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心を痛めたパリオリンピック開会式

どうしても看過できないこと

たぶん、私は、日本ではかなりの少数派なのだと思う。
「最後の晩餐」のシーンなんてありましたっけ?なんて言う人もいるくらいだから、日本では心を痛めた人は少ないに違いない。
パリオリンピック開会式を演出したトマ・ジョリー(Thomas Jolly)は、「あのシーンは、ギリシャ神話のオリンポス山の神々に対する異教徒の祝祭のアイデアに基づいており、だれかを馬鹿にしたり侮辱したりする意図は無かった。」と記者会見で弁明していたが、100歩譲ってそのとおりだとしても、女性DJを中心にドラァグクイーンやトランスジェンダーのモデルたちがテーブルに横一列に並ぶ場面は、「最後の晩餐」に似ていると指摘されて否定することはできないはずだ。

たかがレオナルド・ダヴィンチの有名な絵画のパロディじゃないですか、何が悲しいんですか?なんて言う人がいるとすれば、私はその人に最後の晩餐のシーンがキリスト教徒にとってどれだけ心の中に大切にしまっているのかを日本の有名なシーンを例に挙げて説明してみたい。
例えば、太平洋戦争関連で言えば…
家の前で出征兵士を家族・近隣の人々で見送るシーン、特攻隊員が出陣する前にお神酒を飲むシーン、ラジオの玉音放送を聴きながら人々が跪き涙を流すシーン。
これらのシーンをパロディにされ、嘲笑されていると感じたら、日本人としてどんな嫌な気持ちがするだろうか?

ダビンチが描いたのは、イエス・キリストが自分が明日十字架に架けられることを予め知っていて、十二使徒にパン(肉)とワイン(血)による儀式の仕方を教えるというキリスト教にとってかなり重要なシーンだ。この最後の晩餐から始まって、今でもカトリック教会ではミサで聖餐式を行っているのだから。

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