わたしはまだプラスティック・ラヴ から卒業できそうにない

~令和の20代女のPlastic Loveに関する個人的思い出~

 アルバム「VARIETY」40周年おめでとうございます。
 このなかの、「プラスティック・ラヴ」は、少なくとも40回以上は聴いていると思う。

 私が最初にこの曲を知ったのは、Wechatでだった。大学生だった2018年の冬、北海道で一か月アルバイトしたときに、中国の南寧出身の、日本語を勉強していた同い年の女の子と仲良くなり、休日は洞爺湖などに遊びに行った。その子が中国に帰るときにWechatで連絡先を交換したのだった。
そのWechatの投稿で、「Plastic Love」を知った。

 Wechatからこの曲を知ったというのは、まさに現代のシティーポップ ブームらしいと私は思う。逆輸入という点で。

 最初のころに聴いていたのは8分近くあるバージョンで、前奏がとても長くそして強烈だった。大げさに言えば半分憑りつかれたような感じで、何度も繰り返し聴いていた。

 何度も聴くうち、歌詞に注目した。
 共感だらけな歌詞だけど特に、
 ”上手に打ち込んで” や
 ”恋なんてただのゲーム” 、
 ”派手なドレスも靴も孤独な友達” などが、
 「都会暮らしの若い女性による自由恋愛」(プラスティック・ラヴ - Wikipedia
を象徴していると私は思って、めちゃめちゃ共感できる。

 2020年から私もいちおう「都会(一人)暮らしの若い女性」に当てはまっていた。その時、コロナもあって私は仕事終わりなどにしょっちゅう「Plastic Love」を聴いてディスコにいるように(行ったことないけど)リズムに乗っていた。

 そのうち、恋や孤独な友達と過ごすばかりでなくて、また、都会のきらきらからいったん離れてもっと日々の生活の中身を充実させたかったのもあり、私は一人田舎に越した。

 「華やかな暮らしにさよなら告げたら
 本当の空の色が見えてきたよ」 

竹内まりや「僕の街へ」

 という気分だった。
 目的をもって華やかな暮らしから離れ、田舎に来たことが。

 しかし都会でも田舎でも、私は私、であった。
 場所が変わろうと、もともとの行動特性や人付き合いの傾向が変わるわけじゃないんだと知った。キャラ変はできなかった。出会いと別れを上手に打ち込むこともできなかったし、時間が来れば終わるとわかっていても待てなかった。

 いまも特に変わっていない。しかし一周回って自分のことが少しわかった。変わっていないなりに、自分に合った人間関係を築きたい。
 しばらく「プラスティック・ラヴ」のリズムと共に過ごしていくのだろうと思う。

いくつになってもこの切なさをわすれないでいたい!

 

 
 


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