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青梅が並んでいたら

昨年末、今年の心がけとして『あえて今までとはちがうことに意識を向けること』と決めたはずだったけど、元日の大地震で気持ちそれどころじゃなくなってあやふやなまま5ヶ月経過。明日からもう6月です。
それでも自分の生活環境を久しぶりに東京港区から地方都市に戻したことや、フル勤務から完全無職にしたことなど、あえてどころかかなりのちがいは生じさせてはいました。

いや、そうじゃなくて、ちょっとした『あえて』を考えてたはずだったんだけど、というわけで、昨日は店頭に並んでいた青梅に着目。
梅干しづくりとしてぽたぽた柔らかい完熟梅を扱うことはよくあったけれど、
がっちがちの硬い青梅をどうにかしようと購入したことはそういえば今までなかったのです。青梅の棚の前で立ち尽くし、
今回はこれをどうにかしてみようかと考える余裕というか、
そうなってる自分という変化に今回気づきました。
仕事で忙しくしてると気持ちや行動は絶対そうならないから、これは忙しくしてないことから生まれた良い変化でしょうか。
たかが1キロの袋でも今の自分には重いけど、エコバックの紐を腕にくいこませながらも青梅を持って帰って、ひとまず茹でてみました。

ガッチガチの硬かった青梅は、お湯で5分も火にかけてみたらあっけなく拍子抜けするくらいもろくやわらかくなりました。あれ?
つついてみたらすでにふにゃっと。
水だけ捨てて、もうそのまま火にかけてぐるぐるかきまぜてたら、タネまじりで実ははがれてジャムっぽく。

これまで青梅のジャムなどの作り方なんかを検索して見たことはあったけど、事前にタネをはずすのも工程がけっこう面倒そうで避けていたのです。
だから手っ取り早く丸ごと茹でてみたらこうなり、なぁ〜んだ〜、簡単にも作れるんじゃないの〜なんて。
あとは砂糖を自分の感覚でいれ混ぜて、最後にざるで濾してタネとわければ
あっというまに青梅ジャムが完成しました。

いつの頃からか、自分の未体験なことはネットの普及とともに検索して調べるクセがついていて、たどりついたマニュアルどおりにやろうとしてきた自分にはっとしました。
だけど、自分が料理に目覚めた大昔は料理本にそこまできっちり”小さじ1杯”とか”3グラム”とか、厳しくなかったはず。味見をしながらその時の最適な味になったはずでした。

懐石辻留の辻嘉一さんの日本料理が好きで、それをひきついた辻義一さんも料理は天候気候体調にあわせて加減調節が大事、と。
あまりに好きで、人生最初の就職先に辻留を選びました。
自分の結婚式では義一さんからの祝辞でも
『結婚生活でも加減が大事。いい加減。いい加減というのはきっちりしないそのときどきの良い加減のことですよ。』
そう言われたはずだったのに、自分はいつのまにか、ネット上の誰かのレシピを鵜呑みにしてそうしなければいけないと思い込んでいる、ネット情報にふりまわされている、そのことに恐怖を感じたのでした。

世の中もっとシンプルにいけるはずなのに、情報がいろいろややこしくしている、
人は誰か素人が書いたようなあいまいな情報すら信じちゃう、だから令和6年になっても30度超えの暑い日でもあいかわらずマスクしてれば自分は感染しないなんて信じきっちゃって今優先すべき熱中症の危険にも気づかないんだ。
これって運動中に水飲んじゃいけないって誰かのあいまい情報を信じ切ってた大人の言いなりになって真夏の部活動とてもつらかった子供の頃の、先生の言うことに従うしかなかった自分の時代を彷彿させる…だから
あいまいな情報ほど怖いものはないっ!!

信じることは自分で考えないこと。そのとおりに動くほうが楽だから。
つまり脳を働かせ五感で感じて判断して決める、ということには自分の責任があり、
自分で責任を負いたくない人がこんなにも多いのか、ということとイコールなのかもと思いました。
青梅をジャムにしてみる、ただそれだけのことも難しそうにとらえ考えていた自分がほとほと情けない。
もっとシンプルにモノゴトをとらえていきたいと思うのでした。





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