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涙の後押し...?

入院中からだと約3年の療養生活、週に一度の通院生活も早2年近くになる。
週に一度リハビリメインの通院を重ねながら、月に一度は主治医とゆっくり話す時間を持つというルーティン。これといって症状に大きな展開がある訳ではなく、1ヶ月の体調の変化についてのヒアリングと、何より堕ちそうになる私のメンタルの整理のための時間。

何となくやりたいことの解像度が上がってきて、“あとは半歩踏み出せばいいだけではないのか”と思う時がある。だから、出来そうだと思うことにチャレンジしてみようとする。
けれど、妄想と現実は簡単に一致しないことに気付かされて、また傷付いて苛立つ。

一つでいい、自分を守る「言葉」という武器を持って欲しい

そんな思いを形にした授業を作りたい。
ゴールのイメージはあるのに、組立てることが難しい。教壇に立つにはあまりに厳しい嗄声もある。
でも、伝えたいことは胸の中に溢れていて_

思うに任せない現状に苛立ち、表情も失われているとわかっていても、ちっぽけで弱い自分ではコントロールできないことがしばしば...
またこんな話しかできない。

ひとしきり話して顔を上げてみたら、主治医が表情を変えずに涙を流している。
驚いた...!
言葉が出ない。

「上手く出来ないかもしれない。でも、頑張る。
大人だってもがいていると教えることが出来る。
失敗しても生きていける。講師として教師として最も大切なものを与えられたのでは?」
...!

効率とか生産性とかを正義のように振り翳し、それを推し進める自分は圧倒的なマジョリティにいて、気付くこともなくたくさんの人を排除したり傷付けたりして来たのか...⁉︎
心が軋んだ。息苦しい。

医療従事者とあがき続ける患者との対立構造。
「医療」と「意地と根性」は別物。
そこにも真実はあって。理性ではわかっている。
でも、素直に認められない感情が渦巻く。

医師という聖職の立場にあって、発言を律しながら3年にもわたって聞き分けの悪い患者を諭し続けている医師が突然見せた涙。

私はきちんと受け止められているか...

考えろ
考えろ
考えろ

        2024.6.11

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