#69教育の原理原則とは
皆さん、こんにちは。
サッカー、旅行、読書、Voicy好きのコウチャンマンです。
今回も記事に辿り着いていただき、ありがとうございます。
日々の気付きから、私の学校現場での経験や教育行政という立場から学校を見てきた経験を皆さんのお役に立てたらと思い、記事にしております。
しばらくぶりの投稿となります。
特に忙しいというわけではなかったのですが、どのように記事にすればよいのだろうと考えていたらこんなに時間が経っていました。
グレッグ・マキューンのエフォートレス思考を読み、感想を書こうと思っていたのですが、1つの言葉に躓いてしまいました。
教育に携わる者として、題名の通り、教育の原理原則とは何だろうと考えてしまったのです。
原理原則と言えば、法となるので確認すると、教育基本法の前文には上の様に書いてあります。
ただ、これってイメージがわきにくいですよね。
原理原則とは、分からなくなったとき、迷ったときに立ち返るものです。
でも、イメージが湧かない、では、学習指導要領を見ると次のように書いてあります。
具体的に書いてありますので、イメージは湧きますよ。
でも、長すぎて訳が分からないと感じてしまうのも事実。
もっと、端的に表せないのかということです。
やはり、原理原則は簡単に言えた方がいいですからね。
よく言われるのは次のようなものではないでしょうか。
子供を主語にした教育
子供中心の教育
学校現場に行くことがある時には、私も伝えています。
教師が何をするのではなく、子供が何をしたのかを中心にして教師は物事を考えなければならないと。
学校経営、学級経営、授業計画、学校行事などなど、どれだけ子供中心で考えているかどうかです。
と、偉そうに聞こえるかもしれませんが、私自身もどこまでこれが実践できているかは分かりません。
それでも「子供が主語になっているかな?」と振り返ることができるかどうかで違いが出てくるのではないでしょうか。
現場の先生方からよく聞かれます。
「どうすれば子供を主語とした教育を実践できますか?」
この答えはないですよ。
学校、クラスによって子どもは異なりますし、日々子どもは変化していきます。
このたとえがよいかわかりませんが、子どもの様子は日替わり弁当みたいですからね。
教師一人一人が目の前の子供とぶつかって、よく観察して、考えなければならないと思います。
上の質問にもし答えがあるなら、誰も苦労せずに教育を行えます。
無いから考えるのです。
いかんせん、教育の結果が出るのは30年先ですからね。
つまり、子供たちが社会に出て、社会の中心となる30代後半から40代には30年かかりますから。
そう、30年後の社会の中心、つまり、社会の主語となるために教育は行われます。
この原理原則を忘れずに私も教育に携わっていきたいですし、広めていければなと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
皆さんにとって何か気づきがあれば嬉しいです。
それではまた次の記事で!
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