見出し画像

実家にお裾分けに、で知ったこと

たくさんの赤紫蘇ジュースが完成しました。
家にある容器にあけてみて、
そうだ、1本ペットボトルに詰めて実家にお裾分けに行ってこよう、そう思い立ちました。
どこかに行かねばならない予定もなにもない、真っ白なカレンダーを見て
あぁ完全フリーだからこそ、こうして思い立ったときに動ける余裕と自由さがある、そう感じました。

実家は隣の市にあります。
自分はこれまでの多すぎる引越し生活の中でさんざん車も買って売ってを現地でくりかえしてきてひととおりの車に乗ったので、もう車生活も満足したよ、と10年前から車を持たずに暮らすようになりました。
まちなかの、公共交通機関がある地域に住み、ときどきカーシェアを使えさえすれば、マイカーなんて持たなくてもなんとかなる、それを実感しています。

隣の市の実家へはJRで最寄り駅に着いたら、駅前からコミュニティバスに乗れば家近くまで移動できます。3月頃にもそうやって行ったし、それが実家を訪ねるこれまでのルートでした。
今回もそのつもりで行ってみたところ、なんと、バスがなくなっていました…
2024年問題は、地方の、定年退職後のおじさんたちがのんびり運転してたコミュニティバスにまで影響がでてるとは思わず。
仕方ないので、片道40分ほどかかる道のりをてくてく歩いていくことにしましたが、
その道は高校時代まで雪深い日などの、自転車に乗れない季節には通学で延々歩いた道。
当時のなつかしさはうっすらありつつも、かつて子育て世代中心で賑やかだった団地混じる新興住宅地が、
子供が巣立って今は親世代が80代になりそのまま住んでる、老人中心の街になり、日中誰も歩いてない静まり返った街。
さらにコミュニティバスがなくなり、運転できない老人は自力では買い物にでかけづらいという、かなり不便な状態になっている、日本のあちこちでも問題になっているような”かつてのニュータウン”状態なのでした。

若い頃は住むのに良いと満足できた住宅地も、年をとったらなかなかに不便。
車社会の地域なだけにみなさんどこに行くにも車なので、いざ、車が運転できなくなったら、というシチュエーションは想像もつかないのかもしれません。
公共の交通機関があればまだ救いだけど、それも削減されちゃってせつない。
ここ数年は東京から帰省ついでにたまに寄るていどだったけど、これからはこうして思い立ったら頻繁に顔をだそうと思っていた矢先の出来事。
自分は運転できるしまだ足腰丈夫だから、カーシェア使ったり今回のようなウォーキング的に向かう手段はたまのことだしと選べるけれど、
あの地域に住んでいるとしたら、この年齢以降、車を運転しないとなると、数少ないスーパーへの買い物やいろんなことが面倒そうだなぁと想像し、つい家にこもってしまうのではと思いました。

実際どこ行くにも車の人ばかりだからか、早くに弱るのが足腰、という人も多く、
60代以降から母の友人たちは病院通いの人が増え、足腰が不自由だとつい家にこもってしまいがちになって体力も落ち、70代すぎたあたりからどんどん先に亡くなっていったようです。
母はもともと運転できないし自転車にも乗れないことが幸いしたのか85までは歩くことが多かった。それが足腰を強くしたのかもしれません。

ただ88歳の母も近年のコロナ禍のマスク強制と家でのひきこもりを強要させられた影響で外を歩くことが減り、マスクで口の中の衛生がついいい加減になりがちだったことで自前の歯もいっきに抜け、いきなり足腰が弱くなってしまい、今はつかまらないと歩けないほど危なっかしく足腰も衰えてしまいました。
コロナ禍というのはコロナがどうより、人を衰えさせる要因を含んだ、恐怖ばかりあおるデータもあいまいなマスコミ報道のほうが毒だったのではと思えて仕方ありません。

自分が住み始めたからはもう50年近く経つ、実家のある住宅地。
1本の赤紫蘇ジュースを届けに行っただけのことなのに、歩きながら時代の流れを実感してしまいました。
赤紫蘇ジュースは喜んでもらえたし、母の元気な顔も見られたから
思い立って行動してみて良かった日。
歩くしかなかった時間の中で、この先の自分の暮らし方というものも考えるきっかけになりました。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?