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漣健児のカバーポップス革命

漣(さざなみ)健児こと草野晶一は、父・草野貞二が経営する新興音楽出版社(現:シンコーミュージック・エンタテイメント)から雑誌『ミュージック・ライフ』を復刊し初代編集長を務めていた。
洋楽ポップスの英語歌詞を雑誌で紹介する時に、その翻訳を書いていたら、「この曲、あの歌手に似合うんじゃないかな?」とか思うようになり、日本語詞を書くようになったと言う。最初は、訳詞家や作詞家などになる気はまったくなかったらしい。
一番最初に坂本九に書いたのは「ステキなタイミング」で、彼にジミー・ジョーンズの歌を紹介したのは、声の感じが似ていると思ったからだそうだ。その話をしたら、坂本九のマネージャーも同意したと言う。
そのころ九ちゃんはまだ売れる前で、「出演しているジャズ喫茶かなんかで歌詞カードとして使ってくれれば」程度にしか考えていなかったと、後になって証言している。
だからと言ってはいけないのかもしれないが、肩の力が抜けて洒落でスラスラ書いたような歌詞になっている。

ステキなタイミング

オー ユー・ニーズ・タイミング
アー ティカ ティカ ティカ グッドタイミング
トカ トカ トカ トカ この世で一番かんじんなのは
ステキなタイミング

目の玉ギョロ キョロ 光らせた
教師の目の前で
カンニング素早くやるのにも
いるのはタイミング

オー ユー・ニーズ・タイミング
アー ティカ ティカ ティカ グッドタイミング
トカ トカ トカ トカ この世で一番かんじんなのは
ステキなタイミング

僕の可愛いフィアンセの
目をごまかしながら
コッソリ浮気をするのにも
いるのはタイミング

(リフレイン)

火の玉投手のドロップに
バットをちょいと合わせ
逆転ホーマー打つのにも
いるのはタイミング

(リフレイン)

ガンコオヤジが可愛がる
箱入ムスメを
コッソリ デートにさそうのも
いるのはタイミング

(リフレイン)

文句無しに軽快で面白い。Oh, you need timing をそのままカタカナにするなんて、すごく斬新だ。
カンニングも浮気も野球も頑固おやじも、元歌の歌詞にはまったく出てこない。訳詞というよりも替え歌と言った方がよい。自由な発想で愉快に書いているので、聴く方も心地よい。

飯田久彦 ルイジアナ・ママ

あの娘は ルイジアナママ
やってきたのは ニューオリンズ
髪は金色 目は青く
ほんものだよ ディキシークィーン

マイ ルイジアナママ フロム ニューオリンズ

みんながちょっかい だしたけど
誰にもよろめかぬ
誰があの娘を 射止めるか
町中のうわさ

マイ ルイジアナママ フロム ニューオリンズ

祭りがあった ある晩に
あの娘さそって 二人きり
ダンスにいったのさ

そしたら あの娘はそっと 打ちあけた
ぼくが好きだって
ビックリ仰天有頂天
コロリといかれたよ

マイ ルイジアナママ フロム ニューオリンズ Go go go

みんながちょっかい だしたのに
誰にもよろめかぬ
あの娘をどうして 射止めたか
町中のうわさ

マイ ルイジアナママ フロム ニューオリンズ

恋のてくだに かけたなら
誰にも負けない ぼくだもの
あたりき しゃりき

さあさ陽気に 騒いで踊ろう
ジルバにマンボ
スクスク ドドンパ チャチャチャ
踊ろうよ ロックンロール

マイ ルイジアナママ フロム ニューオリンズ
マイ ルイジアナママ フロム ニューオリンズ
マイ ルイジアナママ フロム ニューオリンズ

この歌には、いろんな踊りのリズムが出て来るが、ジルバとマンボはわかるし、ドドンパも子供の頃にテレビでドドンパ娘の踊りを観た記憶がある。その中で一つだけ、スクスクというのがわからない。
調べてみると、Sucu Sucu は、元々はボリビア在住のタラテーニョ・ロハス の作品で、1959年に発表され、1961年頃にヨーロッパ各国で流行した音楽だそうだ。日本語訳されたものがザ・ピーナッツやダニー飯田とパラダイスキング、西田佐知子が競作でレコードを出している。
「ちょっかい」とか「よろめき」とかいう流行語を取り入れ、「あたりきしゃりき」みたいな江戸っ子言葉も使って、テンポよく歌えるように書かれている。
漣健児の歌詞は、随所にセンスの良さが光っていて、もともと軽いノリの曲が多かった洋楽ポップスを日本語で紹介するのにぴったりだったと思う。
彼の歌詞があったからこそ、日本で洋楽ポップスの日本語版がヒットしたのではないかと思われる。

フランスのイエイエは…

フランスでも日本と同じように英米のポップスを自国語で歌って踊るブーム(その後にフランス語でポップスを作った)があった。そのムーブメントをイエイエと呼ぶ(日本ではフレンチポップと呼ぶ)のだが、日本ではその前にあったシャンソンに比べると一時的に流行ったに過ぎなかった。
何故か?
それは、漣健児のような軽快で洒落た日本語歌詞(私は敢えて訳詞とは呼ばない)の書き手がいなかったのが原因ではないかと思っている。
漣が女学生を会社にバイトとして連れて来て日本語詞を書く手伝いをさせた。その人こそが安井かずみなのだが、彼女は、「雪が降る」と「オーシャンゼリゼ」など少しシャンソンの訳詞をしているが、イエイエについてはほとんど書いていない。
レコード会社がシルヴィ・ヴァルタンやフランス・ギャルを来日させて本人に日本語で歌わせたり、フランスでは無名のダニエル・ビダルのような少女を日本に連れて来たりしたので、日本の歌手が日本語でカヴァーしなかったということもあるが…

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