤ人といった歴史的経験から血縁性が強い民族と比較して)と共に孤立感の強い社会に繋がり、何かのきっかけで働かなくなると、ひきこもりや孤独死に繋がりやすくなる危うさがあります。
 中間共同体の従来への復活は困難でしょうから、これ以上の日本社会の崩壊、孤独化を防ぐためには、行政の今より踏み込んだ関わりが必要(そのための政治的支援を含めて)ですし、民間の工夫としてのコミュニケーションの場作りも重要であると思います。
 また基本的なことですが、困った時、孤立した時に何かしら支援してくれる個人、団体と繋がっておく個人としてのコミュニケーションも大事になってきます。
 自分自身は家族を一つの拠り所と思っていますが、今後何が起こるか分かりませんし、もう少し多様な人間関係を心掛けていきたいと思います。
 

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