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伝統を次の世代に

団塊の世代やその次の世代の私たちは、「合理的」ということが、好きなようである。

そして、「合理的」でない伝統や行事などを排除し、「論理」で武装して、その理由にしてきた。

「それは違うのではないか」と本気で考えるようになったのは、自分の子供を持ってからである。

お宮参り、お食い初めをする。本人は知らないものではあるが、それを記録に残すことによって、その行事を次に残すことができる。

 ひな祭りや端午の節句は親戚も一緒に祝う。毎年半年くらい前から、お雛様や武者飾り、鯉のぼりなどの商戦が始まる。ベランダから小さな鯉のぼりが風に泳いでいるのを見るのはいいものだ。祖父母などが、人形を選ぶ姿もほほえましい。

七五三は成長を祝うお祝いをする。ニギニギしく着飾る必要はないかもしれないが、子供の成長を祝う。神社でおとなしく祝詞を聞けるようになったことをうれしく思う。そんなのは無視して騒いでしまうのも、元気な証拠でいい。

誕生日にはお祝いをする。自分がこの世に生まれてきて、育ってきたことを祝い、育ててくれた人に感謝しながら、人生を考える。

当然、成人式は仲間・家族で祝う。人生の区切りは大切なので、その日から社会人として責任を持つように祝うとともに伝える。我が家では、みんなおしゃれして、家族写真をとって、良い思い出になっている。

お彼岸やお盆は、墓に詣でる。それは、自分の祖先を敬うことを伝えることができる。親が連れて行けばその習慣は引き継がれることになる。「勉強が大変だからいいわ。」なんて言ってはいけないと思う。

正月を祝う。大晦日までに大掃除をして新年に備える。30日までに正月飾りを済ませる。一夜飾りは縁起が良くないから。お屠蘇でお祝いをして、おせち料理を食べる。家族・親戚で集う。神社や寺に初詣に行く。お年玉は、親が(祖父母が)「子供だ」と思っているうちは、いくつになっても渡す。

祭りの日は祭りを祝う。地域の祭りは大切だ。当番が回ってくると、「こんなに忙しいのに」と思うことがある。暑い中山車について歩くと、ありがたい気分になる。街中神様を連れ歩いて、最後に社に返すところを見ると益々ありがたい。境内で盆踊りに参加したり、芸能など見たり、露店で少し高い綿あめなどを買う。こういう風情も伝えたいものである。

豆まきをして鬼を払い福を招く。家族が帰ってくるのを待って、全員で、家中の窓を開けて、「鬼は外、福は内」と叫ぶ。豆は年齢の数だけ食べる(歯は悪くなったら無理はしない)。窓を開けるのは、換気の意味もあるので、少し寒いのは我慢する。

クリスマスやハロインは、伝統ではないが、「お母さんは、やたらと飾って祝うのが好きだったな。」と思いだしてもらえるだけでもいいかなと思う。

伝統や行事はまだまだある。私のように、都会で育った人には理解できないものもあるかもしれない。また、その家や家族で違いがあるだろう。

家族や家、地域や町、伝統を伝えることができれば、そういった人間関係の中で、育むことができる温かいものを残していけるような気がする。

どうか私の子供が、次の世代に引き継いでくれますように。

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