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タナトフォビア克服論

皆さんこんにちは。

以前の投稿からだいぶ時間が空いてしまったのですが、少し時間に余裕ができたのでタナトフォビアを克服するための方法論を自分なりにまとめてみようと思います。

これを読んでいる方の力に少しでもなれたら嬉しいです。


タナトフォビアとは

死恐怖症(しきょうふしょう、英語: death anxiety)は、の観念によって引き起こされる不安の症状。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%BB%E6%81%90%E6%80%96%E7%97%87

タナトフォビアはオーストリアの精神科医、心理学者であるフロイトがつくった言葉でギリシャ語で死を意味する「タナトス」と恐怖症を意味する「フォビア」を合わせたものです。

死恐怖症という字面だけを見ると当たり前のことじゃないかと思うかもしれません。もちろん基本的にほとんどの人が死にたくないと思っています。
しかしこの死への恐れが病的なレベルに達している人が「タナトフォビア」であると私は思います。

もちろん精神的な病であるので、明確な判断基準を設けることはできませんが、症状としては
・差し迫った死の感覚(虚無感)
・頻脈(心拍数の増加)
・頻呼吸(呼吸数の増加)
・不眠
・食欲不振
などがあります。
私も以前タナトフォビアでしたが、この死の感覚というのが一番辛くて虚無感が体を包み心や脳みそが締め付けられるような感覚でした。

私は小学校高学年の頃からこのタナトフォビアに悩まされ、結局症状に悩まされなくなるまでに10年ほどかかりました。
だいぶ長い時間がかかったと思いますが、一生をかけて悩む人もいることを思えば短いほうなのかなとも思います。

タナトフォビアに一度悩まされるとなかなか抜け出すことはできません。なぜなら死には完全な正解はないからです。
死んだ人は私たちに何も語ることができません。
だから死後の世界があるのかとか、死んでも私と言う意識が続くのかという問いにはっきりと答えは出せません。
しかし、この死への恐怖には原因があります。
なぜなら恐怖を含めたすべての感情は何もないところからは生まれず、その対象を認識し、それについて思考をした結果生まれるものだからです。

例:高所恐怖症の場合(恐れ)
ここは高所である→(私は)落ちたらただではすまない→恐怖

例:プレゼントをもらった場合(喜び)
これはプレゼントである→私はプレゼントを得た・(誰々が)プレゼントを私にくれた→喜び

このようにすべての感情は認識と思考の結果生まれるものです。
さらに面白いことに、この認識する対象が同じものであっても思考が変わればそれに伴って生まれる感情も異なることになります。
上記の例で言えば、同じ高所にいてもそれを命の危機ととらえる人にとっては恐怖となり、眺めに魅せられる人には感動を与えることでしょう。
また、同じプレゼントをもらっても、価値あるものだと感じる人には喜びを価値を感じない人には落胆を生じさせます。

繰り返しになりますが認識する対象が同じものであっても、それをどう捉えるかで生まれる感情は変わります。
人はみな死にます。これは変わることのない事実です。
しかし、この死への認識と思考を変えることで恐怖は消すことができます。
死そのものを変えたり消したりすることはできませんが、恐怖には生じる原因がありその原因を消すことができたなら、恐怖は消えるということです。
この死への認識と思考とを変化させることで、死の恐怖をなくそうというのがこの記事の趣旨になります。

次の項からはタナトフォビアの原因を考察していきたいと思います。



タナトフォビアが生じる原因


まず死について深く考えてみましょう。
タナトフォビアの人が言う「死が怖い」とはいったいどういう意味なのでしょうか。
なぜ死が怖いのか。それは私という存在(意識)が消えることが怖いのです。これはタナトフォビアの人の多くが死を怖いと言いながらも、その死とは他人ではなく自分自身の死を指していることからもよく分かります。

つまり言い換えるのならば「死が怖い」のではなく
「自分自身という存在が消えることが怖い」ということです。

そしてなぜあなたは死んだ後に自分が存在が消えると思っているのでしょうか。それはあなたが唯物論のもと生きているからです。

精神の実在を否定して、物質根源性、独自性のみを主張する哲学理論、または立場

精選版 日本国語大辞典

簡単に言うと、あなたという意識はあなたの体があってこそ成り立つものだと考えています。これは決して間違いではありません。あなたという体が生まれる前に意識はありませんでした。また眠っている時にあなたは意識を手放します。
これに則るならば体があってこそ心(意識)が生まれると考えるのも当然でしょう。その法則によるならば体が死に、生命活動を停止した時にあなたという意識は消えます。その後はどうなるでしょうか。
あなたという意識は体が消えたのですから、存在しません。また体が失われたのですから再生することもないでしょう。
つまり死後は永遠の無となります。
なにも認識することができず、存在しない無それが永遠に続く。あなたという存在は体が生命活動を停止した時に消えるのです。いまどれだけ楽しい思いをして、人生に意義を見付けたとしてもそれは消えて無になります。この人生になんの意味があるでしょうか?得たとしても全て失い無になってしまうのに。

タナトフォビアの死の恐怖、これはずばり
「私自身という存在は、肉体があるからこそ成り立っている。そしてこの肉体が死んだときに私という存在(意識)は消えて無になる。私自身が無になることが怖い」
ということなんですね。

この死後、無になるということはとても恐ろしいことです。
私達から生きる意味と活力を奪い、不安と虚無感を与えます。
これがタナトフォビアの正体です。

タナトフォビアに悩まされてる人は不幸にも(幸運にも)この残酷な事実に気づいてしまったわけですね。
はっきり言いますが、ほとんどの人はこの事実に気づいていません。
自分が死ぬと言うことがどういうことなのか何も考えていないのです。
世の中には、長期的な視点で考えることができない人も大勢います。これは決して悪いことではなく、そういった性格に生まれたということです。
将来苦労しないために、幸せになるために~をする、といった思考ができない人は世の中に大勢います。
自分にとって損にしかならないギャンブルやドラッグが辞められず、その時だけの享楽にふける人が大勢います。
あなたはあなたの持つ「長期的な視点」という長所のためにタナトフォビアに陥ってしまったわけです。

また、物事の本質を深く考えない人も大勢います。周りに流されて周りの価値観に従って生きる人たち。周りが評価するものだけを評価する人たち。
あなたは違います。
あなたはあなたの持つ「本質を見抜く力」という長所のためにタナトフォビアに陥ってしまいました。

あなたには「長期的な視点」「本質を見抜く力」があります。しかしそれゆえに苦しんでいます。なぜ私だけが苦しんでいるのか、なぜ他の人は平気な顔をしていられるんだと思っているかもしれません。
それは正解であり間違いでもあります。もちろん多くの人はこの死の恐怖というものを理解していません。しかしそれでもいつかは気づくことになります。なぜなら誰にでも死は訪れるものですから。
家族や友人の死あるいは自分の死が近づいた時に初めて、死について考え始めます。時間があまり残されていない人もいるでしょう。
死ぬまでに恐怖に埋め尽くされる毎日を送ることになるのですから、悲惨です。恐怖を克服することなく死んでいく人には後悔と絶望しかありません。

このように死と死の恐怖は誰にでも訪れるものです。
しかしあなたは幸運なことにあなたの長所とその能力によって、誰よりも早くその真実にたどりつくことが出来ました。あなたは死の恐怖を乗り越える時間を誰よりも多く与えられ、死の恐怖を克服し人生を意味あるものにする機会が与えられているのです。

次の項からは上記のタナトフォビアが生じる原因を踏まえた上で、この原因を解決する方法を提示していきます。



自我意識を超えろ


タナトフォビアはあなたがあなたという存在が消えることが怖いことから生じています。つまり現在あなたは「自分」という存在、自我意識に執着している状態なんですね。自分という存在に執着しいるからこそ、自分と言う存在が消えることが辛く苦しいわけです。

タナトフォビアを克服する方法。それはずばりこの自我意識への執着を少しずつ薄れさせていく、滅していくことです。

人はみな生まれ成長していくなかで、この自我意識というのを発達させていきました。子供の時に自分という存在を認識し始めたときに自我意識が誕生しこれを可愛いがってきました。

他人よりももっと自分が上になりたい。今の日本の学校教育はそうした歪な自我意識を成長させる枠組みとなっています。点数で否応なしに評価される学習システム、体育の時間でも身体能力により順位をつけられます。
また現在においては多くのSNSが発達し、他人と比較することが容易になりました。フォロワー数やいいねの数によって自己承認欲求が満たされる社会。お金や容姿などでマウントの取り合いが行われるこの社会は「比較型社会」と言ってもいいでしょう。

こうして他人と比べて自分はどうなのか、という思考を繰り返していくことで歪な自我意識が強化され自分と他人、自分と他人との境界がどんどんはっきりと深く広がっていきます。

その結果、わたしという自我意識は私の体だけしか宿らないちっぽけな意識となってしまいました。そしてあなたの体の死はあなたという自我意識の死を意味するため、多大な恐怖を伴うわけです。

しかし、もしあなたの自我意識があなたの体の枠組みを超えることができたなら?
世界と分断された自我意識を、世界と結びつけることができたなら?
そのときあなたの体の死は、無を意味しません。あなたの体が死んでも世界は存続するのですから。
自我意識への執着を全て取り去った時、あなたは死の恐怖を克服します。


もとはと言えば、他の存在から独立したわたしというものは存在しません。
あなたの腕を切り落としたとしましょう?その腕はあなたですか?
あなたではないはずです。
あなたの脚を切り落としたとしましょう?その脚はあなたですか?
あなたではないはずです。
あなたの体を少しずつ切り落としたとしてどの段階からあなたはあなたでなくなるのでしょうか?
あなたはこの問いに答えることができません。つまり体のどこかにあなたがあるわけではありません。
これは車がタイヤなどの部品がそろって初めて車として成立することと同じことです。
また人間の細胞は数年たてば全て入れ替わります。肉体に私が宿ると言うのならば、全く違う肉体を持つ数年前のあなたは現在のあなたと違う存在でなくてはなりません。
つまり私たちは、身体そのものではなく、私たちの心に生まれるこれは私である、私の物であると認識する自我意識を私自身だと思っているわけです。

そしてこの自我意識は私たちの体だけを意味する物ではないことから、私以外の存在まで広げることができます。
具体的には、他者を自分のように思って助けたり、手伝ったりすること。自分を大切にするように他者を大切にすること。日々のこうした他者への思いやりを通じて、自分と他人を一体にしていく、結びつきを深めていくことによって自我意識を広げていくことができます。こうして自分と他人とを区別する自我意識を弱めて他者へと広げていくことで、他者と自分とが一体になっていきます。
そのときに初めて私の体への執着は取り除かれ、死の恐怖は克服されます。



まとめ

タナトフォビアの原因である、自分自身への執着は、自分と他者とを比較せず、自分と同じように他者を大切にすることで弱まっていきます。その結果自分と他人との境界は薄まり、自我意識は自分の体に縛られるものではなくなっていくのです。そのとき私の体の死は、私という存在の死を意味するものではなくなります。

後半の内容は哲学的要素もあり難しいですが、理論よりも行動から始めた方が理解が深まると思います。今までのように自分が自分がと生きるのではなく、他人を愛し大切にしてみてください。半年、一年と時間が経つごとに心が軽くなっていくことが実感できるはずです。

またここでは、やり方を書きませんでしたが、自我意識への執着を弱めていく方法としてはマインドフルネス(瞑想)はとても有効です。
簡単にやり方を書くと心を無にして4秒すって8秒吐く。これを10分くらい毎日やるとかなり効果的です、マインドフルネスは感情と結びついている自我意識を切り離すだけでなく、自律神経の安定やストレスや不安を感じる原因となる脳の偏桃体を縮小させ、心の安定につながります。詳しいやり方はまた別の機会に記事を書きたいと思います。


日常生活での他人への思いやりの実践とマインドフルネス、これを合わせて行っていくことでタナトフォビアは克服することができます。騙されたと思ってやってみてください、絶対に良くなることを私が保障します。
質問があればコメントまで。

これを読んでくれた人の力に少しでもなれたならとても嬉しいです。
お読みになっていただきありがとうございました。



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